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35.✧幸せなこと
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✧✧✧✧
昨日の夜、旭は逃げるようにリビングを出ていってから寝る時間になっても寝室に来なかった。一晩中、自分の部屋にいたみたいだけど、やはりここ最近の旭は何だか様子がおかしい。
悩み事があるなら聞き出してほしいと柚里にお願いしようとしたら会って話したいと言われ、それならばと今夜会うことにした。市倉との約束ははっきり決まっていないからノーカウントで、今の旭を一人で家に置いて誰かと会う約束をしたのはこれが初めてだ。
「旭、今日の夜、ちょっと出かけてくるよ。夕飯作り置きしておくね」
「え、ああ、うん、分かった。それじゃあ、行ってきます」
玄関で旭を見送る際にそう告げると、少し驚いていたものの深くは聞いてこなかった。
旭はどういうつもりか今日から電車で大学に行くそうだ。今朝急に言われた。近いし車で送ってくくらいどうって事無いのに送迎を拒否されてしまって普通に悲しい。
夜までに仕事を片付けて約束したバーで待っていると、待ち合わせの時間ぴったりに柚里が来た。一度家に寄って来たのか柚里にしてはラフな恰好だ。
「こんばんは、楓。待たせてしまってごめんなさい」
「いや、俺もさっき来たとこ」
「なら良かったわ」
柚里はカウンターの向こうにいる店員にカクテルを注文して、出来たカクテルをひと口飲んでから口を開いた。
「それで、私に何の用かしら?」
「旭、最近また何か悩み事があるんじゃないかと思って」
「……あぁ、そうね。あの子にとってもあなたにとっても悩み事ね」
どういう意味だと聞こうとして、柚里に言葉を被せられた。
「一応聞いておくけど、あなたは旭の記憶が戻って欲しいと思ってる?」
「……それは、どっちでも。戻らなかったら旭は自分の家庭を持てるだろうし、戻ったら戻ったで俺は嬉しい。……けど、俺的には前者の方がいいかなって」
「どうしてそう思うの?旭は自分の記憶が戻るのを望んでるわよ」
「…………記憶をなくしたのって、チャンスなんだと思う。正直なところ、俺ね、旭の子供を見てみたいって思うことがあるんだよ。……ずっと旭を見てきたけど、ふとしたときに考えるんだ。もしもあの時旭から離れていれば、旭はきっと今ごろ女の子と付き合って、将来的に家庭を持ててたかもしれないのに、って」
「……離れるとか、家庭とか……そんなの、あの子の気持ちなんて入ってないじゃない。旭の望んでることじゃないわ」
柚里の言う通りかもしれない。これは俺のエゴだ。でも、そう思うのは本当で、俺は絶対に叶えてあげられないことだから。俺が旭の子供を産めるわけでも、旭が俺の子供を産めるわけでもない。自然の摂理に従えば年上の俺の方が早く逝くし、旭を独り残すことになる。それならまだ可能性があるうちに……俺が諦められるうちに、旭には自分の家庭を持って愛すべき家族と幸せになってほしい。
前の旭の時は、旭の両親たちは認めてくれたけど、今の旭に同じ関係を強いることなんて俺にはできない。旭にはもう十分に幸せを貰った。そろそろ自由にしてあげてもいいんじゃないか、って思ってる。きっかけは前の旭でも、今の旭とは俺のわがままから始まった関係なんだから。
俺と今の旭の関係は、例えるなら"鳥"だ。親鳥と雛鳥の間の刷り込みで成り立つ関係に似ている。
病院という守られた空間から出て、初めての外の世界で頼れる人が俺だけだったから頼るしかなかった。そうなるように仕向けたのも俺で、旭が自分に懐くようにしたのも俺だ。
自分の記憶にいないはずの俺にこうも懐いているのは、前の旭に向けられた俺の愛情を、自分に対してのものだと受け取ったから。病院関係者じゃない、自分の面倒をみてくれていた『らしい』人だから。自分の知らない事を知ってる俺に、雛鳥のように懐いてるだけだ。
そして俺の方も、何も知らない真っ白な旭に『優しくて都合の良い幼馴染』という俺を刷り込んで、楓さん、楓さんと後ろをついてくる旭を可愛がってるだけだ。
もし旭が、俺と前の旭との関係に気づいてしまったら……所詮刷り込みによって築いた関係なんて、いつか簡単に壊れてしまうんじゃないか。
記憶をなくした旭が俺をずっと好いていてくれる確証なんて消えた。俺以外の人間と関わりを持って、世界を見て、そうしていつか俺じゃない誰かを好きになる日が来るとしたら……。
旭に捨てられる日が来るとしたら。
今ならまだ、刷り込みのせいだと言って離れられる。
「旭は俺の事を好きになっちゃいけないんだよ。今度はちゃんと、女を好きにならなきゃいけないんだ」
半分は旭に向けて、半分は自分に言い聞かせるように。
そう零した瞬間、パチンッと乾いた音が鳴って頬に痛みが走った。
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