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september.6.2017 本音を聞きだせない午後
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「すいませんね、仕事中に」
「時間なんて自分で捻り出せばいいだけのことだ。どうにでもなる」
どうしても割り切れない俺はタカさんに探りをいれることにした。詩織は久しぶりに友人と会い、その後空港に向かう。16:05のフライトまではまだ余裕があるから今日のうちにタカさんと話をしたかった。
「この店はたまに来るんだ」
「そうですか」
「ここに座ると向こうがよく見えるだろう?」
窓の外に道路を挟んでSABUROが見えた。入っていく客、そして出ていく客の表情まで観察できる。店内の動きと熱気まで伝わってくるような眺めだった。
「店の中にいるのもいいが、時々こうやって外から眺めたくなる」
店に目を向けているタカさんは穏やかだ。この雰囲気に爆弾を落とすようなことを俺はこれから聞こうとしている。どう切り出したものか。
「で?腹に一物抱えていますって顔だが、何事だ?」
こういう人だった。何もみていないようで見ている。知らないようで色々知っている。俺と兄貴が考えていることを全部お見通し、そんな人だった。この人に嘘はつけない。
「久しぶりに帰った家の雰囲気が変わっていました」
「そりゃそうだろう。何年だ?家族で過ごした場所でも住む人間で変わるものさ。それに歳だってとっている。何もかも同じなんてことはない」
「タカさんは実巳から何か聞いていませんか?」
切り出すも何も、方法がないからそのまま聞くことになった。無策でこの人に向かい合ったことを後悔し始めている。疑問として胸の中に収めておくべきだった。
「何かって何だ?随分漠然とした質問だな」
「飯塚君に恋人がいることを聞きました。タカさんも知っていますよね」
コーヒーを一口飲みソーサーにカップを置く。カチャリと音をさせた陶器の響きを眺めたあと、タカさんは俺をひたと見詰めた。
「飯塚はその出会いによって変わった。つまらなさそうに生きていたのに人間味が増した。家族の縁が薄いアイツにとってはかけがえのない存在だろうよ」
言葉が発せられた。しかしタカさんの視線は違うことを言っている。『俺相手に小細工か?』そんな言葉が聞こえたような気がした。
「実巳が……誰と付き合っているのか知りたくて」
タカさんは何も言わない。そして自分に向けられている視線が怖い。やはり何もせず空港に向かうべきだった。
「俺は実巳から何も聞いていない」
端的な言葉。そして嘘ではないことがわかった。しかし何かがひっかかる……実巳からは聞いていない。違う誰かからは聞いたということか?
「タカさんは知っていますよね」
「聞いていないから知らねえよ。そんなに気になるなら実巳に聞けばいいじゃないか。親子の問題に俺を巻き込むな」
「聞いてもしそうだったら……どうしていいかわからない」
「だったら聞かなければいい」
正論に苛立ちがこみあげる。自分の子供のことではないからそんな言い方ができるのだろう。それにタカさんは実巳を応援するはずだ。だって……タカさんは。
「もしそうなら……そんなところまで兄貴に似なくても」
「おい、ロウ」
ロウと呼ばれてビクリと肩が揺れた。何年ぶりだろう……兄貴が亡くなってからタカさんはロウと呼ばず三郎と言うようになった。
小さい頃から「サブちゃん」とからかわれ自分の名前が嫌いだった。親がつけた三郎の意味を知ってからは大事に思えるようになったが、それまでは嫌で嫌で仕方がなく、兄貴の名前が羨ましかった。
「ロウってちょっと格好よくないか?」兄貴はそう言って俺のことを「ロウ」と呼ぶようになった。兄貴の親友になったタカさんも俺をロウと呼び、3人の絆は深まった――兄貴が逝ってしまうまで。
そしてロウという名前は消滅した。兄貴と共に。
「俊巳はこの話に関係ないだろう」
口調は穏やかだったが視線は相変わらず強いまま。兄貴を持ち出したのはまずかった。苛立ったせいでヘマをしてしまったらしい。
「すいません」
「別に謝ることはない。あのな、子供が心配なのはわかる。いつまでも親は親だから。ロウが何の心配をしているのか俺はわからん。お前がはっきり言わないからだ。というより言えないからだ。そして俺に探りを入れることにした。それもわかる。それに俊巳を持ち出したから何を言わんとしているのかもわかりすぎるほどだ。だが言っておく、俺と俊巳は親友だ。それ以外の定義はない」
タカさんの中で兄貴はまだ生きているのか?親友だと言った……「親友だった」ではなく。
「ここ二年ばかり、俊巳の命日は店でしている。スタッフ全員が集まって飲み食いするだけの時間。賑やかにしてくれと俊巳が言ったからな。ようやく夢にでてくる気になったらしい」
「え?兄貴が?」
「ああ、命日の日だけな。昔のままの姿で出てきやがるから癪にさわるが」
「俺の所には来てくれません」
「そのうち姿を見せるさ。ロウに助けが必要になった時にな」
俺達が三人で作るはずだった場所。それは永遠に叶わない夢に終わった。悲しみに押しつぶされたタカさんはサラリーマンを選んだ。何かをしなければ息ができなくなりそうになった俺は一人だって場所は作れると懸命に働いて店を持った。
導かれるようにタカさんが関わり始め、スタッフが増え店は大きく変わった。3人の夢だった場所は確実に成長している……そして兄貴が姿をみせるようになった?
兄貴……そこにいるのか?ちゃんと見てくれているのか?
通りの向こうにある店はゆったり佇んでいるように見える。店内で動く人影、聞こえてきそうな笑い声、厨房の熱気。
「飾り棚にある青いグラスは俊巳のものだ。実巳があそこに置くことにして、毎日磨いてくれる。俺達の夢は夢のままだ。でも違う形になって特別な場所になろうとしている。実巳を中心にして」
「……わかります」
「実巳の顔を見たか?」
「ええ。充実して活き活きとしている。逞しくなった」
「そのとおりだ。飯塚とのコンビは眺めていてもいいだろう?どう打ち合わせしているのかしらんが無駄な動きがない。カウンターはいつも満席で客の熱い視線を浴びながら二人は鍋をふり皿を飾る」
「嫉妬を覚えるくらいいいコンビです」
「背のでかいミツは俺がひっぱりこんだ。趣味の映画鑑賞がひょんなことから電波にのって売り上げに貢献している。ミツを中心とした企画は練り放題だしやりがいがある」
「ああ、彼の言っていたのは映画のことだったんですね。今ようやくわかりました」
「そしてチビッコ」
「北川君ですね」
「ああそうだ。あれは飯塚と武本がみつけてきた。マニュアルにはない人の気持ちに添ったサービスができる人材だと実巳が店に誘った」
「実巳が?」
「ああ。今時珍しい素直で一生懸命な子だ。努力を惜しまない。そしてなかなか芯もある。実巳が仕込んでいるせいで、突発的に厨房に入ってもちゃんと仕事をこなす」
「え?厨房に?」
「限られた人員で店全体を回す必要があるからな。どっちもできる存在は貴重だ」
実巳が人を育てる?今までなかった行動だ。タカさんが評価するほど成果がでているとは。
「そして武本。アイツのおかげで空気が締まる。客を促し、ロスがでないように注文をコントロールする。企画面でも力を発揮するから、色々なアイディアが形になった。それにな、武本を見ていると……俊巳が生きていたらあんなだったろうな、そう思える。武本のおかげで俊巳の未来が俺には見えるんだ」
兄貴の未来。タカさんだってそれがやってこないことを知っている。でも彼に重ねると見えるということか?兄貴の姿が?
「ロウの心配もわかる。だが今の店とあいつら全員がなくてはならない存在だということだけはわかってくれ。俺達ではできなかったことが今目の前で形になっている。
実巳に向かい合うなら中途半端な気持ちはやめてくれないか。ロウとしいちゃんが向き合える、そうなったタイミングと気持ちになったら聞けばいい。どうなんだ?ってな」
向き合えるか?今それを実巳に聞いて俺も詩織も受け止めることができるのか?正直わからなかった。
「ずっと俊巳を思い出す呼び名だと封印してきた。でも三郎をロウと呼ぶ人間がこの世に一人ぐらいいたっていいだろう?」
「……ですね。タカさんにロウって呼ばれるのがこんなに嬉しいとは思いませんでした」
「お前は昔から素直でいい奴だよ」
タカさんは向かい側から腕を伸ばし、俺の髪をグシャグシャにした。
「ちょっとなんですか!やめてくださいよ」
タカさんはニヤっと口の端だけで笑った。
「いいじゃねえか。俊巳がよくそうやっていただろ、ロウに」
「時々タカさんにもしていたの、俺知っていますよ」
「ああ……そうだったな」
店の方を眺めながら頬杖をつく横顔は穏やかだった。少しだけ心が軽くなったような気がするのは何故だろう。結局何も解決していないというのに。
「実巳……本気なんですかね?」
今度は俺のほうを見なかった。頬杖をつき視線をSABUROに向けたまま柔らかく微笑む。
「ロウ。言っただろう?実巳から何も聞いていないって」
実巳が言わないことにするってタカさんに言ったんですね?
俺はそれを言葉にしなかった。
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