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○月×日『別離』
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鈍い音とともに矢野くんが地面に倒れこむ。
僕はびっくりして声も出なかった。
「っ……」
矢野くんは小さく呻きながら左頬を手で押さえ、僕の足元に這いつくばる。
地面に数滴血が落ちたのを見て、僕は血の気が引いた。
「……篤也さん…」
「まこと、こっちこい」
篤也さんの手が僕の腕を引いた。
矢野くんの体を避けて篤也さんの側に行くと、篤也さんは僕を自分の背後に隠すようにしてから矢野くんを見下ろした。
「お前どうしようもないやつだな。下衆だ。いや、下衆以下だ。まことを傷つけといてまだ周りをうろつくなんて、お前頭イカれてるのかよ」
まだ地面に転がったままの矢野くんの体を、篤也さんは靴で踏みつける。
「ぁ、篤也さん、やめて…っ」
彼の腕にすがりつくと、篤也さんは矢野くんから足をどけてくれた。
「自分で言ったらしいな。まことは玩具だって。汚いって。よくそんなことが言えるよなお前。女も男も散々食い散らかしてるお前がまことによくそんなこと…」
腕に抱く篤也さんの腕が小刻みに震える。
見上げた顔は矢野くんを見下ろしていて、怒りが収まらないといった様子だ。
「お前にそんなこと言う資格はない。まことを傷つける資格はない。まことの気持ちを踏みにじる下衆野郎だ。二度とまことを傷つけるな。まことはお前の玩具じゃない。俺の恋人だ。」
矢野くんの碧い眼光が篤也さんを見上げる。
真っ赤に腫れ上がった頬と血の滲んだ唇が痛々しい。
「何が恋人だ。俺以上にそいつを玩具扱いしてるあんたが。山梨蘭に復讐したくてゆずを利用してるだけだろ」
「山梨蘭?そいつは過去だ。」
「は?だったらゆずはー…」
そこで不自然に矢野くんが口を閉ざす。
僕も篤也さんもその不自然さを不思議に思った。
だけどその不自然さの理由はすぐにわかった。
「…過去か、………ですよね」
その声に篤也さんの顔色が変わったのが、僕にはわかった。
「ゎ、顔酷いね。大丈夫?」
山梨先輩が屈んで、ハンカチを矢野くんの唇に当てる。
矢野くんは少し痛そうな顔をしたけど、何も言わず先輩を見上げてた。
先輩は矢野くんに手を貸して立たせると、徐ろに口を開いた。
「……僕は、ずっと過去にいるんです。」
ゆっくりと山梨先輩が篤也さんを見る。
「でも、もういい加減前に進まないと。…県外受験しました。春からはそっちに。ずっと近くにいれば、いつかまた貴方に愛して貰えると思ったけど、…過去には無理ですよね。今、よくわかりました…」
山梨先輩が、悲しそうに微笑んだ。
「…柚野ちゃん、ほんとはずっと羨ましかった。ごめんね」
悲しさに、綺麗な涙を滲ませながら、山梨先輩はどこかスッキリした顔で僕を見た。
「さようなら」
そう言って篤也さんの手を握ると、山梨先輩は去って行った。
篤也さんがゆっくり握られた掌を開く。
そこには銀色の小さな鍵があった。
「復讐できなくなるな」
矢野くんがハンカチで唇を覆ったまま篤也さんに嫌な言い方をする。
「復讐じゃねぇよ。…そんなんじゃねぇ」
篤也さんは、強く僕の手を握ってくれた。
手の中の小さな鍵を見下ろしながら。
「…お前は、もうまことに手出すなよ。」
篤也さんの言葉に、矢野くんが僕を見る。
「……山梨蘭のことがなくなったなら、そいつに利用価値なんてないだろ」
「バカ言うな。言ったろ。まことは俺の恋人だ。あいつは関係ない。関係ないのはお前だろ、矢野昂平。おまえはただの幼馴染だろ。最低のな。」
「…」
「まこと、いいよな?俺と付き合っていく、俺を選んだよな?」
篤也さんの手が熱い。見下ろされる視線が熱い。
この人なら好きになれる、大事にしてくれる。
だから受け入れたんだ。
「…矢野くんは、幼馴染で…篤也さんは、恋人です」
矢野くんの目を見て、ハッキリと口にした。
矢野くんが呆然と僕を見つめる。
篤也さんの、僕の手を握る力が緩んだ。
緊張が緩んだ、そんな感じだった。
篤也さんを見上げると、とても優しくほほえんでくれた。
「そういうことだ。」
篤也さんが僕の手を引いて歩き出す。
矢野くんから遠のいていく。
僕は何度か矢野くんを振り返った。
矢野くんの背中が、とても寂しそうに見えたのは、僕の願望だろうか。
少しでも惜しいと、僕を失って寂しい思ってくれてるのだろうか。
そうなら、今日まで矢野くんを好きでいてよかった。
もう迷わず前に進める。
きっと。
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