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jun.1.2017 退屈とは無縁
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「飯塚」
「なんだ?」
「知ってた?もうね、今日から6月だってこと」
「ああ。そうだったな」
ああ、そうだったな?随分と軽く受け止めてくれちゃって! もう一年の半分まできちゃいましたってことだよ? あと半分したらまた激務な日々がやってくるんだよ? ってわかってるのかね。飯塚はクスクス笑いだした……なんだよ!
「絶対今日その話をするだろうと予測済」
「……あっそ」
「気が済んだか?」
「まあな」
しっかり読まれている俺。そんな先のことを心配しても仕方がないし、正直心配しているわけではない。『今日から6月です』と爽やかに微笑むアナウンサーを見て、俺が考えたのは「あ~半分終わっちゃった」ってことだった。この年々速度を増す1年の過ぎ去り方って何? って思う。このまま60歳になったら目を瞑ったら明日が終わっていましたぐらい速度を増すのではないかと不安になる。
子供の頃は一日が長かった。朝学校に行って勉強して給食を食べる。昼休みは目一杯遊んで午後の授業。家に帰ってから友達とたっぷり遊んで夕ご飯。そして寝るまでまだ自由時間があった。
それがどうだ? 朝起きて朝飯したあと店に来る。仕込みを終えたらあっという間に営業時間。慌ただしくランチタイムをやっつけて少しだけ中休み。ほっと一息ついたらもう夕方……そして夜の営業。
帰宅して寝るまでの少しの時間と、中休みしか自由な時間がないってことだよね? そうか、この自由時間の少なさが一日をより短く感じさせているってことだ。暇ですることがなければ一日が長くなる。それはそれで退屈しそうだし。足して二で割るくらいにならないものか。
「今気がついちゃったよ。自由時間が少なすぎるから一日が短いってこと」
飯塚は少し考えるごとをするように手を止めた。俺と同じように一日の時間を振り返っているはず。そして自由時間が少ないことに思い当たるだろう。
「それは確かに言えるな」
「だろ?」
「暇ではないという証だから喜ぶべきだろ?」
「うぐぐぐ」
飯塚はニヤリと表情を崩すと作業に戻った。オイルや酢を計量してドレッシングをミキサーで作っているところだ。市販の業務用ドレッシングは使い勝手がいいことは確かだけど、原価を考えると手作りが断然安い。季節で味を変えることもできるし、使う酢やオイルを変えれば同じ材料でも違うテイストが楽しめる。一度に仕込む量は6L。でもね、しょっちゅう仕込むのよ、これ。野菜がメニューに多いからだろうね。
「考えていたんだが……カプレーゼ、色々なトマトを使ってみないか?」
「トマト?」
「フルーツトマトや大きさの揃ったものを使ってきたが、ソース用に仕入れるトマトがあるだろう。あれを湯剥きしてカットすれば元の形が歪でも問題なし。ミニトマトも3種類くらいあるし、混ぜたら色も綺麗じゃないか?」
なるほど。夏の最盛期に仕入れるトマトは不揃いのB級品やハネ品を中心にしている。高級レストランではないから、見た目よりも味を重視したい。そして旬だからこその味わいを楽しんでもらいたいから、パスタに使うトマトソースは畑で完熟したものを使う。夏が終われば缶詰トマトでソースを作るが、夏季限定のフレッシュトマトのポモドーロは人気料理。トマトの自然な甘みと酸味は調味料要らずだ。オリーブオイルとにんにく、バジルの葉と少しの塩。これだけでご馳走が出来上がる。
飯塚の言う色々なトマトというのは農家さんが出荷目的というより、試験的に植えていたり遊びで色々な品種を少量育てている物だ。黄色いアイコ、完熟しても緑色で肉厚の種類。皮が極薄の品種もあるし、紫色のトマトもある。ミニトマトの品種は最近増えてきているから面白い。
ミニトマトは大きいトマトより栄養価が高いというメリットがあるが、飾り以外で使うとなると手間がかかる。湯剥きだって面倒この上ない……でも他の店と差別化をする為には手間と時間を惜しんではダメっていうのが基本中の基本。
普通サイズのカットしたトマト、カラフルなミニトマト。あえて湯剥きしない品種。そして真っ白のモッツァレラにバジル、バルサミコのドレッシング、仕上げに挽きたてのブラックペッパー。
不味くなる要素はゼロじゃありませんか!絶対美味いに決まっている。色々なトマトの味を食べる贅沢、それも夏季限定。
「真夏のカプレーゼだな。」
「旬の物を味わう提案も必要だと思う。スーパーに行けば季節に関係なく何でも売っているが、旬の時期に食べることの大事さを伝えていくのも作り手の仕事だと考えるようになった。」
「飯塚、ご立派すぎてグウの音もでませ~~~ん」
「それを俺に教えたのは村崎だぞ」
うわ……照れる。はずかちい!
「変な顔していないで、これ食べてみてくれないか?」
飯塚はトマトにドレッシングがかかった小皿を俺に手渡した。新作ドレッシングまで考えたってことかよ。すごいなお前……もう年末がくるよ~なんて言っている俺はちっさくない? うわ~なんだか負けちゃった感がすごいわ。
少し不安そうな飯塚の顔。新しいものを作ってその感想貰う時ってドキドキする。自分で渾身の一皿だ!と自信満々だったものが「う~ん」なんて感想になることだってある。開発するときの時間と熱意、組み合わせを捻り出すまでの筋道は食べる側には必要のないことだ。目の前にある皿の味が全て。『こんなに時間かけて練り上げた料理なんだから不味いわけがない』 これは作る側のエゴでしかないのが現実。そこを割り切れないと独りよがりの皿ばかりできあがる。そしてそれは店が傾く要因になってしまうのだ。プライドとテクニック、食べる人への愛情。このバランスを常に意識していないと、知らないうちに美味しい料理から遠ざかっていく。
シンプルなだけに怖ろしい世界、これはどの業界でも同じかもね。
飯塚の作ったドレッシングは既存のものより少し茶色く色づいている。香り……ハーブ系はナシ。けっこう酢がツンとくるね、でもこれも意図した結果だろう。口に含んで味わう。自分の中にある味のストックと比較しながら組み立てを見極める。
「玉ねぎに火を通した?」
「ああ、すりおろしてから弱火で『炒めた』というより玉ねぎの水分で『煮た』が近いかな」
「それでこの甘みか。既存よりバルサミコ多め、醤油も多め、そして酢を変えた。」
飯塚は悔しそうな顔をする。言い当てられるのってね、ちょっと悔しいのよね、よくわかる。
「醤油と合わせると玉ねぎの甘さとコクが思った以上に出た。酸味はパンチが効いた方がいいと思ったからバルサミコの量を増やして酢はタマノイにした。」
「真夏のカプレーゼだからこれくらい酸味のパンチがあっていいよね。タマノイで正解。バルサミコを増やしたからバランスとれているかな。せっかくだからこれにレモンを少し足してみないか?」
「レモンか……考えたが酸味要素が多くなりすぎかと思って。」
「酸味というより爽やかさ程度の添加かな。このドレッシング皿に少しくれるか?」
飯塚は500mlのペットボトルからドレッシングを味見皿に注いだ。この量だと……引き出しからカニスプーンを取り出す。少量のものをすくう時に重宝するのがカニスプーン。カニを食べる為に常備しているわけではない(蟹はね、手と蟹の爪をつかって剥きながら食べるのが一番美味しいの)
カニスプーンの深み程度の僅かなレモン汁をドレッシングと合わせる。別の小さなスプーンでドレッシングを味見。味見は別の器具を使うこと。お玉で味見?そしてそれ戻す?お母さん料理ではOKでも商売となるとNGなのですよ。食中毒なんて出しちゃったらそこで終わるからね、すべてが。
思った通り。レモンばっちり。
「どうよ。」
飯塚は舌の上でドレッシングを転がした後、パチっと素敵な瞬きをしたあと、結局悔しそうな顔になる。わかるよ~わかるけどね、お互い様でしょ。俺のしらない間にターキー仕込んだり、驚きの煮込み術を披露された時、俺は同じように感じる。『いつの間に』『どこでこいつこんなの思いついたんだ?』
「レモン……いれたほうが格段にいい。」
「よっしゃ~これで真夏のカプレーゼ用の素敵ドレッシングが完成。ちゃんとレシピ書いておかないと。」
「村崎」
「なに?」
「野菜はもちろんだが、このドレッシングは肉にも合いそうだ。カリカリに焼いた豚バラや鶏むね肉のコンフィあたりに。その時はもう少しブラックペッパーを効かせたい」
想像する……たぶん美味しい。牛はイマイチっぽいけど豚と鶏は相性抜群だろう。メニューにするなら何がいい? 前菜、ボリューム満点のサラダ、ローストをサッパリと食べられる夏の肉メニュー。
「飯塚、めちゃくちゃ美味しそう。何種類か候補が浮かんだ。二人で何種類か作ろう」
「ホールチームに試食してもらわないとな」
こういうことなのよ。一人でやっていると疑問も答えもなかなか生まれない。でも二人いるとアイディアは形になっていく。同じような感覚を持っているからこそ、相手の狙いもすぐにわかる。ホールチームがさらにアイディアを盛り込みSABUROのメニューの仲間入りとなった料理が人気になるのは最高に嬉しい。そして達成感。
「村崎」
「ほいほい?」
「自由時間は確かに僅かしかないかもしれない。休みも少しだけだ。でもこうやって自分たちの仕事が形になって誰かが食べて喜んでくれる。それは仕事かもしれない、でも自由時間に通じる楽しさがある。1日、1年があっという間に過ぎるとしても、振り返れば中身はギッシリだ。
不安になったり、ウンザリすることがあったら「楽しい時間」を思い出せばいい。前に進むには十分すぎるものがあるだろ? 」
相変わらず言うことに無駄がないね。このデキすぎイケメン鉄仮面が!
「んん、そーする」
「くそっ……レモンかよ」
ブツブツ言う飯塚を見ながら俺は自然と笑顔になった。そうだよな、ここには沢山の「楽しい時間」が詰まっている。それは料理やサービスになってお客さんに提供されて笑顔が生まれる。それを受け取って俺達は元気になり違う「楽しい時間」を生み出すために頑張ることができるってことだ。
飯塚にビシソワーズ渡してよかったな(何回も言うけど)
『友情のビシソワーズ』なんて夏のメニュー考えちゃおうかな。スッキリした冷たくて真っ白なスープ。冷製スープ3種盛り……それぞれに合うパンを添えようか。ソースみたいな役割で食べるスープ、悪くない。
でも今思いつきで言ったら、飯塚に色々突っ込まれて悔しい顔をする羽目になる。もう少し練ってから披露しよう。
楽しい時間か……ほんとここは楽しいが一杯だ。
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