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january.5.2016 SABUROの初日、ミネの不安
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店に入るとすでに電気がついていてホンワリと温かい。
漂う香り…あの野郎、新年早々抜け駆けしやがったな。
急いで着替えて厨房に行ってみれば、村崎はノンビリした顔でコーヒーを飲んでいた。
「おはよう。」
「おう~おはようさん。いい正月だった?」
「いい正月も何も、いったい今朝は何時にここに入ったんだよ。」
「ん~6:00すぎ。」
8:00少し前のこの時間より、さらに早く来たことになる。大晦日、ヘトヘトになりながらも俺は確かに言った。年明けの仕事は揃って二人でするぞ、一人で早出はナシだからな。
たぶん3回は言ったはずなのに、村崎は一人で仕事を始めていた。
「だったら電話してこいよ、なにも一人ですることないじゃないか。」
「ん~でもなんていうのかな。気が焦ってというかジッとしていられなくなってというかさ。あるじゃない、なんか身体を動かしていないと怖いみたいな時。」
「怖い・・・って?」
村崎は俺のマグにコーヒーを注ぐと調理台の上に置いた。デザートのケーキはオーブンに入っているし、スープも出来上がっている。綺麗に打った野菜はボウルの中にあったし、テイクアウトのパニーニに詰めるラタトゥイユが鍋の中でふつふつ湯気をあげていた。
半分以上の仕込みが終わっている様子に、イラっときたが「怖い」という言葉が気になり、とりあえず話を聞いてみる。
「正月って暇だろ?食べに行きたいと思う店はまだ開店してない。街にでたところで特に欲しいものもない。元旦はおじさんの所にお邪魔したけど、帰ってきてからはずっと家にいたわけよ。
テレビは面白くないし、なんとなく帳簿を確認したりミネ帳を見たりしたらさ・・・全然違うんだわ。」
「何が?」
「数字。そして書いてある内容。ぶっちゃけ良くなっているわけよ、どっちもね。でもそれってさ、今年は去年以上にいい年にしなくちゃならないってことだよな。スタッフだって増えたし、昇給だってしたい。
余りにコロコロ変わる隣の現状に、大家さんがどうせなら隣もやらないか?なんて言って来たりさ~、今まで全然考えていなかったレベルの所に来ちゃってんのよ。
まだ初めて2回目のオードブルがあれだけの注文をもらえたわけだ。
だって始めた年、サトルを留守番に俺達パッケージショップに行ったんだぜ?オードブルの仕切りがいくつあるのかすら知らなかった。」
そういわれればそうだ。
あっという間のように感じた1年が過ぎ去った。でもその中身はぎっしり詰まっていて、色々な変化があったし、仲間も増えた。思い返せば沢山の出来事がSABUROを押し上げてきたように思う。
俺も理も、ここで働くようになって起こった変化は1年前と比較しても大きい事ばかりだ。
北川は仕事を覚えつつ、今年からは村崎の所に住む。トアはサラリーマンだったことが信じられないくらいに馴染んでいるし、これでエンタメ部門が花開いたら、これまた大きな変化だろう。
村崎は仲間といっても、やはりオーナーとしての責任感は俺達とは違う。それにここは親父さんから引き継いだ大事な場所だ。高村さんから少しだけ聞いたが、元々は高村さんと村崎の親父さんと亡くなった叔父さんの夢の場所だったらしい。
そこを「守る」ということは、経営とは別のプレッシャーがあるのだと思う。
「色々考えていたら、居てもたってもいられなくなったということか・・・。」
「そういうこと、手を動かしていれば前に進んでいる気になるじゃない。ただ考えているってさ、いい事ばっかりが浮かんでくるわけじゃないし、ネガティブなことだって浮かんでくるしね。
正月は開けても人がそんなこないから、年末の疲れを取るために休みは必要だから、これからも正月早々開店することはないよ。でもね~なんか大変なのよ、頭とか気持ちが。
だから悪いとは思ったんだけどさ~、早出しちゃった。」
「なんだよ、水臭いな。」
熱いコーヒーをゴクリと飲み込みながら言ってやる。
ちょっとバツの悪そうな村崎の顔。
「こうやって話をすれば、気だって紛れるし、何かのアイディアに繋がるかもしれないんだぞ。村崎の焦りが伝染して揃って早出をしたかもしれないじゃないか。
一人で籠ってないで、うちにくればよかったのに。もしくは招待してくれれば喜んで遊びにいったぞ。」
ぶっ
村崎が軽くむせた。ようやくニヤリといつもの顔になる。
「なんかさ~。正月もだけど、一人でぼ~としていて怖いとかなかったわけ、今まで。でもこれってさ、たぶん今の自分の環境がとてもいい状態で、飯塚もサトルもハルもトアも・・・俺には必要な人になっちゃったんだよ。一人は快適だけど、それ以上に楽しいとか嬉しいっていうことを知っちゃったんだろうな。それに気がついて、それも怖くなったり。
何歳になっても自分のことを自分が一番理解できないっての・・・マジ困る。」
「わかるよ。必要なものが出来る度に怖くなる。でも、だからこそ手放さないように、無くしてしまわないように努力できるってことなのかもしれないな。」
「俺、そういうの恋愛だけに発生すると思ってたよ。てか、俺の場合そんな怖くなるくらい誰かを好きになったことないしさ~。
今年はどうなるかわからないけど、俺は足掻いちゃうよ?去年よりSABUROを綺麗にしちゃうもんね。」
「綺麗?」
「そ、キラキラしてるってこと。キラキラは気持ちがいいだろ?トアがエンタメ話しているときのキラキラだって、それなりに威力がある。」
今度は俺が噴きだす番だった。
「村崎のニヤって笑う顔だってキラキラ・・・じゃないか。癖になるっていうのが理の意見だ。」
「ヘイヘイ。」
村崎はう~~んと腕を伸ばした後、マグの中身を飲み干し空にした。
朝イチで見た時よりずっとゆったりした顔に戻っていて安心した。誰だって自問自答して答えがでるまえに怖くなることは沢山ある。
そんな時に一人でいる必要はない。
「村崎。」
「んん~?」
「来年の初日、一人で抜け駆けはなしだ。正月休みの一日はうちに遊びに来い。こないなら押しかけることにする。今から約束だ。」
村崎はマグカップをシンクにコトンと置いて蛇口をひねる。
シャーという水の音、コボコボとマグに溜まっていく水音。
「だな~。今年がどうなっていて、来年の正月に何が待ち受けているかわからんけど。一人でぼ~とするのは懲りたよ。
無言で朝っぱらから一人で仕込みは楽しくない。ありがとな、飯塚。」
「なんだよ、気持ち悪いな。」
「水筒にビシソワーズ作って持って行った高校生の俺、でかしたってことだな。」
「・・・村崎。」
「俺、独りじゃなくてマジでよかった。」
そう言って笑った村崎の笑顔は、いつものヒネた表情とはまったく別のものだった。
穏やかであり、優しくもある。
そしてキラキラしていた。
そんな顔ができるなら、今年一年は安泰だ。
それを言葉にしようとしたがやめた。水筒を押し付けた高校生の村崎を思い出せば、俺の顔も自然と笑顔になる。
笑顔には笑顔。
さあ、仕込みの続きをはじめよう。
まもなく皆がやってくる。
誰かのキラキラの為に。
特別の場所をつくりあげよう。
SABUROの仲間全員で、キラキラの場所に。
大丈夫だよ村崎。
俺達もSABUROも・・・大丈夫。
ここは去年よりずっとキラキラ輝く、絶対だ。
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