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境内に紅い毛氈を敷いて、その上にちょこなんと座り、その傍らに朱鷺色の大きな卵が入った、その内側にやわらかい布が敷き詰められた駕籠を置き、人間の姿でのんびりと日向ぼっこをしている三日月を見て、ミズハは何かひどく微笑ましいような気分になった。
「こんにちは、三日月様。御加減はいかがですか?」
「ああ、ありがとうミズハちゃん。気分はとてもいいよ。幸い、産後の肥立ちもいいようだしね」
「こちらが、御子様ですか」
「ああ、私と暁丸の子供だよ」
「御名前は、もう御つけになられたんですか?」
「いや、名前は、卵から孵ってからつけようと思ってね。どんな子供が産まれてくるのか、私達にもまだわからないし。暁丸は、私に名前をつけて欲しいと言っているんだ。私が暁丸に名を贈ったように、私達の子供にも、私から名を贈ってほしいのだそうだ」
「ああ、その御気持ちはわかるような気がします」
「でも、次の子供の名前は、暁丸につけてもらおうと思っているんだ」
三日月はそう言いながら、幸せそうにほったりと笑った。
「それは、とてもいい御考えだと思います」
ミズハもまた、満面の笑みを浮かべた。
「そういえば、暁丸様はどちらに?」
「ああ、狩りに行ってくれているんだ」
「狩りに、ですか」
「私に、生きがよくて美味しいものを食べさせたいんだそうだ。それに、暁丸はどうやら、もともと狩りが好きらしい」
「ああ、いかにも御好きそうですよねえ」
「ああ、まったくだ」
ミズハと三日月は、顔を見あわせてクスクスと笑った。
「御子様は、いつごろ卵から孵られるんですか?」
「さあ、私にもよくわからない。けど、すくすくと育ってくれているからね。そんなに長いこと待たずにすみそうだ」
三日月は愛しげに、朱鷺色の大きな卵を撫でさすった。
「――三日月様」
「なんだい、ミズハちゃん」
「三日月様が御幸せそうで、本当によかったです」
「ありがとう。そんなことを言ってもらえる私は本当に幸せ者だ」
「……あの」
「なんだい?」
「つかぬ事を御うかがいしますが」
「うん、なにかな?」
「御子様は、いつごろから三日月様や暁丸様のように、仮初めに人間の姿をまとうことがお出来になられるようになるんでしょうか?」
「この子だけの力だったら、それはもちろん、この子がそれなりに大きくなってからでないと無理だろうけどね」
三日月は、卵を撫でながらゆっくりと言った。
「けれども私は、この子が産まれてきたらすぐに、この子を人間の赤子の姿に封じてしまおうと思っているんだ」
「え? 封じる――?」
「なにしろこの子は、竜の血を引く子だから」
三日月は、フッと吐息を漏らした。
「この子に悪気がなくても、産まれたままの姿でいたら、力が強すぎて周りの者達を傷つけてしまうかもしれない。だから、この子がある程度育って、自分の力を自分でそれなりに制御することが出来るようになるまでは、私はこの子のことを、人間の赤子の姿に封じておこうと思っているのだよ。人間の赤子というのは、なんというかその――大変に、身体能力の低い生き物だ。だからこそ、この子を封じる姿としてはちょうどいい」
「……なるほど」
ミズハは、驚愕に目を見開きながらも大人しくうなずいた。
「御教えくださり、ありがとうございます」
「まあ、もしかしたら、私の血が強く出て、それほど力の強い子にはならないかもしれないけど」
「あの……三日月様も、私達人間から見れば、十二分に御強いんですけど……」
「え? ――ああ、そうだったっけ」
三日月はすっとぼけた顔でうなずいた。
「けれども、暁丸よりはずいぶん弱いよ」
「そうだとしても、私達からすれば、三日月様も暁丸様も、どちらも大変、御強いです」
「なるほど」
三日月は、ちょっとおかしそうに笑った。
「だったらやっぱり、この子の力はしばらく封じておかないといけないな」
三日月は、ふと真顔になってそう言った。
「暁丸様は、御承知なんですか?」
ミズハはふと不安にかられてそうたずねた。
「もちろん承知だよ。暁丸も賛成してくれている。だいたい、暁丸が承知してくれなければそんなことは出来るはずもないよ」
三日月は、ミズハを安心させるように微笑みながらそう言った。
「そうですか。――そうですよね」
ミズハは、ちょっと照れくさそうに笑った。
「ねえ、三日月様」
「なんだい、ミズハちゃん」
「御子様が人間の赤子の姿になられたら――私達にも、抱っこさせてくださいますか?」
「ああ、もちろんだよ」
三日月は莞爾と笑った。
「むしろ、私のほうから頼みたいくらいだよ。抱っこしたり、遊んだり、いろんなことを教えたりしてやってほしい。私の――私と、暁丸の子に」
「はい。もちろん、喜んで」
「ありがとう、ミズハちゃん」
三日月は、ふとミズハのほうに手を伸ばしかけ、ミズハの頭に触れる直前にハッとその手をとめた。
「――いけないいけない。ミズハちゃんはもう、小さな子供じゃないのにね」
「もしかして、三日月様、今私の頭を撫でて下さろうとなさったんですか?」
「ええと――うん、つい、ね。ごめんよ、子供扱いするつもりはなかったんだ」
「別に、そんなことで気を悪くしたりなんかしませんよ。むしろ、三日月様に頭を撫でていただけたらうれしいですよ」
「そうかい? それならいいんだけど」
そう言いながら、三日月は再び手を伸ばして、ミズハの頭をそっと撫でた。
「…………」
ミズハは、ふと思った。
三日月は、自分が子供のころから――いや、自分が産まれる前から今と変わらぬ姿で小望月村の蛇神、小望月村の守り神を務めている。暁丸も、見た目はあんな少年だが、その実、人間などとは比較にならぬほどの歳月を経巡ってきた存在であるのだそうだ。
では、この卵の中でこの世に産まれ出るのを待つ幼子には、いったいどれほどの歳月が待ち受けているのだろうか?
「……三日月様」
「なんだい?」
「私の――私達の子供が大人になるころ、御子様は、いったい――御幾つくらいに、なられていらっしゃるのでしょうね――?」
「…………」
三日月の緋色の瞳がミズハをジッと見つめ、ややあって、そのまなざしがふと和み、三日月の唇には笑みが浮かんだ。
「それは、実のところ私にもよくわからないのだけれど。けどね――」
三日月は、朱鷺色の大きな卵を静かに見つめながら噛みしめるように言った。
「この子がきっと、とても幸せに暮らしているのだろうということは、とても簡単に予想することが出来るよ。この子がどれくらい成長しているのか、その時どんな姿をしているのか、私にはまるでわからないのだけれど、それでも、この子がきっと、とても幸せにすごしているのだろうということは、とてもよくわかるのだよ、私は――」
「……三日月様……」
ミズハは、大きく息を飲んだ。
そして、唇を開きかけ――また、閉じた。
「あの、三日月様、こんなことを申し上げるのは、もしかしたら御無礼にあたるのかもしれませんが」
言葉としては、ミズハはこう言った。
「もしも御許しいただけるのなら、私は、その――御子様に、この手を触れてみたいのですが」
「ああ、もちろんいいよ。優しく触ってあげてくれ」
「ありがとうございます。――失礼します」
朱鷺色の卵は、紅い竜と白い蛇の子は、ミズハの指先に、じんわりとしたぬくもりを、静かに静かに、伝えてきた。
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