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え、こっちが勇者でこっちが魔王なの!? その3
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「あああああああー、やりやがった、やりやがった、とうとうやりやがったーーーーーッッッ!!」
「今さら何を騒いでいるんですか、ランシーさんは」
勇者アヴェリオンは、シレッとした顔で言った。
「やることでしたら、とっくの昔に、何度も何度も――」
「あああああー、だーまーれーッ!! どうすんだよー、どうすんだよー、ゆ、勇者が魔王コマして孕ませちまうなんて前代未聞だよー! し、しかもしかもしかもッ!!」
賢者ランシエールは、魔王レナントゥーリオを指差してギャンギャンとわめいた。
「その、『魔王』が、美女だか美少女だかムンムンムチムチなお色気熟女だかだったりしたらまだ納得がいくよ! いや、この際モンスターっ娘でもいいよ! な、なんでなんでなんで――なんでよりにもよって、貧相でひよひよした、頼りなさを絵に描いて額に入れて飾ってあるような、しょぼくれたおっさん魔王が、勇者にコマされて孕んじまったりするんだよーーーーーッ!?!?」
「は、はあ、あの、す、すみません。私達、あの、そういう面では結構融通のきく一族でして……」
「うん、やっぱり魔族は滅んでいいな! ギャンッ!?」
レナントゥーリオを指差してそう叫んだ次の瞬間、抜き身の剣の、平の部分で思い切りぶん殴られて、元気よく宙をすっ飛ぶランシエール。
「今度そんな、暴言というも愚かな冒涜的な言葉をそのけがらわしい口から吐いたりしたら、今度は刃の部分で同じことをしますからね?」
と、背筋の凍るような笑顔でそう言ってのけるアヴェリオン。
「お、乙女の口に、けがらわしいってなんだよけがらわしいって!?」
「この人を傷つけるような存在は、すべてけがらわしくておぞましくて野蛮で不快で下劣で愚劣で、そもそもこの世に存在する価値などひとかけらもありはしないのです!!」
「『人』じゃねーだろそいつは!?」
「ああ、そうでしたね。レナンさんは、下賤な人間などよりも、はるかに高位の存在でしたね」
と、大真面目な顔で言ってのけるアヴェリオン。
「いえいえ、別に、そんなこともありませんよ」
と、おっとり言うレナントゥーリオ。
「だーもう、おめえら、こんな時にガキつくってどーすんだよ!? つーか育てられんの!? この城に討伐軍が来ちゃったらどうするわけ!?」
「当然殲滅します」
さも当然、という顔で、アヴェリオンはきっぱりとそう言い放った。
「おめーら、いっそのこと、この城もなんもかんも捨てて、どっかにとんずらブッこいたらあ?」
と、もうすっかり自棄になったように、投げやりに言い放つランシエール。
「それは駄目です」
不意に。
レナントゥーリオは、ひどくきっぱりとかぶりをふった。
「それは――駄目です。それだけは――駄目なんです。この城は――失いたくはないんですよ、私達は――」
「の、割にゃあ、あっさりとんずらブッこきやがったじゃねえか、おめえの部下ども」
と、憎まれ口をたたくランシエール。
「だって、死んだら終わりですから」
レナントゥーリオは、ひどくまっすぐな声で言った。
「いくら魔術が得意な私達だって、死んでしまった者達を、よみがえらせることはできませんから。だから、死んだら終わりです。死ななければ――死にさえしなければ、たいていのことは、取り戻せるものですよ。そう――十分な時間をかけさえすれば――」
「……その、『十分な時間』ってやつが、『人間』にはねえんだよ」
ランシエールは、ボソリと吐き捨てた。
「…………ええ、知っています」
レナントゥーリオは、かすれた声でそうこたえた。
「……なんだか、湿っぽい話になってきちゃったわねえ」
魔女パンドリアーナは、気だるげにため息をついた。
「もっと楽しい話をしましょうよお。ねえ、魔王様、生まれてくる赤ちゃんの名前とか、もう考えてるわけえ?」
「え!? そ、それは、その、こ、これから、アヴェさんとよく話しあって――そ、それに、あの、わ、私の場合はその、た、卵を産みますからね。産んでから、1ヶ月くらいあたためないと、赤ちゃん、産まれてきませんから。だから、あの、ゆ、ゆっくり考えようかと――」
「1ヶ月――ふうん、長いような、短いような――」
と、剣士サラスティンが首をひねる。
「あとどれくらいで産まれてくるの?」
と、パンドリアーナが身を乗り出す。
「あ、えーと、だいたい3ヶ月くらいでしょうかねえ?」
にこにこと、レナントゥーリオがこたえる。
「やっぱり、つわりとかもあるのかしら?」
「ああ、あるかもしれませんねえ」
「つわりの時って、変なもん食いたがるようになるんだってな。おい、おっさん魔王、おめーまさか、人間の赤ん坊の生き胆とか食いたがるようになったりしねーだろうな?」
「そ、そ、そんな怖いもの、た、頼まれたって食べたくありませんッ!!」
「そりゃよかったぜ。なにしろそこのアヴェ公は、おめーが頼んだら、そんなろくでもねえもんでも、ホイホイ手に入れてきやがるだろうからな。しかも、毎日毎日」
と、幾分青い顔で毒づくランシエール。
「あの、いりませんからねそんなもの! て、手に入れてきたりしないでくださいね!?」
と、同じく青い顔で、アヴェリオンに釘をさすレナントゥーリオ。
「わかりました。それがあなたの望みなら」
と、うやうやしくレナントゥーリオに一礼するアヴェリオン。
「つわり――ねえ。まあ、私が言うのもなんだけど、あなた、それ以上痩せないほうがいいわよ。子供を産むのって、体力が必要なんでしょ? 今でさえ、言っちゃなんだけど、かなり貧弱な体のあなたが、この上つわりで痩せたりしたら、かなりきついことになるわよ?」
と、無愛想な口調ながらも、魔王レナントゥーリオを心配するようなことを言う、剣士サラスティン。
「お気づかい、ありがとうございます」
レナントゥーリオは、本当にうれしそうに笑った。
「ああ……私が言うのもなんだけど、どーしても産んじまうっていうんなら、その赤ん坊は、出来ればアヴェ公じゃなくて、そっちのひよひよ魔王のほうに似ていてほしい! うん、だって、そのほうがぜってー世界は平和だもの! そこのひよひよ魔王は、自分が虐殺されても、他人を虐殺なんかしない、っつーか、物理的に出来そうもねーもんそんなこと! アヴェ公はやるよ! ガンガン殺すよ! 魔族の寿命にアヴェ公の戦闘能力と、最低最悪にひねくれねじ曲がった性格とを兼ね備えた化け物が生まれてくるだなんて、そんなの軽く、どころじゃねえ、最重量級に悪夢だよ!! うん、人間の私が言うのもなんだけど、産まれてくる子供は、勇者より魔王のほうに似ていてほしい!!」
と、天を仰いで叫ぶ賢者ランシエール。
「……私もまったく同感です」
勇者アヴェリオンは、ひどく真剣な顔でうなずいた。
「……私は、産まれてくる子供が、アヴェさんに似ていたら、とてもとても――とても、うれしいですけど」
魔王レナントゥーリオは、そうつぶやいて、ひっそりと笑った。
「ええ、そうですね、夜光リンゴの、まだ熟し切っていなくて酸っぱさが残ってるくらいの実を、すりおろして差し上げると、それだったら、結構召し上がることができるみたいですね」
「なるほど――しかし、リンゴだけでは身が持たないでしょう?」
「そうですね。ですから、一日に何度も、小分けにして少しずつ召し上がってもらうことにしております。これは、魔王様に限ったことではないのですが、つわりの時期には、一度にたくさん食べられなくなる人が多いようですね。ですから、少しずつ何度も――」
「なるほど――」
「処女の生血とか飲まさなくてもいいのかー?」
と、憎まれ口をたたく賢者ランシエール。その言葉に、不機嫌を絵にかいたような顔でランシエールをにらみつける勇者アヴェリオンと、苦笑しながらランシエールにチラリと視線をやるインプのライサンダー。
「ランシーさん、あなたには、どうやら、人肉嗜食という性癖があるようですね。ちっとも知りませんでしたよ、今まで。うかつでした。まさか、一緒に旅をしてきた同行者が、そんな性癖を隠し持っていただなんて――」
「いや、私にはそんな性癖ねーよ!? で、でもよお、仮にも、『魔王』が、ガキ産もうってんだぜ!? それっくらいのことは、あったりしないのかよ!?」
「人肉どころか、魔王様は、普通の、牛やら豚やら鶏やらの肉だって、ちょっと食べすぎたら胸焼けを起こされますよ」
ライサンダーは、苦笑しながら言った。
「うわー、それ、人間にしたってひよわすぎるぞ……」
ランシエールは、あきれたようにうめいた。
「……つーかよお、おめーらもよく、あんな弱っちくてお人好しで超絶天然入ったやつを、『魔王』なんかにしてるよなあ? いくら、生涯でただ一人だけ、その気になったら世界をブッ壊しかねない、とんでもねえ相手と宿命の恋に落ちるからってよお……」
「……別に、それだけの理由じゃないです」
「へ?」
「あのかたが、『魔王』でいるのは、俺達が、あのかたを、『魔王』として崇めているのは、それだけが理由、というわけじゃ、ありません」
ライサンダーは、静かに言った。
「なんか弱みでも握られてんのかー?」
と、再び憎まれ口をたたくランシエール。
「逆です」
ライサンダーは、大きく苦笑した。
「へ? ――逆?」
「ええ」
ライサンダーは、小さくうなずいた。
「あのかたのそばにいると――ホッとするんですよ、俺達。俺が言うのもなんですけど、俺達魔族の中においては、本当に、稀有な才能なんですよ。そばにいる連中の気持ちを和ませて、ホッとさせる才能っていうのは――」
「――それは、魔族においてだけの話ではありませんね」
アヴェリオンは、わずかにかすれた声で言った。
「そんな才能――周りにいる者達の気持ちを和ませて、安らがせる才能なんて、『人間』達の間においても、本当に――本当に、稀有な、才能ですよ――」
「いやー、私はどーも、あのひよひよ情けねえ、泣きべそ魔王のつら見てると、やったらめったらイライラして、あいつのケツに思い切り蹴りをくらわしたくなってくるんだけどなあ?」
「この下等生物め。あなたがしゃべるだけで空気が汚れますから、ちょっと黙っていてもらえませんか? 私が、あなたの舌を引っこ抜いて、細かく引き裂いて、火にくべて跡形もなく灰にしたいという、この衝動を抑えきれなくなるその前に」
「アヴェちゃん、今もしかしなくてもものすごいひどいこと言ったよ!?」
「おや、そこは、事前に警告をしておいただけ、ありがたいことだと思っていただきたかったですね。まあ、あなたのような、無知無能愚劣下劣、生きているだけで周りの迷惑になる超絶下等生物に、そんなことを望んでしまった私の見通しが甘すぎた、ということですね、これは。どうも失礼いたしました」
「どんどんひどくなってるよ!? っていうか、アヴェちゃんの発言のほうが、よっぽど『魔王』の発言っぽいよ!?」
「……私は、『王』にはなれません」
アヴェリオンは、ポツリと言った。
「私は、誰かのことを、『恐怖』で縛ることならできます。『力』を持って打ち負かすことも、残虐に殺しつくすこともできます。でも――誰かに、『慕われる』ことは、できない――」
「……魔王様は、あなたのことを、『慕っています』よ」
ライサンダーは、淡々とした声で言った。
「……ええ。レナンさんだけは」
「あなたと魔王様とのあいだに生まれる、御子様達だって、やっぱり、あなたのことを、慕うと思いますよ、俺は」
「……そうなるのなら、うれしいんですけど」
「俺も実はねー、エーメ君に、一緒に子づくりしよー、って誘われてるんですよ」
ライサンダーは、ニヘラ、と笑った。
「あなたがたを見てるとねー、なんていうか、それもまあ、悪くないかなー、って」
「え? いや、でもあの、エーメさん――エルメラートさんって、あの、淫魔、ですよね? だとしたら、あの――」
「ええ、もちろん、エーメ君が本気になったら、俺みたいな――インプみたいな弱小種族、あっという間に吸い殺されちまいますよ。だから、まあ――エーメ君は、生涯、俺相手には本気になれないですねー。まあ、エーメ君が上になって、俺に乗っかってくる時は、少しだけ、本気のかけらくらいのものなら出せますけど」
と、苦笑するライサンダー。
「なんでえ、それじゃ、あの淫魔のやつは、食事はよそでしてくるのかよ?」
と、無遠慮に言うランシエール。
「ええ、そうですよ」
と、あっさりうなずくライサンダー。
「へー。じゃあ、おめーは種族的に運命的に、生涯寝取られ野郎を宿命づけれられてるわけだ」
「まあ、そういうことになりますかねえ」
ライサンダーは、やはりあっさりとうなずき、小さく肩をすくめた。
「それなのに、ガキはつくれるのかあ?」
「ま、一応ね。その気になれば、それなりに方法はあるもんでして」
「まさか、おめーが孕むとかいうんじゃねーだろうな!?」
「いや、それは危険すぎます。なにしろ、『淫魔』の血をひく子供ですからね。うっかり俺が孕んだりしたら、おなかの中の子供に生気を吸われて、母体も胎児も、共倒れになりかねません」
「うへー、ゾッとしねえ話だなあ、おい」
「まあそうですよねー。そう思っても当然ですよねー」
ライサンダーは、軽い口調でそう言いながら苦笑した。
「でも――『淫魔』っていう種族は、俺ら魔族の中では、結構ひっぱりだこなんですよ?」
「床上手だからか?」
「いえ」
ライサンダーの瞳に、フッと真剣な色が浮かんだ。
「淫魔と言う種族はね――他種族とのあいだに、比較的簡単に、子をなすことができるんですよ。だから――」
「……ふーん」
賢者ランシエールの瞳にもまた、奇妙に真剣な色が浮かんだ。
「なるほど、ねえ……」
「……魔族の宝……それは、もしかしたら……」
勇者アヴェリオンは、誰にも聞こえないような声で、誰にともなく、そう、つぶやいた。
「……卵で産まれてきますからね」
魔王レナントゥーリオは、穏やかな、やわらかな声でそう言った。
「だから、『胎動』というものを、感じることは、できないんですよ。でも、あの――さわるとね、ここらへんに、いるのが、わかりますから――」
「…………」
「もう少し強くさわっても大丈夫ですよ?」
いかにもおそるおそる、おっかなびっくりといった様子で、レナントゥーリオの下腹部にそっと手を当てる、勇者アヴェリオンを見て、レナントゥーリオはクスリと笑った。
「でも、赤ちゃん、卵の中にいるんでしょう? 卵の殻を割ってしまったりしたら、悔やんでも悔やみきれませんから――」
「私とあなたの赤ちゃんは、そんなに弱くはありませんよ」
レナントゥーリオは優しい、だが、断固たる声で言った。
「…………」
アヴェリオンは、ほんの少しだけ、レナントゥーリオの下腹部に置いた手に力をこめた。
「あ――い、いる――」
「ええ、いますよ」
「……卵を温めることは、私にもできるでしょうか?」
「え」
アヴェリオンの言葉を聞き、レナントゥーリオは、驚いたように目を見開いた。
「アヴェさん――卵を温めてくださるんですか?」
「え? だって、この子は、私とあなたの子供でしょう? 私には、子供を産むことはできませんが、卵を温めるくらいは、できる――と、思うんですけど――」
目を見張って自分のことを見つめているレナントゥーリオを見て、アヴェリオンの声が、どんどん自信なさげなものになっていく。
「あ、あの――や、やっぱり、私じゃだめなんでしょうか――?」
「――そんなことはないですよ」
レナントゥーリオは、静かにアヴェリオンを抱きしめた。
「あなたはとても――とても優しい人なんですね――」
「……同じことが言えますか?」
「え?」
「私が今まで、いったい何をしてきたのか、その目で、その三つの瞳ですべて見届けても、それでもあなたは、同じことが言えますか――?」
「……アヴェリオンは」
レナントゥーリオは、静かな声で言った。
「私が今まで、いったい、何を『してこなかったか』を知っても、それでも――それでも今までと同じように、優しく私に、微笑みかけてくれますか――?」
「……何を……『してこなかったか』……?」
「『する』それとも、『してしまう』『してしまった』ことによる罪、というものは、確かにあるのだろうと思います」
レナントゥーリオは、ふと遠い目をした。
「でも――『しない』それとも、『しようとしない』『してこなかった』ことにだって、きっと――同じくらいか、もしかしたら、それ以上に――罪があるのではないか、と、私は思います――」
「……よく、わかりませんが」
アヴェリオンは、レナントゥーリオの痩せた胸に抱かれたまま、細い声で言った。
「私は――あなたが悲しい顔をしているのは、いやです」
「やっぱりあなたは優しいですね」
レナントゥーリオは、愛しげに、アヴェリオンの髪をなでた。
「……今、おなかがこれしか大きくなっていない、ということは……」
アヴェリオンは、ふと不安げな顔をした。
「生まれてくる卵……というか、生まれてくる赤ちゃんは、かなり小さいんですね……」
「ええ。私の骨格は、『男』のままですから。小さくないと、骨盤を通ることができないんですよ」
レナントゥーリオは、落ちついた声で言った。
「だから、赤ちゃんも、ずいぶん小さく産まれてきます。でも、大丈夫です。小さく産んで、大きく育てますから。――まあ、もっとも」
レナントゥーリオはフッと苦笑した。
「子供が私に似たら、どうしたって、そんなに大きくなりようがないんですけど」
「……あなたに似ているといいな」
アヴェリオンはうっとりとした、だが、どこかに苦痛をひそめた声で言った。
「私に、似ていないといい」
「あなたにも似ていますよ。私とあなたの子供なんですから」
「……あまり私に、似ていないといい……」
「私は、あなたに似ていてほしいですよ、アヴェリオン」
「……あなたに似ていたほうがいい」
「…………」
レナントゥーリオは、静かにアヴェリオンの髪をなで続けた。
「…………レナン」
「はい。……ここにいますよ。私は、ずっと、ここにいますよ……」
「…………ずっと、いっしょに、いて…………」
細い声で、弱々しくつぶやくその声は。
『勇者』のものでも、『狂気の復讐者』のものでもなく。
時を凍らせてしまった、一人ぼっちの幼子のものだった。
「ただぁいまぁ!! おぅん? 次期魔王候補のこのぼく、オリエンヌ様が城に帰って来たっていうんに、だーれも出迎えに出てこんのかぁ?」
「お帰りなさいませ、オリエンヌ様。道中何事もなかったようでなによりです」
と、うやうやしく、やたらともいもいとした小動物系ロリっ子、もしくはショタっ子に頭を下げるインプのライサンダー。この、小動物系ちびっ子こそ、何を隠そう、次期魔王候補、オリエンヌである。
「ありゃりゃ、オリエンヌ様、帰ってきちゃったんですかあ? この城には、まだ一応、勇者様御一行が御滞在中なんですけどねえ」
と、ちょっとあきれたように言う、淫魔のエルメラート。
「ああ、ごめん。オリーちゃんのせいじゃないんだ。私がもう、疲れちゃって――」
と、オリエンヌの後ろから、げんなりとした風情で現れたのは、非常に長身で、全身に美しい筋肉がつき、ほとんど人間の頭と同じくらいある、非常に立派な巨乳を持ち、しかも、美しく整った彫刻のような顔と、澄み渡った翡翠色の瞳、濃紫の腰まである髪を持った、凄まじいまでの美女であった。その背には竜の翼がまるでマントのように折りたたまれ、竜の尻尾を腰の周りに巻きつけてある。彼女こそ、無敵無敗を誇る竜人、魔界将軍ナルガルーシェである。
「えええええー? いくらなんだって、勇者のパーティーが全員城にいるこの状況で、人間界にナルガさんが手こずるような相手がいるとは思いませんけど?」
「だよなあ。俺もそう思う」
と、首をひねるエルメラートとライサンダー。
「戦闘で疲れたんじゃない……単純な戦闘だったら、私、あと5年でも50年でも、一人で戦い続けたってかまわない……」
ナルガルーシェは、恨めしげにうめいた。
「だが……だがな……『すみません、終わった後で殺されてもいいんで、お願いですからその見事な巨尻に、思いっきりブッかけさせてください!!』『あ、じゃあ、俺も、殺されてもいいんで、その素敵な巨乳で思いっきり挟んでください! いやむしろ、巨乳に挟まれたまま窒息死するなら本望です!!』なんてことしか言わない相手と、建設的な議論をしようと試み続けるというのは……さ、さすがの私でも、精神的にきつすぎる……!!」
「あー、それじゃあ、竜身のまんまで話しあいをすればよかったんじゃないですか?」
と、あっけらかんとした顔で言ってのけるエルメラート。
「それだとあいつら、はなから言葉をかわそうともしないで逃げまどうからな……つ、疲れた……もう、なんというか、しなくていい苦労を百年分したような気がする……!!」
「お疲れ様です」
ライサンダーは、ナルガルーシェに向かってうやうやしく、深々と頭を下げた。
「どうかこの城の中では、思う存分おくつろぎください」
「ありがとう。悪いがそうさせてもらう……」
「のうのう、おじしゃん元気かあ?」
と、のんきな声で言うオリエンヌ。
「ええ、魔王様は、とってもお元気ですよ。もうじき、卵を御産みになられます」
「えへへ、ぼくよりちっちゃい子が生まれるんやあ。うれしいなあ」
オリエンヌは無邪気に笑った。
「ぼく、赤ちゃんかわいがってやるんやあ」
「ええ。そうしてくださればきっと、魔王様も勇者様も、とてもお喜びになられますよ」
ライサンダーは、落ちついた声で言い、オリエンヌに向かって、うやうやしく一礼した。
「おいおい、なんだよこの面白珍動物は!?」
「やめえや! やめえや!!」
『金色の大賢者』ランシエールに、プニプニとしたほっぺたを、思う存分つつきまわされた、次期魔王候補オリエンヌは、元々まるいほっぺたを、さらにまんまるくふくらませて憤然と抗議した。
「おまえ、あれやで、無礼やで! ぼくを誰やと思っとるんやあ! 次期魔王候補のオリエンヌやぞ! きちんとそれなりに、敬意というものをはらえやあ!!」
「いやー、おめーはどっからどーみても、次期魔王候補っていうよりも、面白珍動物だろうがよー」
と、ニヤニヤ笑うランシエール。オリエンヌは、深紅の三つの瞳を大きく見開いて、ジタバタと地団太を踏んだ。
「うるさいやあい! 誰が面白珍動物やあ!!」
「おめーだよ、おめー」
「ちがわあい! ぼくは、次期魔王候補だあい!!」
「おい、おっさん」
ランシエールは、ニヤニヤ笑いのまま、魔王レナントゥーリオのほうを見やった。
「おめーの血筋っていうのは、あれか、なにか、おめーやこのもいもいみたいな、面白珍動物を量産する血筋なのかあ?」
「は、はあ、お、面白珍動物ですか……あ、あの、ランシエールさん、私のことは、別に面白珍動物でもなんでも、お好きなように呼んでくださってかまいませんが、オリエンヌさんは、あの、そういうふうに呼ばれるの、その、おいやみたいですよ? ですからあの、そんなふうに呼ばないであげていただけると、まことにありがたいんですが……」
「そのとおりだ」
「おお!」
ずい、とばかりに前に出てきた、魔界将軍ナルガルーシェを見て、ランシエールはポカンと口を開けた。
「なんて良質なおっぱいちゃん! おい見ろよパンディ、あいつの胸、もしかしたらおめーよりでけーかもしんねーぞ!?」
「でも、パンドリアーナ様の胸のほうが、絶対にやわらかいわ――!!」
と、力説するのは、当の魔女パンドリアーナではなく、何故か剣士サラスティンである。
「そうねえ、あたしより、大きいかもしれないわねえ。すごいわあ」
と、余裕綽々の魔女パンドリアーナ。
「オリエンヌさん、長旅お疲れさまでした。この城に戻ってこられたからには、どうか、ゆっくりくつろいで下さいね」
「魔王のおじしゃんは、いっつもぼくのことを、ちゃあんと、『オリエンヌ』って呼んでくれるから、大好きやあ」
次期魔王候補オリエンヌは、機嫌よく、ニコニコと笑った。
「おじしゃん、もうすぐ、卵産むんやろ?」
「ええ、もうすぐね、産卵いたします」
「産卵――なんて甘美な響き――!!」
という、恍惚の叫びとともに、元気よく鼻血を吹きだす勇者アヴェリオン。
「おいこらちょっと待てアヴェ公!? い、今の会話のどこに、おまえが興奮して鼻血噴く要素があった!?」
「なに言ってるのよランシー! あんなこと聞いちゃったら、あたしだって鼻血くらい噴くわよ!!」
「うるせえ馬鹿やろ! 帰ってションベンして寝ろ! この腐れ魔女!!」
「あらいやだ、下品ねえランシー。腐れ魔女、ねえ。まあ、別に間違っちゃいないけど、どうせ呼ぶなら、『貴腐人』とでも呼んでもらいたいもんだわ☆」
と、ランシエールの罵声を、悠然と受け流すパンドリアーナ。
「魔王様、御身体の御加減はいかがですか?」
と、うやうやしく問いかけるナルガルーシェ。
「ありがとうございます。つわりもおさまりまして、体の調子はすごくいいですよ。なにしろ、毎日愛する人と過ごしていられますからねえ。これで体の調子がよくなかったら嘘というものです」
と、にこやかにこたえるレナントゥーリオ。
「魔王しゃん、卵ちゃん産まれたら、ぼく、あっためるの手伝ってあげるけんね」
「ありがとうございます、オリエンヌさん」
「赤ちゃん産まれたら、抱っこさせてくれえや」
「ええ、もちろん、喜んで」
「……人間界だったら、私とレナンさんの子供と、現時点での次期魔王候補、オリエンヌさんとのあいだに、血で血を洗う抗争が起こったり、家臣達が、魔王の嫡子派と、現時点での次期魔王候補派とに分裂したりするんでしょうが、ね」
と、奇妙な笑みを浮かべてつぶやくアヴェリオン。
「なんでそんなことせなならんのやあ?」
オリエンヌは、心底不思議そうに首をひねった。
「人間と血が混じると、子供の寿命はすごく縮むことくらい、ぼくかて知っとるで。魔王のおじしゃんと、勇者しゃんの子供が、魔王になりたいっていうなら、ぼく、その子が寿命で死ぬまで待ってあげてもかまわんのやで」
「……あなたはきっと、親切で言ってくれているのでしょうね」
アヴェリオンの琥珀の瞳を、激しい苦痛がよぎった。
「私の、『人間』の血は、私達の子供から、そんなにも寿命を奪うんですね――!!」
「そんなふうに、考えないでください」
レナントゥーリオは、優しくアヴェリオンの肩をたたいた。
「あなたがいなければ、そもそも、私達の子供なんて、けっしてどこにも、存在することなんてできないのですから」
「それに、おじしゃんと勇者しゃんの子が、ぼくやおじしゃんみたいに、『魅了の魔眼』を持って生まれてくるかどうかもわからんしの」
オリエンヌは、のんびりとした声で言った。
「え? 『魅了の魔眼』?」
「ぼくや魔王しゃんの目みたいな、真っ赤な三つ目のことやあ。『魅了の魔眼』がないと、魔王にはなれんのやで?」
「ああ――その、深紅の三つ目が、あなた達の、『特殊血統』の、一目でわかる証明になっているんですね――」
「ええ、まあ、そういうことですね」
レナントゥーリオはかすかに微笑んだ。
「私が――というか、私の一族が、『魔王』に選出され続けているのは、ひとえにその、血統による特殊能力――生涯にただ一度だけ、絶対的な強者と運命的な恋に落ち、その『強者』を完全に魅了し、いわば、恋の奴隷、愛の奴隷と化してしまうという、その力ゆえ、ですからね――」
「魔王のおじしゃんは、むつかしいことを言うのう」
オリエンヌは、あっけらかんとした声で言った。
「ぼく知っとるで。ぼくが、次期魔王候補になれたんは、ナルガしゃんが、ぼくのこと好きになってくれたからや。ぼくに惚れてくれたからや。魔王のおじしゃんも、運命の人が見つかってよかったの。のう、勇者しゃん、魔王のおじしゃんはの、自分の運命の人が現れるのを、ずっと、ずうっと、待っとったんやで。だからの、勇者しゃん、おじしゃんのこと、大切にしてあげとくれや、の?」
「ええ、言われずとも」
アヴェリオンは、にっこりと笑った。
「あなたは本当に、誰からも好かれているんですね、レナンさん」
「『誰からも』じゃねーぞー。私は別に、そのひよひよ魔王のことなんかどーでもいい――ギャンッ!?」
「あらまあ。ランシーったら、『金色の大賢者』なんて呼ばれてるくせに、全然懲りないのねえ。お母さんの子宮の中に、思慮分別と学習能力とを、まるごと置き忘れてきちゃったのかしらねえ?」
アヴェリオンの情け容赦のない飛び蹴りをくらって吹っ飛んでいくランシエールをチラリと見やりながら、パンドリアーナはあきれたように肩をすくめた。
「さて、ここで、人類の期待の星、『金色の大賢者』ランシエール様は、将来の憂いと禍根を断つために、次世代の魔王候補を孕みやがってるひよひよおっさん魔王を――」
「よし、将来どころか、今現在ここにある憂いと禍根を断つために、今ここで、『狂気の復讐者』の二つ名を持つ私が、あなたのその周囲に害悪をふりまくしか能のなかった人生に終止符をうって差し上げましょう」
「どわったったった!? ひ、人の話は最後まで聞けーーーーーッ!!」
「時間の無駄です」
そう言ってのけるなり、真剣を振りかざして賢者ランシエールに襲いかかる勇者アヴェリオン。
「ぎゃああああああああッ!? て、てめえ、わ、私が今、超高速で防御魔法を多重展開させてなかったら、おまえは人殺しになっていたところだぞ!?」
「ああ、それでしたらもうなっておりますので御心配なく」
「サラッとそういうこと言うんじゃねえ!!」
「……やっぱり、後顧の憂いは絶っておくべきですかね?」
アヴェエリオンは、もの思わしげな顔でそうつぶやいた。
「はあ? 何がなんだって?」
「ですから」
アヴェリオンの唇に、凄絶な笑みが浮かんだ。
「後顧の憂いを断つために、人類を絶滅、あるいは、それに近いところにまで追い込んでおこうか、と考えているんですよ、私は」
「……やめとけ」
――不意に。
賢者ランシエールは、ひどく真面目な顔で言った。
「おや、あなたにも、人類愛のかけらだかなんだかはあった、ということですかね、今のその発言は?」
「……おめえ、あのひよひよおっさん魔王のことを、そんなに不幸にしてえのか?」
「……なんですって?」
「私が賢者じゃなくったってわかることだぜ」
ランシエールは、ひどく静かな声で言った。
「おめえが――自分の恋人が、ほかならぬ、『自分』のために、てめえの仲間を、この世界から根絶やしにした、なあんてことを知っちまったら――あのお人好し魔王のやつは、その後どんなに長い生を送るとしたところで――二度と幸せになるこたあ出来ねえだろよ」
「…………やはり、曲がりなりにも、『賢者』と呼ばれるだけのことはあるんですね、あなたも」
アヴェリオンもまた、静かな声でつぶやいた。
「…………でも…………」
「……でも?」
「…………私は、怖いんですよ…………」
「……何が怖いってえんだ、アヴェちゃん?」
「…………私は、私を信じていない」
「は? ……なんだと?」
「あの人を――レナントゥーリオさんを恨んでいる人なんていない。まあ、人間にとって、魔王は、ほとんど絶対的と言ってもいい、『悪』ですが、人間が憎んでいるもの、恨んでいるもの、恐れているものは、レナンさん本人ではない。『魔王』という地位、もしくは役割です。あの人は――誰にでも好かれる」
「私はあの貧相なおっさんのことなんか、好きでもなんでもねーぞー」
「それはあなたの心が、神だろうと悪魔だろうと魔族だろうとなんだろうと、一目見ただけで面をそむけさじを投げ、きびすをかえして立ち去らざるを得ないほど、歪み濁り、堕落し、汚れきっているからです」
「親切心で相談にのってやってるのに、あり得ない程ひどすぎる罵倒をされた!?」
「……私を憎み恨み、恐れる人達は、ほかならぬ『私』自身のことを、憎み恨み、そして――恐れて、いる」
アヴェリオンは、ひどく淡々と、そうつぶやいた。
「だから――だから――」
「……だから?」
「……幸いなことに、私には強大な『力』がある。そう、それはもう――私自身、ゾッと総毛立たずにはいられない程の、『力』が。だから――だから――」
「……だから?」
「だから――私のことを、憎み恨み、そして、恐れている者達は――私自身には、直接手を出しては来ない。ええ、今まではね――今までは、私には、何も、何も、何一つ、大切なものなどなかった。大切な相手などいなかった。だから――だからね、だから、よかったんですよ。私自身に手を出すことができないのなら、私の大切な物を壊せばいい。ええ、人間というものは――いえ、『人間』に限らず、そう思う者達はいくらでもいることでしょう。しかし、今までは――そんなものは、見つけることは出来なかった。私には、大切な物も者も、何一つありはしなかった。だから――私には、何の不安もなかった。けど――けど――!!」
「……だからって、復讐してきそうな相手を、根こそぎブッ殺しちまおうっていうのはあんまりじゃねえか? っつーか、いくらおめえだって、さすがに世界中の『人間』から恨まれてるってこたあねえだろ……」
「まあ、今のところはそうなのかもしれませんが、しかし、将来的にそういう事態に陥る可能性も、十二分に考えられますので」
「全人類と全魔族と、ついでに私のこれからの幸せな人生のために、今この場でアヴェ公の息をとめるか、超高位魔法を使って、異世界だか次元のはざまだかに封印したほうがいいような気がしてきたッ!!」
「どうぞ試して御覧なさい。まあ、当然私も、抵抗はさせてもらいますけどね?」
そううそぶき、凶悪極まりない笑みを浮かべるアヴェリオン。
「…………なんでこんなのが、『勇者』になっちまったんだ…………!?」
頭を抱えてそううめくランシエール。
「さあ? いったいどうしてでしょうねえ?」
そう言って、クスクス笑うアヴェリオンの、琥珀色の瞳の中でうごめいているものを見て、ランシエールは、ゾッと身を引いた。
「……もしかしたら」
ランシエールは、自分で自分の言っていることに驚いたかのように、その翡翠色の瞳を大きく見開いた。
「――もしかしたら、なんです?」
「もしかしたら――おめえが、あのひよひよおっさん魔王に出会ったのは――」
「……出会ったのは?」
「もしかしたら――ものすげえ、幸運だったのかもしれねえ――」
「…………いささか驚きましたよ。よもやあなたの口から、そのように理性と分別あふれる言葉を聞くことができようとは」
アヴェリオンは、どこか疑わしげにランシエールをにらみつけながら、それでも幾分とげとげしさを和らげた声でそう言った。
「……だがな、同時に……」
「……同時に?」
「おめえと、あのおっさんが出会っちまったのは――大いなる破滅の、序曲なのかもしれねえ――」
「…………あなたは、愛されたことがありますか?」
「なに? ――なんだと?」
「あなたは誰かから、心の底から愛されたことがありますか?」
「…………」
「……初めて、だったんです」
アヴェリオンは、かすれた声で、ささやくようにそう言った。
「初めて、だった。初めて――初めて――初めて私は、愛された――!!」
「……だからって、どうでもいい連中を、てめえが『不安』じゃなくなるために、皆殺しにしちまおう、なんて考えるのは、できればやめてくれよな」
ランシエールは、ヒョイと肩をすくめた。
「……泣く、でしょうね」
「なんだと?」
「私がそんなことをしたら――レナンさんは、きっと泣くでしょうね――」
「…………」
『金色の大賢者』は、何も言わず、『狂気の復讐者』の二つ名をいただいた、『勇者』の瞳にたゆたうものを、まるでため息をつくかのように見守っていた。
「うん、まあ、なんというか、行く先々で、『あなたのああいう映像だったら、国の予算の半分をブチこんででも、なんとしてでも見せてもらうところなのに、なんでよりにもよって、あんないやがらせの極みのような映像を送って来たわけ!?』と、人間のオスどもに泣きつかれて非常に困った。というか、魔族の全権大使に会って、開口一番言うことがそれか? まったく、戦場で万の敵を相手にするよりも、よっぽど気疲れしたぞ……」
とぼやきながら、生焼けの骨付き肉をバリバリと噛み砕く、魔界将軍ナルガルーシェ。竜人である彼女は、今は、非常に大柄で、凄まじいまでの美貌と、竜の羽根と尻尾とをもつ、力強い美女の姿をしているが、その食の好みなどは、その外見ほどは、竜身である時から変化してはいないようだ。
「あら、つまんないの。ねえねえナルちゃん、貴腐人はいなかったのかしら?」
と、可愛らしく小首を傾げ、綺麗にマニキュアを塗った白い指で、小さなフルーツタルトをつまみ上げ、パクリとほおばる、『宵闇の魔女』パンドリアーナ。
「きふじん? さて――女性はあまりいなかったなあ」
と、首をひねるナルガルーシェ。
「あら、なあんだ、つまんないの」
「……エーメ君、『きふじん』っていったいなんだい?」
と、お茶会の給仕をしながら、同じくお茶会の給仕を務める淫魔のエルメラートに、こっそり問いかける、インプのライサンダー。
「男の人どうしのイチャイチャが大好きなご婦人がたのことです」
と、あっけらかんと答えるエルメラート。
「ふーん、なるほど」
と、あっさりうなずき、そのまま給仕を続けるライサンダー。
「みぃんな、失礼やったあ」
と、そのかわいらしい丸いほっぺたを、さらにまんまるくふくらませてぼやくのは、次期魔王候補、オリエンヌ。その、深紅の三つ目と可愛らしい三本の角さえなければ、オリエンヌの容姿は端的に言って、ぽちゃぽちゃムクムク、もいもいした単なるちびっ子、である。
「みぃんな、ナルガしゃんとばっかりお話しして、ぼくのこと無視しよるんやあ。ぼく、次期魔王なのに。ぼくかて偉いのに!!」
「まあまあ、オリエンヌさん、人間さんの世界では、そのう……オリエンヌさんのような、『子供』の姿をしているかたには、政治的な発言権があまりないのが普通らしいですからねえ」
と、おっとりとオリエンヌをなだめるのは、今現在、まさに現在進行形で『魔王』を務めるレナントゥーリオ。オリエンヌと同じく、深紅の三つ目と可愛らしい三本の角さえなければ、その容姿は、単なるしょぼくれたおっさんである。ただし、命が惜しかったら、この魔王レナントゥーリオと、相思相愛、熱愛真っただ中にある、『勇者』アヴェリオンの前では、絶対にそんなことを言わないほうがいい。
まあ、その、漂白されたかのように青白い肌を見れば、オリエンヌやレナントゥーリオが、魔族に連なるものであることは、一目見ればなんとなくわかるのだが。
「そうなんかあ? でも、魔王のおじしゃん、ぼく、あれやで、ぼく、あんな連中よりも、ずぅっと年上やで?」
と、口をとがらせるオリエンヌ。
「でも、人間さんがたから見れば、どうしたってオリエンヌさんは、『子供』に見えてしまうんですよ」
やはりおっとりとそう言いながら、最愛の恋人の子供――というか、『卵』を孕んだ腹を、愛しげになでさするレナントゥーリオ。
「ぼくのが年上やのにー」
と、ぷーっとむくれるオリエンヌ。
「あなた、もうそんな歳なわけ?」
と、少し驚いたようにたずねる剣士サラスティン。
「もうすぐ100歳やで!」
と、大きく胸を張るオリエンヌ。
「あら――それじゃ、魔王さん、あなたが産む子供も、何十年も、『子供』の姿のままなわけ?」
と、レナントゥーリオを見やって首をかしげるサラスティン。
「ええと、アヴェさんの血が入りますからねえ。もっと早く成長すると思いますよ。まあ、普通の人間さんよりは、いくらか大人になるのが遅いかもしれませんが」
と、ニコニコこたえるレナントゥーリオ。
「楽しみやなあ。赤ちゃん、早く見たいなあ。ぼく、ぼくよりちぃっちゃい子なんか、めったに見たことないんやあ」
と、うれしそうに言うオリエンヌ。
「魔族は、子供が生まれにくいものねえ」
魔女パンドリアーナが、フッとため息をもらした。
「その割には、魔王ちゃんは、びっくりするほど早く、子供を孕んでくれたけど。これはやはり、腐り神の大いなるお導きよね☆」
「その神様は、私は存じ上げておりませんねえ」
と、のんきな声で言うレナントゥーリオ。
「人間は、あっという間に増えるからなー」
と、どこか感心したように言うナルガルーシェ。
「人間と血を混ぜたほうが、子供が生まれやすくなるだろうっていうことはわかっているんだが――しかし、なあ――」
「そやねえ……」
「あなたがた、もしかしたら、種族の『純血』とかにこだわってるわけ?」
と、小首をかしげるサラスティン。
「純血? いや、そんなものにこだわりはないぞ。だいたい、私とオリーちゃんだって、種族が違うといえば違うには違いないんだから」
と、肩をすくめるナルガルーシェ。
「だったら、どうして?」
「……それは……」
「……えっと、やね……」
「……寿命、ですよ」
不意に。
レナントゥーリオが、静かにそう告げた。
「人間と、血を交えますとね――私達は、自分の、子や、孫や、ひ孫たちが、次々と、自分より先に死んでいく姿を、ずっとずっと、ずっと、見つめ続けていくことになるんですよ――」
「……後悔、してるの?」
サラスティンは、ポツリとそう問いかけた。
「後悔なんか、しませんよ」
レナントゥーリオは、にっこり笑ってそうこたえた。
「……『真に辛いは 取り残されて』」
パンドリアーナが、ポツリとつぶやいた。
「この世界ではない、どこか別の世界の物語の中に、こんな言葉があるそうよ。『死んでいく身の なに辛かろよ 真に辛いは 取り残されて』。そう――本当につらいのは、死んでいくほうじゃなくて、取り残される側なのかもしれないわね、もしかしたら――」
「それでも私は、幸せですよ」
レナントゥーリオは、晴れやかな笑みを浮かべた。
「それでも私は、とっても幸せです」
「幸せなんが、一番やよ」
オリエンヌは、うんうんとうなずいた。
「ええ、ほんとに、幸せなのが――!?」
レナントゥーリオは、下腹を押さえて、大きく息を飲んだ。
「ま、魔王のおじしゃん、どないしたんや!?」
「あ、あの……え、ええと……も、もしかして、これがそうかな? はは……も、もう、そんな時期になってたんですねえ、考えてみれば……」
「まさか!?」
「魔王様!?」
ナルガルーシェとライサンダーが、ハッと大きく息を飲んだ。
「勇者様を、お呼びしてまいりましょうか?」
エルメラートが、きびきびと問いかけた。
「ええ、あの……お、お願い、できますか……?」
「あら、まあ、レナンちゃんったら」
パンドリアーナは、そのふくふくとした両手を、ハタとうちあわせた。
「それってもしかして――もしかして、陣痛なの!?」
「あの……ええと……は、はい……ど、どうやらそのようですねえ……」
レナントゥーリオは、フニャリとした笑みを浮かべた。
「――!?」
カクン――と、ひざをつき、ポカンと開いた口から、声を出すことすらできないで。
茫然自失する勇者アヴェリオンを、賢者ランシエールと、淫魔エルメラートもまた、茫然と見つめた。
「……勇者様?」
エルメラートは、そっとアヴェリオンに声をかけた。
「あの――ごめんなさい、ぼく、何かおかしなこと言っちゃいましたか? ごめんなさい、あなたがた人間の感覚と、ぼく達の感覚って、ずれてることが多いから――」
「いや、おめーは別に、何もおかしなことなんか言ってねえぜ。要するにあれだ、あの、ひよひよおっさん魔王が、この悪人面陰険暴力勇者アヴェリオンのガキを、出産――だか、産卵だかしやがるって教えに来たんだろ?」
「あ、はい、そのとおりです。あの――魔王様、できれば、卵を産むときに、勇者様におそばについていてほしいっておっしゃってらっしゃるんです。まあその、魔王様はああいう御方ですから、別に無理していらっしゃらなくてもいい、とは、おっしゃってらっしゃるんですけどね。でも――ぼくは、勇者様に、魔王様のおそばについていてあげてほしいです」
「…………私の、子供…………」
「落ちつけアヴェちゃん。たとえおめーの子供が、おめーそっくりの、陰険でひねくれまくってて、それでいて衝動的で凶暴で、につめた鳥餅よりねちっこくって厭味ったらしい性格をしてやがって、そんでもっておめーと同類嫌悪で嫌いあって、元気よくおめーの寝首をかきに来るような、そんなガキに育つとしたって、おめー、あれだぞ、今からおっさん魔王が産もうってえのは、赤ん坊どころか、卵だぞ? おめーが今からビビる必要はねーって」
と、慰めるているんだかおちょくっているんだかわからないようなことをベラベラとまくし立てる賢者ランシエール。
「…………私は」
アヴェリオンは、泣き出しそうな顔でつぶやいた。
「私は、ちゃんと――ちゃんと、自分の子供を可愛がれるんでしょうか――?」
「んなこと知るか」
ランシエールは、すげなくそう言い放った。
「まあ、ふつーは自分の子供は可愛がるんじゃねーの? 私のじっちゃも親父も、私のことは可愛がってくれたぞ。……おふくろは、早くに死んじまったから覚えてねえけどよ……」
「……私の両親は、早くに死んだわけではありません」
アヴェリオンは、ポツリとそうつぶやいた。
「けれども私には……両親の記憶がほとんどない……」
「はあ? そりゃまたどういうこった?」
「…………簡単なことです」
アヴェリオンの唇に、ひどくうつろな笑みが浮かんだ。
「私の両親は……私のことが、ちっとも好きじゃなかったんですよ……」
「……まあ、よくあるこったな」
ランシエールは、ヒョイと肩をすくめた。
「折り合いの悪ぃ親子なんざ、この世の中に掃いて捨てるほどいるぜ」
「そうですよー。ぼくら魔族の中にだって、仲の悪い親子はいっぱいいますよー。ぼくの知りあいの淫魔の親子は、おんなじ人を好きになっちゃって、その人のとりあいで、ものすごい大決戦してましたよー」
と、あっけらかんと言うエルメラート。
「…………あなたがたは、優しい、ですね」
アヴェリオンは、そう言って、ほんのわずか微笑んだ。
「おおっと、おめえがそんな殊勝なこと言いやがると、あとで何か反動がきそうでおっかなくってしゃあねえぜ」
と、肩をすくめるランシエール。
「ぼくは、勇者様が、御子様のことを好きになれるかどうかなんてわかりません」
やはりあっけらかんと、エルメラートは言ってのけた。
「でも、勇者様が魔王様のことを愛してらっしゃるのは、これはもう、どう間違えようもない事実です。ですからあの、御子様のことを好きになれるかどうかは、とりあえずおいておいて、今現在大変な思いをしてらっしゃる、魔王様のおそばに、行ってあげていただけませんかねえ? そうしてくださったら、魔王様、きっとものすごく、喜ばれると思うんですよ、ぼく」
「……それは、そのとおりですね」
アヴェリオンは、スッと背筋を伸ばした。
「――行きます。あの人のもとへ」
「ありがとうございます」
エルメラートは、ニコリと微笑んだ。
「大丈夫ですよー」
エルメラートは、ニコニコと言った。
「たとえ勇者様が、自分の御子様のことをあんまり可愛いと思えなくても、魔王様だったらきっと、勇者様の分も、御子様のことを可愛がられるでしょうから。別に何の問題もありませんよ」
「……あなたのように生きられたのなら、幸せなのかもしれませんね」
「ええ。ぼくは毎日、とっても幸せですよ」
「……どうして私達は、幸せになるのが下手なのでしょうか……?」
「勝手にひとくくりにまとめるんじゃねえよ。……と、言いてえところだが」
賢者ランシエールは、ヒョイと肩をすくめた。
「おめーの言ってることも、あながち間違いじゃあねえのかもしれねえなあ……」
「まあ、あれですよ」
アヴェリオンもまた、ヒョイと肩をすくめた。
「いかな私だって、『卵』のことを、憎んだり嫌ったりすることは、非常に難しいでしょうから、ですからまあ、それなりに、猶予期間が与えられたと、言って言えなくもありませんね」
「……『卵』のことを、憎んだり嫌ったりするやつがいたら、そりゃあ確かに、そいつはかなりイカレてやがんな……」
ランシエールは、大きく一つ、ため息をついた。
「あ――アヴェさん」
魔女パンドリアーナと、インプのライサンダーに付き添われ、部屋の外には、無敵の竜人、魔界将軍ナルガルーシェを護衛に侍らせ。
魔王レナントゥーリオは、寝台の上で、フニャリとした笑みを浮かべた。
「わ、わざわざすみませんねえ。あの……なんというか、あの……」
「――レナン」
アヴェリオンは、自分に向けて差しのべられた、レナントゥーリオの、細く、小さく、青白い手をそっと、だが、懸命に握りしめた。
「レナン――レナン――ああ、レナン――レナントゥーリオ――!!」
「……ほんとに、親孝行な子ですよ」
レナントゥーリオは、愛おしげに、自分の下腹をなでさすった。
「卵で産まれてくる時と、卵から産まれてくる時――孵化する時と、二度も私達を喜ばせてくれるんですから。ほんとにほんとに、いい子ちゃんです。ね――アヴェさんも、そう思いますよね――?」
「思いますよ」
アヴェリオンは即答した。
「この子はほんとに――ほんとにほんとに、いい子ちゃんです――!!」
「……道が開いたら、すぐ、生まれると思います」
「道?」
「ああ、ええと――産道、って言えばいいんですか? それが開いたら、なにしろ卵ですからね。ツルッと出てきちゃいます、はい」
「……何色でしょうね?」
「え?」
「卵の色は――いったい、何色でしょうね?」
「私にも、わかりません」
アヴェリオンの言葉に、レナントゥーリオはクスリと笑った。
「アヴェさんは、何色の卵がいいですか――?」
「何色でもかまいません」
アヴェリオンは、静かに微笑んだ。
「ただ――無事に生まれてきてくれさえすれば――」
「アヴェさんは、本当に優しいですねえ」
「…………優しいのは、私ではなくて…………」
アヴェリオンはそっと、レナントゥーリオの手を、自分の頬にあてた。
「アヴェ、あんたはこっちに来なくていいから」
魔女パンドリアーナはあっさりと言った。
「うかつに出産の生々しいところをバッチリ目撃しちゃって、不能になる男も結構多いんだから。あんたはそこで、レナンちゃんの手を握って、顔を見て励ましてあげてなさい。……それにしても」
と、チラリとインプのライサンダーを見やるパンドリアーナ。
「あなた達……」
「あ、俺は大丈夫ですよ。魔王様の産卵を見たって、不能になったりなんかしませんから」
「……そうじゃ、なくて」
パンドリアーナは、フッとため息をついた。
「あなた達、よく、自分達の魔王様の出産なんて一大事を、自分で言うのもなんだけど、その、当の魔王を討伐しにきた、『魔女』なんかにホイホイ任せるわねえ」
「いやあ、あなたが本気で邪魔する気だったら、今さら産室に入れようと入れまいと、そんなのあんまり関係ないでしょ」
と、あっさり言い放つライサンダー。
「まあ、それはそうだけどねーw」
「……女の人は、大変ですよねえ」
と、顔じゅうに脂汗を垂らしながらも、そんなのんきなことを言う、魔王レナントゥーリオ。
「だって、赤ちゃんは、卵よりずっと大きくて、ずっと形も複雑なのに、それでもきちんと産む……あ、いたたたた……」
「そりゃあ、女はそのために、骨盤広くしたりして頑張ってるんだから」
と、誇らしげにパンドリアーナが言う。
「……私が代わりに産んであげられればよかったですね」
レナントゥーリオに、きつく手を握り締められながら、勇者アヴェリオンは、真剣な顔でそうつぶやいた。
「私のほうが、あなたより、若くて体も丈夫なんですから、私が産んであげられればよかったですね……」
「そ、それじゃあ、その代わりに、卵をあっためるの、手伝ってください」
「はい、もちろん!」
「……いい子ですね……」
レナントゥーリオは、フッと、陣痛の痛みを忘れたかのように優しく微笑み、その細い手を伸ばして、アヴェリオンの頭を優しくなでた。
「いい子、いい子……アヴェはほんとに、いい子、いい子……」
「――!!」
アヴェリオンの体が激しく震えた。パンドリアーナもライサンダーも、それを見ても、何も言わなかった。
「あ、あ、あ、あッ!!」
ガクン――! と、レナントゥーリオの体がのけぞる。その細い体を、アヴェリオンは懸命に抱きしめた。
「あ、あの、パンディさん、ライサンダーさん、も、もう産まれるんですか!?」
「あんた、もうちょっと気長になりなさいよ、アヴェ。そんなに
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