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september.18.2017 信じること、見守ること
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「常備菜が美味しそうよ」
詩織が渡してくれたスマホには短い文と写真の添付。実巳からのメールが毎日届くようになった。休憩時間の一コマ、賄い、赤くなったナナカマド、秋らしい雲が浮かぶ青い空。実巳の日常が詰まっている写真は素朴でありながら、充実していることを言葉以上に教えてくれる。
今日はタッパーに入れられ冷めるのを待つ常備菜の写真だ。文章は「台風で雨風がすごい」たったこれだけだ。写真との関連なんて全然ない。それなのに、雨風の音がする日、定休日にせっせと常備菜を作る姿が目に浮かんでくる。当然実巳一人ではなく北川君も一緒に台所に立っているだろう。揃って切り分けられている食材を見れば、丁寧に仕事をしていることが伝わってくる。
「この間のだし巻き。あれ真似しちゃったらどうかしら」
「あれは美味しそうだったな」
巻きすに巻かれバットに置かれているだし巻きを手前に配置した写真。その奥では真剣に玉子を巻く北川君の姿が映っていた。「冷やしたぬきにはだし巻きがおすすめ」と添えられた文。
錦糸卵より食べ応えがあるし、甘めに仕上げればそばつゆとの相性もいいだろう。塩味が大部分になる蕎麦に一口甘い玉子。色味もいい。
「北海道を抜けたみたいよ。速度が速くてよかったのかも」
詩織はテレビのニュースを見ながらそう言った。気象情報では台風が北海道北部を抜け、海上にでたことを伝えていた。台風の影響は交通機関に出ていたし、不用意に動くのはやめることにしてホテルを延泊した。窓から眺めると真っ黒の空から豪雨と風。ホテルからでてすぐのところにあった蕎麦屋で食事を済ませ1日をやり過ごした。明日はどうしたものか、そんなことを考えていたらウトウトと眠気がやってくる。
「少し昼寝をしようかな」
「そうね。夜は出かけましょうか。暑そうだけど」
ベッドに横になって目を瞑る。そうか……彼岸だったな。眠りに落ちる前、何故かカラーの花が浮かんで消えていった。
寒いな。クーラーの設定を間違ったのか?
肌寒さに目が覚めた……見慣れない部屋だ。あ、ホテルだからだ……え?今はどこにいたんだったっけ?夜に出かけるはずで……昼寝。まだ明るい時間なはずだが。
真っ白の壁と天井と床。どこが境目かわからない不思議な空間に一人でいることに気が付いた。白いベッドの上に起き上がる。
「詩織?」
返事はない。
【 カチャ 】
壁だったところに長方形の切れ目が出現してドアのように開いていく。その奥に人影が見えて急に恐怖心に襲われた。ここはいったいどこだ?詩織は?
うつむき加減の男性が一人、後ろ手にドアを閉めるとまた白い壁面に戻る。まったく出入り口のない部屋。
「……実巳?」
「今の実巳より若いんだぞ、俺」
「え……え?」
「久しぶりだな、ロウ」
「あに……き」
よう、と片手を上げて照れ臭そうに立っていたのは兄貴だった。記憶にある20代の……亡くなる時の年齢のままの姿。タカさんが言っていた、若いままの姿だって。
「どう……して」
「どうして?んん~なんていうのかな。ロウの人生に余計な口出しをするのは兄貴失格だろうから、ずっと隠れてたわけ」
「タカさんの所には行ったくせに!」
兄貴はフニャっと笑った。ずっと見続けてきた笑顔。実巳が時折見せる同じ表情。良くわからない感情がいきなり破裂して涙に変わった。声が出ないように手のひらで唇を覆う。なんで、どうして、口出し?沢山すればいい、してくれてもいいじゃないか、ずっと……ずっと夢にもでてこなかったくせに!
「別の世界にいるからな。ロウは自分の人生を生きるべきだ。でもちゃんと見ているよ。ずっと見て来た」
「兄貴……」
「お前は頑張っているよ」
止めようとした涙は滝のように量を増やした。ハアハアと口で息を吐きながら手の甲で涙を拭う。兄貴がベッドの上に座り、俺の頭をグシャグシャにした。嗚咽がとうとう口から漏れ出た。まるで子供だと思うのに、止められない。
逝ってしまってからの長い時間、積み重なった日々。片時も忘れたことのない年月。その証のような涙が頬を伝う。
髪をグシャグシャにしている手のひらは温かかった。
「充の所にいったのはSABUROのことをもっと見たいから、それを伝えに行った」
「……わかんない」
「あ~なんていうの?テレビのチャンネルみたいなもんで、充にチャンネルを合わせていると景色が見える。でもそれって充がその時考えていることなんだわ。だからSABUROのこと一杯考えろって言いにいった。あの店はあったはずの未来みたいなもんだろ?ロウが礎を作ってくれた場所を実巳と仲間が大事にしてくれている。俺は非力で何かできるってわけじゃないけどさ、あの場に居たいから」
やっぱり、やっぱり、店に居るんだ。居てくれているんだ。
「あと今日化けてでてきたのは、ロウとシーちゃんがお悩み中だからかな」
ようやく少し落ち着いた俺は深呼吸をした。両手で顔をゴシゴシこすり、濡れた頬から涙を拭う。
「タカさんと同じですね」
「違うな、充を呼び出したのはロウじゃないか。充がお節介焼いたのとは違うだろ」
兄貴を持ち出した時のタカさんと同じだ。親友という定義しかないと言い切ったタカさん。でもそれは二人の関係性であって気持ちは違う、ずっとそう思ってきた。
「タカさんも兄貴も、相変わらず仲が良すぎる」
「憎まれ口か?別にいいけどね」
ようやく兄貴の手が頭から離れた。髪が乱れ、真っ赤な目をしたいい歳の自分の姿を想像してため息がでる……情けない。
「ロウは結婚して幸せなんだろ?」
「何を突然」
「幸せなんだろ?」
「幸せだよ」
「そこね、言っておくけど結婚したから幸せだっていうのと違うから。シーちゃんと一緒に生きていることが幸せなんだ。その違いわかるか?」
「一緒にいたいから結婚した。同じことだよ」
「俺が言いたいのは結婚しなくたって一緒にいたい相手と時間を過ごすことが幸せなんだってこと。結婚の要素がなくたって幸せになれる」
「……なにが言いたいのかわからない」
「実巳のことで悩んでいるみたいだけど、俺から言えることは実巳は今とっても幸せだってこと」
「……兄貴」
「ロウとシーちゃんの息子だぞ?いい加減に踏み込んだと思うか?散々悩んで、色々な可能性を考えて、当然親のことだって考えただろう。でも実巳は選んだんだ。そして今幸せを満喫している」
「やっぱり……そうなのか」
「さあ、それはどうかな」
「タカさんも兄貴もバラしているのと同じだ」
「でも実巳は何も言っていない」
「ああ、何も聞いていない」
「俺の意見だけどね。何かを手にしたり、何かをする前に俺はいなくなった。だから、幸せの形なんてどうでもいいだろって思うよ。それを手にすることができたなら、それで十分じゃないか。俺には無理だから」
「兄貴……」
「ロウも充も歳を重ねている。それだって俺から言わせれば幸せなことだ。誰だって死ぬからその時になれば会える。でもそれまで俺だけ別の場所だ」
「いつでも会いにきてくれればいいのに」
「それがなかなかね。条件が揃わないと」
「条件教えてよ」
「残念ながら、それはダメなんだ。話を戻すけど、常識や枠組み、考え、世間の流れ、色々な判断基準があるだろう。ロウとシーちゃんの許容範囲もあるだろう。
あったとしてもだ、俺から言わせれば「幸せ」を手にできる、この贅沢さを考えてほしい」
「贅沢?」
「ああ、贅沢だ」
兄貴はそこでフっと寂しそうな笑みを浮かべた。キュウと絞られるように胸が痛む。幸せを手にする、その意味。人によって価値観が違うように幸せの形も様々だ。自分と同じだからその「幸せ」は祝福する……違う場合は認めない。それは勝手な考えだと言われたような気がした。俺は人の幸せに対して文句を言える程の人間だろうか。
「親だって個、子供だって個。でも繋がって家族だ。皆同じになんてならない。でもさ繋がっているからこそ信じてやれると思わないか?
俺はロウを信じている、これからも頑張って生きていくだろうことを信じている。シーちゃんと仲良く人生を歩むことを信じている。
だからロウも実巳を信じてやれよ。見守ってやれよ。俺がしているみたいに」
止まったはずの涙がポロリとこぼれた。「いつからそんなに泣き虫になったんだよ」そう言いながら頬を摘ままれて、ますます涙が溢れる。
「言いたいこと言ったから、そろそろ帰るわ」
「待ってよ!」
「ごめんな。帰らないと」
「時々来てくれないと水も線香もあげないぞ!」
「あははは。ロウは優しいからちゃんと供えてくれるさ」
「いかないでくれよ」
「本当に困った時に思い出せばいい」
「なにを?」
「ロウが昼寝する前に考えたことかな。じゃあな」
「兄貴!!!」
<ロウさん!ロウさん!>
白い部屋がギュウーーーーーーーと後ろに流れていく。
「うわあああ!!」
「ロウさん!」
え?ここは?
視界いっぱいに詩織の顔。赤くなった目元と心配そうに歪んだ表情だ。痛いほど両肩を力いっぱい握られていた。
「詩織?」
「あああ……よかった」
ノロノロ起き上がると見慣れたホテルの部屋だった。台風一過のあとの暑い日差しが窓からこぼれている。
「俺、どうしていたんだ?」
「うなされていて、全然起きなくて……どうしちゃったのかと心配して!」
「詩織、ロウさんって言ったか?」
詩織の腕がぱっと離れた。
「目が赤い。どうしたんだ?」
詩織は俺の向かい側に座った。さっき兄貴がそうしていたように。
「最初実巳かと思ったの。でも違った」
「え?兄貴か?」
詩織はコクンと頷いた。
「私ね、高村さんにロウって呼んでやってくれって言われたことがあるの。でもお兄さんと高村さんしか呼ばないロウっていう名前、私が言っちゃだめな気がして。心の中で呼びかける時はずっと「ロウさん」だったんだけど、さっき夢にお兄さんがでてきて「ロウって呼んでやってよ」って」
「俺の所にも兄貴が……来た。何か言ってたか?」
「実巳を信じて見守ってやってくれ」そう言われた。幸せの形ではなく幸せであることのほうが大事じゃない?そう言って笑ってくれた。実巳に似ていてドキっとしたわ」
「うん……二人は似ているよ」
どちらともなく相手に腕を伸ばして抱き合った。しっかり抱きしめながら「幸せ」を思い描く。息子の幸せを誰よりも願っている。でも親だからこそ割り切れない思いがあった。タカさんの言葉は胸に沁みたけれど、さっきの兄貴の言葉は胸に刺さった。
どんな幸せでも俺にとっては贅沢……どんな思いでそう言ったのだろう。後悔や未練が沢山あったはずだ。だからこそ重い言葉だった。
「墓参りをしてから帰らないか?」
「そうね、お彼岸だし。実巳と三人で行きましょう」
結婚したから幸せではなく、伴侶とともに生きていることが幸せか。墓参りだけでわかってくれる詩織の存在が有り難かった。親子の在り方を、新しい在り方をスタートさせてからそれぞれのフィールドに戻り日々を生きる。
「台風の影響があるから明後日千歳に飛びましょう」
「そうだな」
「お墓参りをして、その足で成田に飛ぶ方がいいでしょ?」
「そうしよう」
「ロウさん?」
「なに?」
「ようやくあなたのことをそう呼べるようになりました」
「……詩織」
何を言っても、どんな言葉を重ねても無駄な気がして俺は腕に力を込めた。実巳は実巳の人生がある。そして俺達にもまだ続く人生がある。
兄貴……会いに来てくれてありがとう。信じてくれて……ありがとう。
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