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激痛
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いつも通り、バイト行って帰ってきて、とくにやることもないからギターの練習。飽きもせず毎日毎日触ってる六弦は赤い色のものを使うようになっていた。青色のストラトギターは、もう使えねぇな。と、押し入れに入れっぱなし。弾いてやれないんじゃ楽器が可哀想だから、そのうち誰かに譲ろう、なんて考えているうちに、もう涼しい季節というものはとっくに過ぎていて、五月も後半になってくるとじっとりとした暑さが肌をなぞっていく。
毎日、毎日、同じことの繰り返し、それが嫌だとか刺激がほしいとか、そんなことは特に思ってはいない。なんだかんだうまくやっていけている現状に満足してたりもする。まあフラストレーションが溜まってることといえば、東京に出てきて、まだライブをしていない。それぐらいかな。
俺がなんとなくこっちで一人でうまくやっていけてんのは、Gactのメンバーと隣人の大輝のおかげ。バイト先もいい人ばっかりだし、マスターはゲイだけど面白いし、最近、カフェアートなんていうのも教えてもらって出来るようになってきた。大輝ってコーヒーすきだっけ、こんど俺のカフェアートの腕前を見せてやろうかな。そんなことがチラチラと脳裏をよぎるから、そろそろ集中力も限界なんだろう。…タバコ、吸いたいなぁ。ギターを太ももの上に寝かせて、ベランダにでようとしたときだった。
ぶーぶー、ぶーぶー、
スマホのバイブレーションが部屋中に響く。散らかしっぱなしの部屋だから、一体どこにスマホを置いてあるのかわからない。慌てて立ち上がって、音のなっている方を探す。脱ぎっぱなしにしてあったジーパンのポケットからぴろんと出ているレザーストラップを見つけて、安堵したようにそれを引っ張り出した。スマホの画面には庄司文夜、の文字がデカデカと映し出されていた。
庄司文夜!?
慌てて電話をとる。なぜなら、庄司くんからの電話はとんでもなく珍しいものだから。あの人、要件をすべてラインで済ませる最強の人だから、電話だなんて何か急用なのかな。
「もももし、もしもし!?どーしたの!?」
慌てて張り上げた声。部屋の壁が薄いこと、忘れてた。もしかしたら大輝はもう部屋にいるかもしれない、俺の声にびっくりしてはないだろうか、とすこしの心配と反省をして、ぼふ、とベッドに座り直した。壁に背中をくっつけて宙を仰ぎ見ると、機会越しに聞こえてきた声はすこし不機嫌そうだった。
『おう、恋。元気か、飯食ってんのか、明後日スタジオイン忘れてへんか』
「元気だし今日は麻婆豆腐食ったし明後日のスタジオのために今も練習してたよ!」
『そーかー、相変わらず努力家でえらいな、…ほな、もう本題だけ話すわ』
なんだろう。
特別緊迫した雰囲気があるわけでもなんでもないのに、すこし胸にドキンときた。嫌な予感、というよりは、この先の俺を暗示するような、なんだろう、ごく、と唾を飲んで庄司くんの次の言葉に耳を傾ける。
『王子様から伝言や。「あんな別れ方でごめんね、もしまだ俺を少しでも思い出すのなら、もう忘れてほしい、俺にはもう恋は必要ないから」やってさ。ほな』
え
まって、なに、いきなり、どういうこと、思考がついていかないんだけど、というか、なに、はあ?
なんで突然愛の話?つーかなんで、伝言とかされてんの?
俺には、愛が、なんで俺に直接言ってこないのか、なんで庄司くん伝いでそんなこといわれてんのか、それにほんとにそついうことに微塵も興味をもたない庄司くんがわざわざ伝えてくれたのか、なにもかも、唐突すぎてわけがわならなかった。ほな、と言った庄司くんが、今にも電話を切りそうだったので慌てて引き止める。
「まって、まって、わかんないんだけど、庄司くん!ほな!じゃないよ!切らないで!なあ、もしかして愛の連絡先しってんの!?」
『知らんよ。』
「…っじゃあ、なんで…!!」
混乱と混乱が混じり合って、庄司くんに食いつくように声をあげた。なんで、なんで俺もこんなに必死こいてんだろう。前を向くんじゃなかったのか、いつまでも未練と罪悪感にしばられて、すこしの足跡に縋り付いて、なんて情けない、なんて、ダサいんだ。でもさ、突然そんな、突然、忘れそうだったあいつの情報を与えられたら、必死になっても仕方ないよな、そうだよなぁ?
じわ、と目頭が熱い、クソが、泣きそうだ。たった、これだけで、もう、苦しい。
なんだよ、なんなの、なんでお前はそうやって俺をぐちゃぐちゃにかき乱して、そんでサラリと消えてしまうの、なんで忘れさせてくれないの、閉じそうだった傷口をいとも簡単に抉ってしまうの、…なんで、俺のこと必要ないから、なんて、言うんだよ。
『…そんときたまたま俺と爽司が一緒にメシ食っとってなぁ。俺へ、やなくて爽司スマホに非通知で電話かかってきたんやって。…爽司が、珍しく相手のこと怒鳴りつけとって。何事かと思って電話変わってもらったら王子様からやったってわけや。ほんで、この伝言預かった。』
「っ、う…っ、うあ、あ、ひで、…ひでぇよ、なにそれ、うっ、ぐ、…」
涙も鼻水も嗚咽も止まらない。
ほんとに俺に忘れてもらいたいなら、ほんとに俺が要らないなら、もうすべて断ち切って、残り香なんて残さないでほしかった。
「やだ、いやだ、あ、う…うわ、ぁ、あ、ぅっ、うっ…せっかく、忘れられそうだったのに、ひでぇ、あいつはほんと、ひでぇ…!」
すべて、思い出してしまう。
愛より一歩前を歩いたこと、振り返ったら必ず微笑んでくれたこと、手のひらが冷たかったこと、優しく触られたこと、たまに意地悪、ほんと酷い人。
好きじゃなかった、いや好きだった、でも好きじゃなかった、愛の求めてる好きと俺の感じていた好きは別物で、それでも恋愛をしていた、だって愛がいなきゃ、俺はなにをしたらいいかわからなくなるぐらい、……………依存、して、いた。
依存していたのは俺だ。執着していたのはあいつだ。そんなあやふやな関係が招いた終わりを、受け入れようと、忘れようと、していたのに。
こんなの、痛くて。胸が、痛くて。
死んでしまいそうだ。
「ふっ…うっ、うあ…!あ、俺、どうやって、愛に、謝ればいいの…!!」
『………』
涙がとまらないんだ。
想っていないくせに、思うと涙が、痛いんだよ。
俺は勝手だ。俺は一年と少しの間、愛の気持ちを踏みにじった。俺が悪かった。俺がはじめから流されてさえいなければ、こんなことにはならなかったんじゃないかって。もっと別の、未来があったんじゃないかって。
電話の向こうは無言、俺の泣き声だけが部屋の空気を切り裂いて、煩い。だけど溢れた気持ちがとまらない、とまらない、とどめられない、くるしい、いたい、いたい、愛、愛、ごめん、ごめん、ごめん、それすら俺の口から聞きたくないの?
もうほんとに、俺とお前は二度と会うことはないの?
だから、こんなことすんの?
なぁ、無理だよ。俺の将来にお前は要らない、なんて思っていた俺がバカだよ。俺の将来の夢に直接関係はなくたって、お前が傍にいてくれなきゃ、俺は一人で生きていけない。立って、歩くことが、できない。
責任だけで立ってたんだ。この不安定な地面の上を、強がりだけで踏みしめていたんだ。お前が後ろにいるからしっかりしなきゃ、俺が守らなきゃ、俺が、お前の、すべてに、ならなきゃ、それを呪いのように繰り返して生きてきたのに。
振り向いたって誰もいないんじゃ、俺はどこにむかって歩けばいいの。
「あ…ぅ、うっ、あ、…!!ひ、っく、うっ、うあ、あ…!!」
『…恋、落ち着け。取り敢えず息ちゃんと吸え、苦しそうで聞いてられへん』
「あ゛、い、たい、…!!あいたい、あいたい、あいたい!!愛に会って、いいたいことが、っ!!うっ、あ、あっ、ふっ、ぐっ、…うっ、いいたい、ことが…!死ぬほど、あんのに…!なんで俺、おれ、なにしてんだろ、会いたいよ、会いたい、会いたい…!!!」
会えない。会わないつもりなんだ、あいつは。だからこんなことをして、また俺を苦しめる。どこにいってもこんなんだね、俺たちは。俺たちは別れて正解だった、と思ってた。でもほんとにお前が望んでた別れでも、俺の望んでた別れでもなかったのなら、こんなつついただけで潰れてしまうような、そんな感情をお前も抱えているんじゃないかって、心配と自惚れとそれから憎さと…愛情が、入り乱れてもう嫌になる、どうやって俺は、前を向いて生きようと決めたんだっけ。なにを糧にしようと、ここに来たんだっけ。ふらふら、ふらふら、なあ、お願い、だれか、俺の肩を支えてください、転んで起き上がれなくなりそうで怖い、眩暈がするような、そんな未来しかみえない。
一生、縛られる。
『おい恋、よー聞け。しんどいときは楽しいことだけを考えろ。王子様はもう、お前を求めてない。お前が手を伸ばしても届かん。』
「……………っ、わ、かってる、よ」
『ほーんまあんな勝手な男は知らんわ。でも、悪い奴ちゃう。お前のこと分かってんねん、お前がずっと罪悪感で死にそうなってんのちゃうかって思っての行動やろ。…その気持ち、組んだり。ほんでお前もすっぱり忘れろ。』
忘れられるものなら、もうとっくに。
愛からの連絡があったとか、そんなこと言われてもさ、きっとこんなに泣いたりしなかった。
忘れられる、ものなら。
気持ちががくんと沈んでいく。胸を掻きむしっても掻きむしっても、どう足掻いても逃れられないのの苦しさから逃げたい。だれか、俺を攫って下さい。あんな男!って、愛を嫌いになれるぐらい、俺を支えて、だれか、…なぁ、たのむよ、だれか、
俺を許して下さい。
庄司くんが電話越しになにかを言っている。だけど全然耳にはいってこない。全然、全然。全然。
愛、ごめん。すきになりたかった。恋をしたかった。そしたら、って何度も考えた。でもダメだった。俺じゃお前の隣を歩くことはできなかった。最後にさよならを言わせた。あんなに弱くて可哀想な愛、守らなきゃと思っていた人間は、俺の知らないところで俺より先に全てに気づいて、俺をできるだけ傷つけないように、泣もせず、最後に背中を、押してくれた…!
とん、と、押されたあの感覚。どうして忘れられる?
あの指先の温度ひとつが、俺に言ってたんだ。
がんばってね、だいすきだよ、ありがとう、さよなら。
全ての、感情が、流れ込んできた。
あれだけはほんとに、忘れられない、あれほど痛い記憶は、この先も後もないだろう。あーあ、……俺、なにしてんのほんとに。あーあ、こんな取り乱して、馬鹿じゃねぇの、はは、涙、目から落ちて落ちて落ちて落ちて、落ちて、雨みたい。布団がシミを作っていくのをぼんやり眺めながら、スマホを耳から離した、その瞬間だった。
「お…ぉおおおんおんおん!!おんおんおんおん!なんてこったまたフラレたー!!!おーんおんおん!」
…!?
壁の向こうで意味のわからない声が聞こえてきた。完全に忘れていたけれど、俺はベッドに座っている。信じられないほど薄い壁の向こうには大輝がいて、きっと全て筒抜けで聞こえていたんだろう。それにびっくりしていると、今度はまだ通話が繋がったままのスマホの向こうから、盛大な笑い声が聞こえてくる。
俺はスマホを握り直して耳に当てた、その笑い声は間違いなく庄司くんのもので、独特なあの声で、「へっへっへっ!!」と、そのもっと向こう側では古賀の声らしき笑い声まで聞こえてくる。
俺は思わず、壁を凝視した。すると、また、嘘泣き丸出しの大輝の泣き事が続く。
「う、うわーん!!!こんな人生もう嫌だー!明日誰か一緒にラーメン食いにいってくれないかなー!おごるのになー!!うわーん!!!」
……。
「………はは、あはは、ははっ!!!」
なんだよ、それ!
全部聞いてたんだろ?なあ、元気づけてくれようとしてんの?大輝、お前ほんっと…ばぁか。
なんだか、もっとその馬鹿につられて笑いたくて、壁に耳を押し当てる。「うわーーん!悲しくて死にそうだーー!」とか「あーあ!こんな時に恋がいてくれたらなーー!」とか、わざとらしすぎる励ましに、胸がじんわり、暖かくなった。冷えきっていた指の先、震えがとまらなかった指の先、いつの間にか普段と変わらない感覚にもどっていて、驚きというか、もうなんか、馬鹿すぎて涙もひっこんだ。
『へっへっ、あかん、ミヤやろ、その声。どんだけでかい声出してんねん!むっちゃおもろいやんけ!』
「あはは!!はは!!ほんと、ほんとそれ!!あは、っ、……俺、馬鹿だな。」
『おー、ほんまにな。もういけんのか、泣いてないか』
「うん、どっかのバカと庄司くんの優しさのおかげで。」
『……行ったりや、ラーメン。また振られたらしいしー?』
「ぶはっ、あははは!!すげー嘘、丸出しだなぁ。」
大輝、その優しさに甘えてもいいですかね。今だけ少しだけその優しさと明るさで、俺をここから引きずり出してくれませんか。
大輝、……ありがとう。
苦しさが晴れていく。俺は、そうだ、俺は。このバンドで飯を食って生きるためにここにきた。そして俺の肩を支えてくれる人はいなくても、後ろを振り返ったときに微笑んでくれる人はいなくても、隣で笑わせてくれる人は、いる。
俺の生きる、意味は。
俺の生きる、価値は。
「なーーーんだよ大輝ーー!うるせー!また振られたんかよー!しかたねーからラーメン付き合ってやる!感謝しろよなーーー!!!」
俺もわざとらしく、大きな声を張り上げて壁の向こうの大輝にそう告げた。
「恋やさしーーー!!!さすがだわーーー!!」
また、わざとらしい返事が返ってくる。
『…ま、元気なったみたいでよかったわ。ほな俺風呂はいるし切るで』
「あ、…庄司くん」
『んー?』
「ありがと」
『へっへっ、ええよ。明後日お前の練習の成果楽しみにしてるわな』
ぷつん、そう言って切れた電話。
ゆっくり瞼を閉じて、ふう、と息を吐く。
愛、生きてた。
生きててよかった。
うん、それだけでいいや。
お前が俺を要らないというなら、忘れろというなら、さよならだというなら、それを受け止めよう。
今まであいつの全てを受け止めてきたんだから、最後まで受け止めよう。涙が乾いて頬が張っている。それが面白くて笑うと、ますます肌が引っ張られた。さあタバコでも吸うか、と立ち上がると、ドンドンドン!!と玄関のドアが叩かれた。
「………だーいーきーー?」
ますますニヤついちゃうだろ、お前ほんっと、いい奴すぎるよ。
「れーんー!ラーメン!!」
「今からかよ!まって、ズボンはくから!」
「またズボン履いてねーのかよ!」
玄関のドアの向こう、笑い声。
元気でたよ。ありがとう。
もう泣き言いわねぇよ。大丈夫。
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