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博多弁
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窓の外はすっかり真っ暗。節電の為、申し訳程度にしか明かりの取れないオフィスに鳴り響くのはカタカタとパソコンのキーボードを叩く音。
「なんか女性の間では今、方言男子ってのが流行ってるらしいですよ」
静寂を破り仕事とは全く関係のない発言をしたのは今年入社七年目となる川原だ。
その川原の三年先輩にあたる池田はリズム良くキーボードを叩いていた手を止め、思い切り顔をしかめて川原へと目線を動かす。当の川原は涼しい顔で相変わらずキーボードを叩いている。
「なんだ、そりゃ」
「ほら、お料理男子だのなんだのってあったじゃないですか。そういうのの類いで方言男子。方言喋ってる男がウケるらしいです」
吐き捨てるような池田の物言いにも川原は眉一つ動かさずにいる。川原の意図する所がわからず、池田はますます顔をしかめる。
「くっだらねぇ」
「そうですか?可愛いじゃないですか、方言」
池田は東京生まれの東京育ち。方言男子ではないし、そもそも方言に接する機会も少なく可愛いじゃないですかと言われても良く分からなかった。
「どうだかなぁ、俺は東京で生まれ育ったから方言ってのに馴染みがなくてな。まぁ、多少の憧れみたいなのはあるんだろうが………方言を喋ってるから魅力的って考え方はどうにも乱暴だと思うぞ」
お国の言葉と言うように、そこには地元愛ってのが詰まっていそうな感じがして………
標準語しか操ることの出来ない身としては、羨ましい思いもある。いや正直に言ってしまえば、やっかみや妬みに近いくらいの感情はある。
「方言はお嫌いですか?」
オフィスに居るのは二人だけ。池田は目線をパソコンの画面へと戻すと再びキーボードを叩き始め、そんな池田と交代するように今度は川原がキーボードを叩く手を止めた。
「だーから方言がどうのこうのってより、ソイツ自身に魅力を感じた上で方言を喋ってたら………その、なんだ、親しみやすい感じがしてなんか良いって感じるんじゃねぇの?知らねぇよ、俺は専門家じゃねぇ」
面倒そうに喋る池田。いつもならこんな態度を取れば引き下がるというのに、何故だか今日の川原は食い下がる。
「なんですか、専門家って」
「知るかっ」
いよいよ面倒になって、池田は声を荒げた。
「方言はお嫌いですか?」
しかし、やはり川原は食い下がった。会話の終着点が見えないことに池田は苛立ちつつも返事だけはしてやる。
「あーもう、別に方言に嫌いも好きもねぇだろ」
手を止めていた川原がまたキーボードを叩き出す。それきり黙ってしまった川原に、池田は強く言い過ぎたかと軽く後悔しつつ川原の顔をチラチラと盗み見る。
しかしポーカーフェイスを決め込んだ川原の顔をいくら見てみたところで感情を読み取ることは出来ない。
静かなオフィスに二人分のカタカタという音が響く。
「方言で喋ったら、なんて言ってるのか通じないかも知れないし好き嫌いの前に不便ですよね」
別に口を動かしていても作業効率に影響が出るわけじゃない。また話を蒸し返してきた川原に、池田は些か呆れつつも話に付き合うことにした。
「お前、方言喋れるのか」
「九州は博多ですから、訛りって言うんですか?お爺ちゃん、お婆ちゃんの会話なんかは地元の人でも何を言ってるのか分からないってのは良くあります」
会社では常に敬語、訛りもイントネーションの違いも感じたことがなかったから川原が地方出身で方言で喋るのだということが意外だったし、なんだか興味が湧いてきた。
「へぇ、そんなにか」
「そんなにですね」
カタカタと響く音。川原が喋るという博多弁が聞いてみたい。好奇心が池田の胸を擽る。
しかし川原は口をつぐんだまま一向に喋り出しそうもない。
「よっし、そんじゃちょっくら喋ってみろよ」
「えー………そんな改まって言われるとなんか嫌ですね」
「おい、喋りたいから話振ったんじゃねぇのかよ」
催促してみるも拒否され、苛立った池田が舌打ちをしそうになったまさにその時だった。
「好いとうよ」
唐突に発せられた博多弁は予期せぬもので、池田の時間が一瞬止まる。
「………は?」
どんな顔をしてそんな台詞をほざいているのか、なんだか怖くてパソコンの画面から目線を動かすことが出来ない。そんな池田に川原は更なる追い討ちをかける。
「実は前からずっと池田さんのこと好きやったっちゃんね」
「あー………」
果たしてこれは冗談なのか、本気なのか。恐る恐る川原の方を見てみれば、表情こそ無表情を貫いているものの耳まで真っ赤になっている。
「意味、通じました?」
「………なんかズルいな、方言って」
方言男子、か。なるほど、確かに普段標準語で喋っている奴がふと漏らす方言ってのはなかなかくるものがあるかも知れない。
いや、方言男子ってずっと方言を話している奴のことなのか?混乱してきた池田が百面相をしているのに構わず、川原はまた博多弁を繰り出す。
「好きっちゃもん、しょうがなかろ?」
普段とは違う方言で喋られると心を許されているみたいでこそばゆい。甘えられているようにも感じるし………
しかしここは会社で、男が男の方言を聞いてときめくだとか耳だの頬だのを赤らめている状況ってのは如何なものなのか。
「もう良い。川原、お前はもうなんも言うな」
池田の理性が川原を止める。
「方言はお嫌いですか?」
「………大好きです」
「方言男子はいかがですか?」
「あざといな」
もう二人共キーボードを叩くことを止めていた。川原の視線が真っ直ぐに池田に注がれ、池田の瞳もまた川原を写す。
「………好いとうよ」
夜のオフィスで男二人、見詰め合って何をしているのだろう。
「うわーなんか、ぞわぞわするわ」
「ひどっ」
冗談めかして誤魔化しておかないと、後先も考えずに不埒な真似をしてしまいそうだった。いやはや、たかだか方言と侮るなかれ。方言男子、恐るべし。
「なーんか仕事してるのが馬鹿らしくなった」
パソコンの電源を落とす。
「池田さ………」
不安げな表情を浮かべる川原の言葉を遮り、
「メシでも行くか」
と笑顔を向けた。びっくりしたように目を見開いて、それから嬉しそうにニコニコと笑顔になって慌ててパソコンの電源を落とす川原を見ていると不思議な気分になってくる。
もともと可愛いと思っていた後輩が更に可愛く感じる。今ならコイツとどうにかなっても良いかと思うくらいには血迷っている。
「あの、その前に告白の返事を………」
不安げに揺れる川原の瞳。可愛いなと思った。好きか嫌いかで言えば好きだろう。嫌いではない。
じゃあそれが恋愛感情なのかと言われれば、正直なところまだ怪しい。良く分からないというのが本音だった。
「察しろ、バーカ」
川原の手を取りぎゅっと握る。とりあえずは自分の気持ちが恋愛感情なのかどうかをはっきりさせなければならない。その為にもっと川原のことを知りたい。
興味が湧く。気になる。放っておけない。側に置いておきたい。可愛いと思う。
自分の川原への感情を整理してみる。これは友愛か恋愛か、こうして手を繋いでいても気持ち悪いと思うどころか伝わる温もりが心地好いと感じていることが、もはや答えなような気もする。
「池田さん」
「なんだよ」
「嬉しいです」
「あー、そーかよ」
なんだか照れくさい。なのにそれが不思議と嫌じゃない。
「こげなこつならさっさと好いとうよっち言えば良かった。方言男子で良かったばい。どうせ告白ばしても断られるっち思っとったけん、方言で言えばダメでも冗談に決まっとーやん、方言で喋れっち言われたけん言っただけとよって言い訳になっちゃろって、こすかこつば考えとったとですよ」
捲し立てるような早口はまるで異国語のようで、池田は川原の言葉の半分も理解することが出来なかった。
「ん?」
「え?どうしました?」
ポカーンとしている池田とは対照的にニコニコと御機嫌な川原。どうしたものかと池田は顔を引き吊らせながら目を泳がせる。
そうして苦笑しながらこう言った。
「あー悪い、やっぱり俺と話す時は標準語で」
END
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