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april.22.2016 あれ?
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「いらっしゃいませ。」
ドアの開く音とともに外の喧騒がお客様と一緒に入り込んでくる。店内の活気は外に漏れているだろう。トアの余波をおまけと捉えず、チャンスに変える。SABUROは疲労と睨めっこをしながら、毎日ベストを尽くすべく動いていた。何事も積み重ねだ。イチローだってモノにできる確率は3割。来てくれた人が何割リピートしてくれるか、そして何回も来店してくれる常連さんになっていくのか。一過性の集客UPだったとしても、そこでどれだけ種をまいて実にできるかにかかっている。
それは心のこもったサービスと、美味しい料理。そして満足したという充実感を持ってもらえるかだ。
「ごちそうさま、美味しかったです。」
「美味しかったです、また来ます。」
その言葉とともに向けられる笑顔をもらえるように、俺達は必死だった。
誰もが感じている手ごたえを確実なものにしたい。その願いは全員一致しているから日々無駄が少なくなってきた。ひとつギアをあげた状態をキープできるようになったのは大きい。
正明は迷うことなくドアに行き人数を確認している。素早く視界で空テーブルを確認しつつ案内する。4人グループの中には一昨日来てくれた人がいた。これはいい兆候で、美味しい店があるから一緒に行かない?そういって友人を連れて来てくれる。そして来店間隔が短い。熱があるうちに短いスパンで通ってくれる人は後々常連さんになる確率が上がる。集中して通ってくれて、そのうちパタリと来なくなる。たぶんまた新しい店を見つけてそこに通うからだ。そしてまた次に移る。
でもそのサイクルが一巡するとまた来店に繋がり、短いスパンではなくとも月に1度、週に1度というように顔をみせてくれるようになる。そのお客様の選択肢には常にSABUROが含まれている。そういう人を一人でも多く作りたい。広告によって集客は一時的に伸びるが、その波をキャッチする事ができなければ本当の水物で終わってしまうのが怖ろしいところだ。そして広告を重ね打ちすることで、受け取る側の印象が変わってしまうのだ。
「あ~また、ここ載ってるね。お客さん少ないのかな。」
この反応を一度得てしまうと挽回が難しい。そしてクーポンやディスカウントによって自らの首を絞めることになる。何にも勝るのは口コミと常連さんの数。これによって支えられた店こそが長く営業を続けられる。SABUROにはミネの父親の代からある「信頼」も備わっているわけだから、俺達はそれをベースに「よりよい場所」へと店を押し上げていきたいのだ。
やりがいのある毎日。
それが今のSABUROだ。
そして先月トアの誕生日に試食したワンプレートランチがメニューに加わった。『トアのワンプレート』というネーミングはミネがつけた。翌週には店にだせる状態まで内容を詰めていたらしいが、トアの放映を待った方がいいと判断したのは正解。
限定15食という多いのか少ないのか微妙な皿数に決まった。もれなく毎日完売している。チキンのソテーに少し時間がかかるけれど、確実に15食オーダーされる皿があるのは厨房的に楽らしい。仕込みだってその数ですむし計画的に仕入もできる。
オープン後30分で完売するから、遅い時間にやってくるすずさんが残念がっていて、いつか11:00に押しかけてゲットすると宣言していた。すずさんのスケジュールで11:00に優雅にランチは難しいだろうけど。
忙しい時間を超えると徐々に熱が引き始め、ランチの時間が終わる頃、ようやく一息つける。交代で皿を洗いながら片付けが始まり、最後のお客さんが帰られたら、そこではじめて「お疲れ!!」とミネから声がかかる。
最近役割が変った。ホールの整頓は俺の役目になり、トアは皿を洗う。衛は厨房を整えることに専念。そしてミネと正明が賄を作るのだ。真意を聞くと「12月までにハルを仕込んで脱ダースベイダーな俺になりたい。」という返事が返ってきた。
それも一理あるな・・・と感心。この忙しい時期はついつい目先に捉われがちなのに、ちゃんと先を見据えている。こういうところ、見習わなくちゃいけないなと思う。
俺と違って作る事に熱心な正明はミネの横でいつも真剣だ。指示を待つだけではなく自分から動いているようだし・・・だし・・・ん?なんだろ。
もしかしてこの二人は店だけではなく自宅でもこうやって時間を過ごしているのかな?
正明はミネがやろうとしている先が見えているようだ、ミネの言葉少ない指示に対応できている。
なんと、店だけではなく家でも訓練中なのか。ということは毎日料理しているってことか、正明!
うわ、尊敬しちゃうよ、俺。
カトラリーを揃え、ナプキンや調味料の補充をする。メニューをランチからディナーに替えて、今日のおススメを書く準備を始めた。最近のおすすめは早くだせるものをチョイスしている。最初の一皿はなるべく早くだしたい。一皿400円台の美味しいツマミが並んでいるので、全部オーダーするお客さんもいる。
ちなみに、俺のおススメは「たっぷりキノコと鶏胸肉のオレガノサラダ。」キツネ色にソテーされた何種類かのキノコとフワフワにボイルされた胸肉は細かく裂いてあってソフトでジューシー。ガーリックオイルと塩コショウのみの味付け。そして生のオレガノがふんだんに加えられている。ドライのオレガノはあんまりそんな感じがしないけど、フレッシュのオレガノは甘味があって淡白な鶏肉とキノコに妙に合う。他では食べられない味というか、食べたことのない味でお気に入り。キリっと冷えた白ワインが飲みたくなる。
リーズナブルすぎる・・・。でもミネは原価計算しているからむやみに高くしないと譲らない。父親からそれだけは守れと言われたそうだ。月に1度、二月に1度じゃなく、月に2回、週に1回来られる、そんなラインをキープしろというお達し。シンプルな材料にたっぷり手間をかけると実現するらしいが、大変だと思う。確かに「安い。」そう驚くお客様が結構いる。
いい香りが漂ってきた。
揚げ物の音とダシのいい香り。俺の予想では、かき揚げと蕎麦だな。正明はだし巻を作っているらしい。おお~鍋をあんなに立てるの?俺なら絶対中身を火の中に落としてしまうだろう・・・。
パスタが多いけど、たまに和食がでる。衛はあまり和テイストじゃないので、密かに嬉しい。(口が裂けても言えないけど。)
上手にできたようだ。満足気な正明の顔がそれを物語っている。
あれ?
なんで?
いつもはここで、ミネの頭ワシワシ攻撃になる。「おお~~いい出来だね。進歩したじゃないかハル!」なんて言いながら。
ミネの伸びた指先はその先に進むことなく、そっと握られた。
ミネの浮かべる表情は、何とも複雑。困ってる?苛ついている?我慢?なんだろう・・・。
俺は見てはいけないものを見てしまった気分になって、おすすめ書きの作業に戻った。
何かあったのだろうか。
でも二人は朝から何時もと一緒で、これといって変わったところはなかったというのに。
結局見なかった事にして、思考から押しやることにした。
クズ野菜たっぷりのかき揚げ、温かい蕎麦(ネギたっぷり)、だし巻玉子、おにぎりの賄は美味しかった。やっぱりたまにはこういうのいいね~うん。あまりに嬉しそうに食べていたのか、衛が俺をじとーっと見ていた。・・・喜び過ぎたかも。
コーヒーで一息つきましょうタイム。ミネはボーっとひとりテーブルに座って窓の外を眺めていた。
ハルはミネにコーヒーを運び、いつものようにトアと何やら話はじめる。
ミネは大事そうに両手でオリーブグリーンのマグカップを触っている。まるで抱きしめているかのような、その姿に心がザワザワした。
ミネはそんなことをしている自分に気が付いたのか、ぱっと両手を離し、愕然とした表情を浮かべている。いったいどうしちゃったんだろう。
えっ・・・
まさか・・・?
ミネから視線を逸らせて、同じようにマグカップを握る。
まさかとは思うけれど・・・面倒なことにならないといいなと思いながら考えた。
自分のことや衛の事。正明の気持ち、何かが生まれはじめたのかもしれないミネの心。
何をどう転んだって味方以外になれそうにないから、見守り続けよう。
何が起こっても不思議がない。それが人の心だ。
俺と衛が一番よく知っている…。
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