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三日月の社の前で暁丸が所在なげにしていた時点で、ミズハにはすでに予感があった。
「暁丸様、三日月様はどうなされましたか?」
「あいつ、卵産むからしばらく一人にしてくれって」
「なるほど、そうでしたか」
「まあ、確かに卵産む時はそばに誰かいないほうが落ち着くよな、うん」
暁丸は、自分を納得させるように小さくうなずいた。
「私達人間だと、子供を産むのに他人の力を借りたりしますが」
「だって、三日月は人間じゃねえだろ」
ミズハの言葉に暁丸はあっさりとそうこたえた。
「それは、確かにそうですが」
「それに、助けが必要なら三日月は俺にそう言うよ」
「それは――その通りですね、ええ」
ミズハは真面目な顔でうなずいた。
「でも、俺、三日月が卵産むとこ見てみたかったのにな」
暁丸は、ちょっと口をとがらせてそうぼやいた。
「きっと、次の御子様か、次の次の御子様の時には見せて下さいますよ」
ミズハは小さく笑いながら暁丸にそう請けあった。
「そうか? ほんとか?」
「三日月様も、今は初めての御産だから、なんというかその、ちょっと気が立っていらっしゃるんですよ。あのかたはとても御優しいかたですから、暁丸様のその御気持ちも、きっとよくわかってらっしゃいますよ。ただ、今はまだ、初めての御産だから、御産のことしか考えることが出来ずにいるのだと思いますよ」
「……そっか。おまえ、頭いいな」
暁丸は真顔で言った。
「頭がいい――というんでしょうか、こういうのって?」
ミズハはクスンと苦笑した。
「だって、俺、そんなこと全然わかんなかったぞ」
「それは、暁丸様がとても御強いからですよ。強いかたは、弱いもののことがわからず、出来るかたは、出来ないもののことがわからないんです」
「俺は三日月より強いから、三日月のことがわからないのか?」
「もちろん、全然わからない、ということはないと思いますけど。けれども、ええ――わからないことも、やっぱりあるんだと思いますよ」
ミズハは、この、少年の姿を仮初めにまとっている紅竜の化身にこんなことを言うのは、もしかしたら不遜極まりないことなのではないか、と、内心冷や汗を流しつつ、それでも自分を抑えておくことが出来ずにそう言った。
「……そっか、なるほど」
暁丸は、真顔で大きくうなずき、次の瞬間、フッと顔を曇らせた。
「じゃあ、俺、産まれてくるガキのこともわかんねえのかな?」
「それは、三日月様も同じだと思いますよ」
「え?」
「いかに竜の血を引く御子様とはいえ、産まれたばかりの時はきっと、三日月様よりお弱いでしょうから」
ミズハは、自分でもなぜこんな話を続けているのか、その理由が自分でもよくわからぬままに、何かに突き動かされたかのように言葉を紡いだ。
「ですから、強いかたが弱いもののことがわからない、という理屈からしたら、三日月様だって、産まれてくる御子様のことがわからない、ということになります」
「おまえ、やっぱ頭いいな」
暁丸は無邪気な顔でそう感心した。
「じゃあ、おまえらは?」
「え?」
「おまえら人間は、産まれてくるガキより、強いのか? それとも弱いのか?」
「それは――わかりません。人間の中にも、強いものも弱いものもおりますし」
「そうか、なるほど」
暁丸は素直にうなずいた。
「おまえは?」
「え?」
「おまえは、人間の中では強いほうか? それとも、弱いほうか?」
「え、さ、さあ……極端に強くも、極端に弱くもない、と、思いますけど……」
「ふーん、そんなもんか」
暁丸は軽くうなずいた。
「それだと、わかんねえか?」
「同じ人間の赤ん坊のことだって、よくわからないんですよ、私達」
ミズハはおかしそうにクスクスと笑った。
「ああ、それじゃあ無理だよなあ」
暁丸は真顔で納得した。
「暁丸様は、御優しいんですね」
「俺が? なんで?」
「だって、今からそんなに御子様のことを気遣ってらっしゃいますから。もちろん、三日月様のことも」
「俺は、ただ知りたいだけだよ。優しいとか、そういうの、あんまり関係ねえんじゃねえかなあ?」
暁丸は、きょとんとした顔でそう言った。
「それでも、私はやっぱり、暁丸様はお優しいかただと思います」
「ふーん。まあ、おまえがそう思ってても、俺は別に困ることなんかなんにもねえから、好きにすりゃいいけど」
きょとんとした顔のまま、不思議そうに首をひねる暁丸の姿に、ミズハが小さな笑みを漏らした、その、時。
何かが揺らいだ。
何かが揺らいだことを、暁丸もミズハも感じた。
「……おまえにも、わかったんだな」
暁丸の言葉は、純然たる確認だった。
「はい」
ミズハはきっぱりとうなずいた。
「三日月――ありがとう」
暁丸が、社の中の三日月に、真っ先に言った言葉はそれだった。
「……無事、産まれたよ、暁丸」
社の中から、幾分弱々しい、だが、この上なく誇らしげな、この上なく幸せそうな、三日月の声が響いた。
「もう、中に入ってもいいか、三日月?」
「ああ、ええと……暁丸、そこに誰かいるのだろう?」
「え? ああ、うん、ミズハがいる」
「だったら、その……申し訳ないが、ミズハちゃんが帰るまで、社の扉を開くのは、少し待ってくれないかな、暁丸」
「え? なんでだ?」
「だって……私は今、完全に、蛇の姿になってしまっているんだよ」
三日月の、どこか申し訳なさそうな声が響いた。
「だからその……ミズハちゃんが見たら、びっくりしてしまうだろうし……」
「三日月様、私、そんなの平気ですよ」
ミズハは思わず口をはさんだ。
「……ありがとう。でもね、ミズハちゃん、私は今、御産をしたばかりでね……」
「あ……すみません、御邪魔ですよね、私がいたら」
「いや、邪魔というか……」
「なあ、ミズハ」
不意に。
暁丸が、真剣な目でミズハを見つめた。
「三日月、今、すっげえ疲れてるんだよ」
「あ、はい、すみません、気が利きませんで――」
「だからさ」
ミズハの言葉にはまるでお構いなしに、暁丸は自分の言葉をつづけた。
「三日月、今、蛇の本性が抑えられなくなってきちまってるんだよ」
「はい、うかがいました。今、三日月様は、完全に蛇の御姿になられていらっしゃると――」
「わかんねえのか?」
暁丸は、驚いたように目を見張った。
「なあ、ミズハ、おまえさあ、三日月じゃないでかい蛇が、おまえのすぐそばにいてもそんなに平気な顔していられるのか?」
「え? あの、ええと、そ、それはさすがに無理ですけど――」
「なんで無理なんだ?」
「だ、だって、その……三日月様の前でこんなことを申し上げるのは申し訳ないんですが、やっぱり、その……食べられちゃいそうで、怖いです……」
「だろ? 蛇ってそういうもんなんだよ」
暁丸は大きくうなずいた。
「もう一度言うぞ。三日月は、今、すっげえ疲れてて、自分の『蛇』の本性が、抑えられなくなってきちまってるんだ」
「……え……」
ミズハは息を飲んだ。ミズハの顔からスゥッと血の気が引いた。
「でも、あいつは我慢するだろうけどな。三日月は、そういうやつだ」
暁丸は、真摯な、そして、ひどく気遣わしげな、同時にこの上なく愛しげな目で三日月のいる社のほうを見やった。
「それでもやっぱり、おまえにそばにいられるのはつらいんだよ。おまえが平気とか平気じゃないとか、そんなの全然関係ないし、おまえのこと邪魔だと思ってるわけでもねえんだ。ただ、つらいんだよ。出来ればそれ、わかってやってほしい」
「……わかりました。御教えくださり、本当にありがとうございます」
「三日月は、おまえらのことが好きなんだ。この村の連中みんなのことが、すっげえ大好きなんだよ」
暁丸は、真摯な顔でそう言い切り。
「――だから、すっげえつらいんだよ、今」
と、静かな声でつけくわえた。
「――失礼します。暁丸様、三日月様、日を改めまして、いずれ、また」
ミズハはわずかに瞳を潤ませながら、暁丸に、そして、未だ社に籠ったままの三日月に、深々と丁重な礼を捧げた。
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