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may.9.2017 新たな一歩
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理さんの実家の街は牧場が沢山あった。山奥にあるイメージだったのに、当たり前に町の中にも牧場がある。仔馬が細い足で走り回っている姿は可愛すぎて困るくらい。すぐ疲れちゃって母馬の近くで横になっているのもキュンキュンした。この界隈では一番大きな町らしい。理さんに言わせると「町の人間全員揃えても東京ドームの半分以下。」人口なんて考えたことがないからピンとこなくて笑うべきなのか頷くべきなのか迷ってしまった。緑が沢山、そして高い建物がほとんどなくて空が広い。トアさんが言っていた星の綺麗さが想像できた。
そして桜は圧巻だった。朝雨が降ったらしく、少し色が沈んじゃったかもしれないという理さん情報なんか吹き飛ぶスケール。桜の並木がずっと続いている。道路の両側に白から濃いピンクのグラデーションになった満開の桜が風にそよいでいた、花びらを散らしながら。桜の木の後ろは牧場と牧草地。海外の農場かと思うような馬舎と家屋は綺麗に手入れされている。牧草地は少しだけ伸びた草が一面の緑を作っていた。防風林の松が並び、この濃い緑が草の淡さと反比例して存在感を表している。
遠くの山脈は雪を抱いて青く霞んでいた。ピンク・・・緑・・・青、すべてがグラデーションを纏い目の前にある。
凄い・・・こんな桜みたことがない。スマホで写真をとってみたけれど、今目にしている景色の迫力と綺麗さとは比較にならなかった。記憶の中に留めておこう・・・こんなに綺麗な物が存在しているのが私の生きている世界だ。そう考えることができたら、きっと前に進める。何かに躓いたらこの景色を思い出そう。写真ではなく、自分の中にあるこの色を。
ツウと涙が流れた。感動して流れる涙もあるのね。トアさんが私の手を握ってくれたー何も言わずに。優しく微笑んで頷くトアさん。この景色を一緒にみられて・・・よかった。
「去年初めてここに来た時・・・何かに囚われた時、優しい気持ちを忘れそうになったら、この景色を思い出そうって。僕の悩みなんかここにある物にくらべたらちっぽけですから。」
「・・・私も同じようなことを考えていました。」
「同じことを思う・・・か。色々なことを共有できるのは幸せです。やっぱり貴女は特別だ。」
握りあった手に力をこめる。「私にとっても特別ですよ。」が伝わるように。
花びらがフワフワ辺りを漂う。
特別な人と、特別な場所に立つ。それがこんなに嬉しくて幸せだったなんて。
◇◇◇
バーベキューの前に皆はカットをするためにコンビニと同じ敷地にある美容室に向かった。トアさんは先週切ったばかりなので、理さんの義兄さんにご挨拶するため。私はお手伝いをするため。一番部外者な感じが否めないので、お手伝いくらいしなくちゃね。そして私は今日二度目の驚きに遭遇した。
「さっさとやっつけて肉を食うぞ~」
「よろしくお願いします。」
「え・・・南田・・さん?」
有名すぎる美容師の南田さんが・・・理さんの義兄さん?えええええ!!!!
「えらい久しぶりに聞く名前だ。忘れていたよ、そんな苗字。今は武本由樹なんだよね。」
「武本・・さんですか?」
「そ、お婿さんになったので、義理でもなんでもなく正真正銘の兄弟だよ、サトとは。」
「・・・そうですか。」
「俺のこと知っているってことは同業者?」
「はい。「soi」に居ます。」
「ソア・・・ああ、大通の。」
地元のメディアや雑誌によく出ていた美容師の南田さん。予約をとるのは大変、腕とセンスは折り紙付き。男女問わずファンが多く忙しい日々を送っていたはず。噂で田舎にひっこんだと耳にしたことはあったけれど、まさか!まさか、こんな所に引っこんでいるなんて!
予想外すぎて心臓がバクバクいっている。
「んじゃあ、今日手伝ってくれるかな。」
「はい!勿論です!」
SABUROは特別な場所ですよ。トアさんはよくそう言う。その度に私は羨ましいなって思ってしまう。自分の働いている店を特別な場所だなんて私は言えないから。そんな環境で働けるなんて素敵すぎる。でも今日私は二つの出逢いをした。強く美しい景色、そして憧れの美容師さん。
シネマレストランを見て思わずトアさんに声を掛けた。次はラーメン屋さん。
SABURO発信の番組がなかったらトアさんと出逢っていないはず。SABUROは特別というのは本当かもしれない。理さんのお兄さんがこんな所に!
私はやる気満々でGジャンを抜いてカットソーの袖を捲った。こんなチャンス二度とないかもしれない。素晴らしいテクニックを目に焼き付ける。
今日は焼き付けるものばかりだわ。
◇◇◇
「やっぱり人手があると早く終わるな。手伝ってくれて、ありがとう。」
「いえ!私のほうこそ勉強になりました。」
後片付けをしたら車庫に移動。車2台が入る大きさの車庫はバーベキューには絶好。
妙な興奮とともに手を動かす。毎日見慣れたスタッフのテクニックとは別物を見ることができた。飯塚さんのつむじは長所に変えられたし、ふんわりカットのハル君はボルドーのカラーリング。色白で目が大きいから、外国の男の子みたい。理さんの髪型を文字にしたら・・・快活かな。
「メガネ君のカットは坂口さんがしたの?」
「え・・・あ、はい。そうです。」
ニヤリとされてちょっと照れた。
「ダダ漏れだな。」
「ええ!」
「愛を感じたね~愛だね~」
「からかわないでください!」
「いや、愛って大事よ。今の俺にはそれが全てだ。いまだに田舎に引っこんだことをヤイヤイ言ってくるヤツがいるけど、都会だから幸せだってことにはならない。都会じゃないといい仕事ができないってこともない。ここではチビッコからおじいさん、おばあさんまで幅広いお客さんがいる。格好いい服に身を包む必要もない。流行の先端の情報を沢山蓄えて髪を切りながら披露する必要もない。飼っているペットの話、天気の話、新しい店ができた、運動会。そんな会話ばっかりだ。刺激的な生活もよかったけどね。退屈がダメな事みたいに考えるじゃない?退屈でいない為に、お金と時間を使う。
今はそんなことに時間やお金を使うのは嫌だね。美味しいものを食べたり、家族で出かける。そんなレベルで充分楽しい。今は何もしなくても退屈とは無縁だよ。」
「そう・・・ですか。」
「サラリーマンじゃなくて本当によかったってしみじみ考えるよ。綾子の顔を見ないで会社に缶詰になるような生活は無理だ。予約がない時間は家族と過ごす。「田舎で完全予約制?」って最初言われたよ。でもそれをいいと言ってくれる人もいる。仕事を自分でコントロールできるのがいい。前は違ったからね、店の都合に合わせていた・・・まあ働いている美容師は皆そうだろうけど。」
「そうですね。」
「綾子が幼稚園にいって運動会になったら、その日は予約を入れない。イベントの時はお断りする。それで離れてしまうお客さんがいるかもしれない。でもね、それはそれでしょうがないよ。商売っ気がないだろ?」
「でも・・・それって理想かもしれない。」
「やればいいじゃん。」
「・・・え?」
「結婚しても、子供がいても出来る仕事だよ。自分一人でするなら店舗は狭くていいし。自分について言くれる客を増やしていく。君についてきてくれる客だよ。その気持ちを持ては仕事が変わるはず。少し考えるようになったんじゃない?自分の将来。」
「ええ・・と。」
そしてまたニヤリ。
「僕は紗江を追いかけて押しかけちゃった。交際ゼロでプロポーズしたからね。札幌の美容室や仕事、知り合い達、全部消えても構わなかった。紗江がいれば・・・違うな、紗江がいないのなら生きている意味がないと思ったから。そして両親ができて、今は父親だ。今はとても生きやすい、そして気に入っている。
考えていることを手にするために今できることをする。僕ももう少し準備期間があればよかったけど、イキナリだったから。」
アハハハと笑う南・・・武本さんは本当にいい顔をしていた。
自分の将来・・・朧げな未来と自分の望み。「ずっと」「特別」を言ってくれるトアさんと私の気持ちは同じだ。ずっと・・・そうずっと。
自分でコントロールできる仕事。それを目指して今の仕事をすれば、武本さんの言う様に変わるはずだ。目標を持たずにずっと仕事をしてきた。
SABUROのような特別な場所を自分で作る。お客さんが笑って何かを得られる素敵な場所。
目の前が明るく開けた清清しさ。
「由樹、終わった?」
「終わったよ。今ざんざんノロケ話をしていた所。」
「まったく。坂口さん、ありがとうね。」
「いいえ、勉強になりました。」
「働き手が沢山いるからバーベキューの準備は万端よ。さ、行きましょう。皆待っているから。」
紗江さんは素敵な女性だ。イキイキとしている、そして綺麗。愛か・・・だろうな、こんな人が奥さんなら一緒に生きることが生きがいになるだろう。
「もちろん、今日の予約はすべてお断りしたよ。」
悪戯っぽく笑う武本さん。並ぶ二人はお似合いだ。
トアさん・・・私頑張ってみます。自分の望みを手にする為に、その先にある未来が自分にとって、そして大事な人にも生きやすいものになるように。
今日は私にとって大事な日になった。
桜と・・・武本さん。
素敵な場所を自分で作る。
私は心に決めた。今日から新しい一歩を踏み出そう!
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