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april.13.2016 幸せへのキセキ
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ふう・・・。美味かった。行き当たりばったりで入った割には大当たりだといえる。ランチタイムのラストオーダー間際だったのに迎えてくれたスタッフの笑顔は優しかった。嫌味っぽく「あと10分でラストオーダーですが?」なんていうセリフだってでてこなかった。「ラストオーダーですが?」のですが?の先を言ってしまえばいいのにと思う。「あと10分しかないけど、入るの?アンタ。」とでも言いやがれ。
・・・いかん。イライラがふとした瞬間に甦ってくる。
美味しい料理のあとのいい香りのコーヒー。普段ならこれでホっと安堵のため息がでる組み合わせだというのに、今そんな風に楽しめない自分がいる。
原因はどこかギスギスしてしまった家族の関係だ。忙しく働いて家に帰る。その毎日の繰り返しに空虚なものを感じるようになったのはいつ頃からだろう。12歳になった息子は帰宅する頃には自室にこもり顔を見せるのは朝食の時だけだ。「おはよう。」親子の会話はこれだけで、その先に何を問えば息子が答えてくれるのか見当もつかないから何も言えなくなる。
最近ちゃんと「いただきます。」を言っただろうか。
「美味しかったご馳走様。」これを言わなくなって久しい。
息子の進学に備え妻はパートに出るようになった。朝早く起きて洗濯や家事をこなし、仕事に出かけ、家族の夕食の面倒を見る。自分にできるか?できるはずもない。
一人でダイニングテーブルに座って食べる夕食の味気なさ。向かいに妻が座って何これとなく会話を交わしながら過ごした時間はどこに消えてしまったのか。
食器をシンクに下げてリビングにいけば、ソファに座った妻はだいたい居眠りをしている。朝も早いから仕方がないだろうし、起こすのも忍びない。
風呂に入ってベッドにもぐりこむ。家族に「おはよう。」以外の単語を言っていない自分。
いつから・・・こんなふうになった?たぶん徐々に、少しずつ何かが減ってしまい、これ以上減りようがない・・・そんなレベルになってようやく気が付くなんて、相当自分は鈍感なのだろう。
「コーヒーおかわりいかがですか?」
物思いに埋まっていると静かな声が聞こえてきた。見上げると背の高いスタッフがコーヒーポットを片手に立っている。そろそろ帰ってくれませんか?という意味だろうか。
答えられずにいると、湯気をたてたコーヒーがカップに注がれた。
「あ・・・すいません。すぐ帰りますから。」
「いえいえ、どうぞごゆっくり。」
あ、思い出した。偶然入ったと思っていたが、この店は以前見た番組に出ていた所じゃないか?
見覚えがあったから入ってしまったのかもしれない。今コーヒーのおかわりをくれた人・・・映画の人だ。
ふっ・・・自嘲じみた笑みが浮かぶ。「家族の再生物語」そんなキャッチコピーの映画なんてゴロゴロしている。最後は皆笑顔になってめでたしめでたしってやつだ。アクシデントを乗り越えて家族の絆が深まる。でも違う、自分の家はアクシデントも何もないままに、あんなことになってしまった。映画ごときで変えられるとは思えない。
でも・・・切っ掛けになるかもしれない。ここで何もせず本当に壊れてしまったら後悔するだろう。そうだ、俺はまだ後悔すると思えるだけの重みを家族に持っている。
「あの・・・教えてくれませんか?」
「はい。なんでしょう。」
「お恥ずかしい話ですが、家族とコミニケーションがうまくとれなくてギクシャクしているのです。そんな時に特効薬になるような映画ありませんかね。」
名前・・・何だったか。確か変わった名前だったような記憶がある。眼鏡のブリッチを心持押し上げて彼は俺の向こうの壁を見詰めている。沢山あるストックの中から映画の名前を検索しているのだろうか。
「特効薬になるかどうかわかりませんが・・・薬というよりホットミルクとかホットココアみたいなホッコリする映画があります。実話がベースになっているんですよ。」
「実話・・・。」
「ええ、奥さんを亡くした主人公は小さい娘と思春期の息子を抱えています。街はどこもかしこも奥さんの面影だらけで、彼は田舎に家を買います。でもそこは動物園の敷地の中にある家だったんです。」
「は?動物園?」
「そうです。動物園の再生に取り組む中で、息子や飼育員たちとの関わりが物語の骨子です。もちろん亡くなった奥さんへの想いも綴られています。主演はM・ディモンでタイトルは「幸せへのキセキ」
お休みの日にご家族と一緒に見たらどうでしょうか。」
初めて聞いたタイトルだ。M・ディモン?ああ「オーシャンズ13」に出てたな。ちょっとサルっぽい顔だったような気がする。
「大作じゃないですけど、ふんわりします。レンタe-zoには置いているかもしれませんね。」
一度も行ったことのないレンタル屋か。帰り寄って借りてみよう。少し早目に帰ってDVDを見ないかと妻を誘う。いきなり楽しい会話ができる気がしないけれど、DVDというアイテムがあれば話しかけることはできるかもしれない。
「さっそく見てみます。」
「ええ、是非。」
<<<数日後
「いらっしゃいませ。」
にこやかに出迎えてくれたのは少し小さめだけどとびきり可愛い笑顔のスタッフさんだった。
テーブルに案内されると、この間の眼鏡君がメニューを持ってきてくれた。
「いらっしゃいませ、メニューをどうぞ。」
「あの・・・覚えていますか?」
眼鏡の奥で瞳が笑みを浮かべる。
「ええ、勿論です。」
「『幸せへのキセキ』見ました。」
「どうでした?」
「ストーリーも何もかもよかった、そして身につまされました。自分は「冒険」を忘れてしまっていたようです。それと家族の大切さと言葉の大事さも。それに気が付けただけでもあの映画を見た甲斐がありました。さっそくDVD買いましたよ。いつでも見られるように。」
「それは良かったです。心が栄養をほしがっていたんですね。ホットミルクとかココアみたいに温かい、そんな映画です。」
「・・・はい。」
「ご注文きまりましたら、お呼びください。」
ドアを開けた客を迎えるために背を向けた姿を目で追う。
日常は当たり前に流れているけれど、何かを変える切っ掛けはあちこちに転がっている。この店に入った、思い切って声をかけてみた、それがまったく違う世界に繋がっていく。
最愛の妻を亡くした主人公を見て不謹慎だが俺が思ったのは「自分の妻はちゃんと生きている。よかった。」というものだった。こうして居なくなってしまったら、会話どころか姿も何もかも失ってしまうことに気がついてザワっとした。
主人公が息子と気持ちをぶつけ合うシーンでは、息子のセリフにドキリとした。
「僕はひげの剃り方だって知らない!」
・・・妻に任せられない物事が沢山ある。父親だからこそ向き合える場所が山のようにあるというのに、「おはよう。」だけでは何の役割もはたしていないじゃないかと愕然とした。
出逢いの場所だったカフェに子供たちを連れて出かけた主人公は妻との出逢いのシーンを一人芝居で子供たちに伝える。亡くなってしまった彼女の面影を3人が見つめるシーンでは自然に涙がこぼれた。
3人がとてもいい顔をしていたから。特に息子の眼差しは特別優しくて心が震えた。
「俺は・・・あんな顔をさせるだけの存在になれて・・・いないな。」
そっと伸びてきた妻の手が俺の左手を握った。ますます涙が止まらなくなり、映画が終わっても情けなくグズグズと泣いて鼻をかんだ。
妻はキッチンにいき、俺はなんとか涙と鼻水を止めようと必死に頑張った。思い出されるシーンに翻弄されながら感情の波が引くのを待つ。
テーブルに並べられたのは「たたききゅうりの梅和え」「冷奴」「白菜の浅漬け」といったツマミと初亀の4合瓶。
「久しぶりに飲みましょう。一緒に飲もうと思って買ったんだけど、仕事を始めたらなかなかペースが掴めなくて。掴めたかなって時には・・・なんだかね。冷蔵庫の野菜室に転がっていたからラベルがヨレヨレ。」
「・・・だな。」
「仕事と家庭の両立に躍起になってたら何も見えなくなっちゃって。いい映画だった・・・。私は和彦にあんな顔してもらえる存在なのかって、さっき怖くなって。同じことを思ったのね、貴方も。」
ガラスの杯に日本酒が注がれる。軽く杯をあわせてコクリと飲み込むと、フルーティなのにキレのいい旨みが喉を滑り落ちる。
「ああ、同じことを思った。」
「うん。」
少しずつ酒を酌み交わしながら、無言の会話が続く。言葉が無くても心地よかったのは随分久しぶりの感覚で・・・まだ失ったわけではないことに安堵する。
「明日ランチに出かけないか?和彦も一緒に。」
「あの子は明日池谷君と映画に行くのよ。」
「そうか・・・。」
「私の予定は何もないけど?」
さっきのお返しに隣に座る手を握る。
「思うんだけど。」
「なに?」
「仕事と家庭の両立って・・・それを言われるのが女性だけなのは変だよな。男だって同じ役割だろう?
現に俺は両立できていない。」
「・・・そうね。一緒に頑張ればいいわ、頼りにしてます。」
そういってほほ笑んだ妻の顔を思い出していた。
1本の映画によって取り戻すことのできた現実。
向かいに座る妻の顔は昨日の夜と同じように穏やかな笑顔を浮かべている。
「さあ、なにを食べようか?」
きっとこの間よりずっと食事を楽しめる。コーヒーの香りを思い切り吸い込めるだろう。
・・・今日俺は一人じゃないのだから。
FIN
「はい、OKです。」
ハルさんは僕の横にちょこんと立ってテーブルの俳優さんを見ています。今回も僕の役回りは映画の話をするだけで、これといって難しいことはありません。西山さんは僕のポンコツ具合を把握しているので、「あわわわ~~。」となるようなシチュエーションは設定しないのです。感謝です!
「ハルさん、今回は顔出しですね!」
「です!」
嬉しそうです。前回の後頭部だけっていうのがよほど不本意だったのでしょう。あ、そうだ、忘れないうちに渡しておこう。
バックヤードからDVDを持ってきてハルさんに渡す。
「ハルさん、これどうぞ。フランス映画です。」
「また・・あのクリーニング夫婦みたいな・・・のですか?」
あらら・・・トラウマ並みな反応ですね。
「いえいえ、子供が主人公です。『ぼくセザール 10歳半 1m39cm 』この子可愛いでしょ?ハルさんには負けますけどね。」
「トアさん・・・10歳半で139?なんか微妙に僕がお子ちゃまで小さいと言っているのですか!」
「何言ってるんですか!そんなこと言ってませんよ!」
「本当ですか?もおお~~。」
そんな会話をしながらキャイキャイしていた僕は気が付いていなかったのです。もちろんハルさんも。
後で・・・何という事だ!!!どうしよう!!!
という我が身に起こる事態・・・予測できませんでした、はい・・・。
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