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2.✧再会
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✧✧✧✧
すごい雨だ。
午後から急に降り出した雨は更に強くなっていて、ベランダに打ちつけてくる雨粒の大きな音が静かな広いダイニングに響く。
旭を連れて帰宅した俺は、どうしたものか悩んでいた。病院からここに来るまで会話は一切なかった。
話すならちゃんと向き合って話したいと思ってあえて俺が話さないようにしていたのもある。でも実際のところは、何を話せばいいのか、何から話したらいいのか悩んでいた。
テーブルを挟んで目の前に座る旭はそわそわとして落ち着かない様子だ。少し離れたところにある窓の外を眺めたり、時折ちらりと横目で俺を窺うように見てきたり。まあ、知らない人間にいきなり知らない場所に連れて来られて、警戒や緊張をしない方がおかしいのだろう。
まったく行ったことのない場所であっても、旭が気に入った家具で揃えた家であっても、記憶喪失である今の旭には同じ知らない場所だ。そんなにガチガチに緊張しなくても良いと思うけど、これも仕方ない。
だって、記憶がないのだから。
旭はすべて忘れてしまった。
自分のことも、俺のことも。
医者によると精密検査やら問診やら色々した結果、記憶喪失と軽い打撲傷以外に異常はみられなかったらしい。どこかの階段下で倒れていたらしく、おそらく落ちた時の衝撃によるものだろうと医者が言っていた。記憶が飛ぶなんて、どれだけ打ちどころが悪かったんだか……。
病院からここまでの旭を見るに記憶がないのは本当で、いつもの旭――記憶があった時の旭とは打って変わって俺にベタベタしてこなかった。
「旭」
宙を見ていた旭の名前を呼ぶと、しばらく間があってからはっとして俺を見た。病院では『和泉さん』と呼ばれていただろうから、下の名前で呼ばれるのには慣れていないのだろう。
失くした記憶には自分の名前も含まれていたらしい。病院から名前を教えてもらうというのも、なかなかにやるせない。せめて自分の名前くらいは覚えていてほしかった、
「お前、自分が誰だか思い出せる?」
「…………いえ、何も……」
思い出せないことが悲しいのか、それとも「お前」と呼ばれた事が嫌だったのか、はたまたその両方なのか。微妙な表情で旭は呟いた。
「そう。じゃあ俺のことも知らないわけだ?」
「………………えっと、ごめんなさい……」
「まあ、仕方ないよね」
聞くだけ無駄だと分かっていて聞く俺に、旭は心底申し訳なさそうに項垂れた。こうして自分で確かめるまでは、記憶喪失だなんて嘘だ、そんなドラマみたいなことが起こるわけないと心のどこかで思っていたけれど、もう病室で会った時の雰囲気からして違った。演技をしているとか、そういうレベルじゃない。旭の中には、もう俺の欠片も残っていない。目の前でしゅんとしている人間は、俺の知っている旭じゃない。全くの別人だ。
覚悟していたはずの現実を突きつけられて、心臓のあたりがズキリと痛んだ。
「とりあえず、今必要な事は教えてあげる」
「……あ、ありがとうございます」
紙とペンを用意して、そこに必要だと思う旭の情報を書き出していく。
自分の事はなるべく知りたいと思っているのか、旭はペンを走らせる俺の手元をじっと見つめていた。先ほどまでの警戒心と緊張が幾分か解けているようだった。
記憶喪失だなんてイレギュラーすぎて、何を伝えれば良いのかも何が必要かも分からない。
好きなものについては書かなくてもいいだろう。そもそも今の旭の好みが分からない。
趣味については書かなくてもいいだろう。そもそも今の旭は何をして過ごすのか知らない。
以前の旭の人となりを書くことは、『前の旭はこうだった』って何も覚えていない旭に押し付けるようで書きたくなかった。結局、病院で教えてもらったであろう基本的な情報しか書けなかった。
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