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september.23.2017 信じる
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「今にも落ちてきそうだ。早くに済ませてよかったな」
灰色の曇天が車窓の外に見えている。薄暗くなってきたので予報通り雨が降り出すだろう。彼岸の墓参りを終えて千歳空港に向かっている。JRで向かうと言ったのに実巳が送っていくと言い出したからだ。詩織と顔を見合わせたあと腹を括った。どういう成り行きになるかわからないが、このまま何となく別れるよりはずっといい、そう思い直して。
「出発は全日空?JAL」
「全日空だ」
実巳の運転は高速道路の法定速度より5キロ~10キロオーバー程度の安全運転だ。120~130キロで走る車も珍しくないから安全運転の部類に入る。大型でもガンガン飛ばすから追い抜いて行く風圧と音が凄まじい。
「千歳空港のICができたんだな」
「そうだね。街並みも道路も変わっていく」
「仕込みは大丈夫なのか?」
「うん。墓参りが決まってから飯塚と先を見越した仕込みをしたし。今日はハルが飯塚のアシスタント。大丈夫だよ、なんとかしてくれるさ」
実巳の穏やかな声には気負いも含みもなかった。事実をそのまま言葉にしている。車内の空気が重苦しくなることを懸念したが、取り越し苦労だった。何故か気持ちは凪いでいた。兄貴のおかげかもしれない。
「お墓参りしたけど、来月の3日はいつものように店に集まるよ」
「よろしく頼む。タカさんが言っていたよ、皆でその日は集まるって」
「おじさん一人で過ごすのは可哀想だしね」
「そうだな」
日本に住んでいた時はタカさんが家にきて何を話すでもなく酒を酌み交わした。兄貴の思い出話もほとんどでてこない。じっと今はない存在に想いを馳せる日。タカさんは何を考えて酒を飲んでいたのだろうか。
「信じるかどうかは別なんだけど、命日の日俊巳おじさんが店にくるんだ」
「店に?」
「残念ながら俺には会ってくれないんだよね」
「……タカさんのところか?」
「それも違うんだ。サトルが2年連続で遭遇している」
どうして彼なんだろう?実巳でもなく、タカさんでもなく。
「サトルに言ったんだって、俺のケツを叩けって「スパンキング王」だってさ。ネーミングセンスが俺に似ているって笑っていたっけ」
「そうだな。似ている所がたくさんあるよ」
「俺が本当に困った時に会いに来るって。俊巳おじさんに会いたい気もするけれど、その時は困っているってことだからちょっと複雑」
本当に困った時……俺と詩織のところに来たのはそれが理由か?兄貴、そうなのか?
「なんかお墓ってそこにあるってだけで、そこには居ないって感じるな。夜皆でワイワイしている時のほうが居てくれている気がする。青いグラスとカラーの花が一輪。それだけなのに、そこに座っているような感じがね。今度帰ってくるときは10月にしたらいいのに。人数が増えれば喜んでくれるよ、きっと」
なんだ?何かがひっかかってフっと消えてしまった。
「そうね、次のタイミングは日程を吟味するわ」
「うん。考えておいて」
料金所を出たあと一本道を走れば、空港の建物が見えた。短いドライブが終わりを告げようとしている。
「報告だけじゃなくって、ちょいちょいメールするから」
「そうだな。だし巻き卵を蕎麦のトッピングにするのは気に入った。そのままパクるかもしれない」
「いいよ。時々参考になりそうなメニューや写真を送ってよ。なかなか外で食べる勉強ができなくってね。海の向こうで好まれているメニューに興味があるし。そのままこっちで出すことはできないだろうけど」
「そうだな」
空港の建物が大きくなり、駐車場、一般車、バス・タクシーそれぞれのレーンの表記がでてくる。全日空は国内線の一番手前だ。レーンを進み出発口に着く。車が何台か止まっていたが駐車できるスペースが空いていた。車のドアを開けて外にでると実巳はもうトランクからスーツケースを取り出すところだった。合計3つの大型のスーツケース。最近の物は軽くて丈夫になった。
一段高くなった歩道にヨイショと下ろしてから実巳はトランクを閉めた。
「じゃあ、気を付けて」
「悪かったな、仕事の日に」
「いや……一緒に墓参りできてよかったよ」
「そうだな」
「かあちゃんも、親父のことよろしくね」
「大丈夫よ。ロウさんのことは任せて」
「ロウさん?」
キョトンとした実巳の顔が可笑しくて俺と詩織はクスリと笑ってしまった。
「ロウ?なにそれ」
「ああ、兄貴がつけてくれた呼び名だ。兄貴とタカさんしか呼ばない特別の名前。兄貴が詩織に呼んでやってくれって言ったらしい」
「え?来てくれたの?」
「たぶん……俺達が困っていたからだろうな」
「ああ……あ。なるほどね」
「でも実巳の所には来ていないんだろう?」
「うん」
「じゃあ、お前は困っていないってことだ。そのことだって重要なんだなって、さっき車の中で考えたよ。親は困った困った状態だけど、実巳は困っていない」
「困っては……いないよ」
「それを聞いて安心した。親として情けないが、今俺も詩織もきちんと受け止めることができるか自信がない。ただ……旅に出る前よりもずっと気持ちは穏やかになった。タカさんや兄貴と話ができたし、旅先の出会いもあった。お前から送られてくる写真を見ていると、毎日を大切にしていることが伝わってきたよ。少なくともお前が不幸ではないことがわかった」
「ああ、充実しているし幸せだって自信をもって言える」
「だから……次に顔を合わせる時まで宿題にしておいてくれないか。時間をかけて詩織と取り組むから」
「……うん、わかった。俺は俺で頑張るよ。毎日繰り返される時間が大事だって、自信を持ち続けられるように。俺信じているから」
「信じる?何をだ」
「親父もかあちゃんも、きっと俺の幸せを願ってくれるってこと。俺はそれを信じているから」
兄貴……信じるって、実巳が信じているって言った。兄貴が言ってくれたのと同じ言葉。
「じゃあね、実巳。仕事頑張って」
「任せて。毎日頑張るよ」
車に乗る前、運転席のドアを開けて実巳は俺達を見てニヘっと笑った。手を軽く振って運転席に座り、顔が見えなくなる。軽いクラクションの音とともに車が滑り出し、他の車の流れに混じり合い遠くなっていく。
実巳の笑顔が兄貴と重なった。
「スーツケースすぐ預けてしまいましょう。コーヒーが飲みたいわ」
「そうだな。宿題にしたのは情けないかな、父親として」
「そんなことありませんよ。私達は歳をとっていますから。色々なことをかみ砕いて飲み込むのにも時間がかかる。でも時間をかければ絶対大丈夫です。私はそう思うわ」
「そうだな。食器を見たあの日よりも、けっこう飲み込めた気がするな」
「私もです」
両手でスーツケースを転がす。入り口の天井に反響してゴロゴロとキャスターの音が鳴った。後ろから少し違うトーンのゴロゴロが続く。
自動ドアをくぐりアスファルトを抜けるとスーツケースの音が静かに変わった。
「ロウさん!何度も呼んでいるのに!」
後ろを振り返れば詩織が「もう」という表情でスーツケースを押している。
「うるさくて聞こえなかったよ。どうした?そっちのほうが重かったか?」
「いえ、さっき車の中で実巳が言ったでしょ?青いグラスとカラーの花って。お供えする花、カラーにしましょうか。高村さんが選んだとしたら、きっとお兄さんが好きな花だったのよ」
さっきひっかかったのはこれだ。「昼寝する前に考えたこと」そう兄貴は言ったんだ。昼寝する前何故か浮かんだカラーの花。そうか……兄貴が好きな花。
「そうだな。青いグラスも買ってみるか」
「空港のショップにガラスのお店ないかしら」
「ありそうだな。小樽あたりの工房の。それと土産を買ってからスーツケースを預けるか」
「それまで二つゴロゴロしてくださいね」」
「頑張るよ」
大切な人のことを信じる。家族のことを信じる、そして見守る。己の価値観を押し付けるのではなく、相手の幸せを願い尊重する。とても難しいことに思えた。詩織と二人で食器棚の前に立った時は。
でも今は違う。俺達は家族であり、実巳は俺達の子供だ。共に歩んだ日もあったが、今は別の道を進んでいる。それでも俺達は家族。信じるべきだろう、充実しているという実巳の言葉を。
「わたし達は大丈夫よ、ロウさん」
詩織の言葉に笑顔を返す。そうだな……たぶん大丈夫だ。家族なのだから。
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