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may.29.2016 25年とこれからの時間 3
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「デートとなれば映画と食事。これが定番じゃないか。」
わたし達は当たり前のようにSABUROに来て向い合せに座っている。13:30の少し前に到着したとき店は満席だった。ちょうどタイミングよく一組が立ち上がりそれほど待たずに座れたのはラッキーだった。
「日曜日にくるのは初めて。」
「平日はもっと空いてるのか?」
「あまり変わらないかな。平日よりカップルが多いところは違うわね。」
正明がワインボトルを持ってテーブルの脇に立った。白いシャツとギャルソンエプロン。忙しく動いているせいかうっすら額に汗が浮かんでいる。漲る充実感、働くことを楽しいと思っている、それが伝わってきて心配は余計だったらしいと安堵した。
「これミネさんからです。ご来店ありがとうございますって。」
厨房を見れば飯塚さんと二人テキパキと手を動かしている。とてもこっちをみる余裕はないみたい。
「なんだかかえって悪いな。」
「ミネさんがどうぞって言ってるし、遠慮なく頂いちゃっていいんじゃない?」
正明はグラスにワインを注ぐ。キュっとひねりながらボトルの首をたてる仕草が決まっている。ちゃんとやれているのね、よかった。
「あ、父さん車じゃないよね?」
「大丈夫だ、JRと地下鉄。ちゃんとポスター見てきたぞ。」
「あ、そっか。今日は日曜日だったね。」
二人の会話に割り込む私。
「でもね、皆スマホ見ているの。誰も上みてなかったし、後姿じゃ正明だってわからないかもって思っちゃった。」
「今日CMのことは何人かのお客さんに言われたけど。ポスターのことは何も。「思いだし泣き」ってなんかいいですね。って言ってくれた。大部分が大人の女性の人だけどね。」
「私くらいの?」
正明は嫌そうに顔をしかめた。
「あのね、ミネさんに広美さんとか呼んでもらっているからって調子に乗らないでね。母さんよりもっと若い大人女子の方たちです。」
正明は膨れたままオーダーを取って行ってしまった。もう少し親の冗談に寛容であってほしいわ。
ワインと料理はやっぱり美味しくて、つい笑顔がこぼれてしまう。
コーヒーを飲む頃にはお腹はパンパン。店内が少しずつ静かになり空いたテーブルが目立つようになってきた。満足そうにゆったりと座る主人に言ってみる。
「少し安心した?」
「なにが?」
ぴょんと片方の眉だけあがるのは、図星だったときにみせる仕草。本人は気が付いていないけれど。
「正明の顔みて安心したでしょってこと。心配したようなことは今のところ起こっていないみたいだし。お姉さま達に可愛がってもらったって報告聞いたでしょ?」
今度はヤレヤレって顔。
私はおかしくなってフフフと笑ってしまう。
「お口に合いましたか?」
ミネさんがひょっこり現れた。
「もちろんです、かえって気を使わせてしまいましたね。ワインをありがとうございます。」
「いえいえ、広美さんとデートなら少しくらい飲んでもいいのかなって、ちょっとおせっかいを焼いちゃいました。」
フニャと笑いながらイヤイヤと手をふるミネさん。白衣の袖をきちんと肘までまくりあげているから、けっこうしっかりした腕が丸見えだ。筋肉と筋・・・うわ、いいもの見ちゃった。
ん?
主人が恨めしそうな顔をしてわたしを見ていた。あらら、見つかっちゃった。
「この度は御心配をおかけしたようで。高村さんには結構はっきり言いましたので、同じようなことは起こらないと思います、申し訳ない。」
深々と頭をさげるミネさんの腕を主人がポンポンと叩く。
「正明ときちんと話をして意志の確認もできました。まだわかりませんが今日の所は心配するようなことは起こっていないらしい。SABUROに何らかの余波があって集客に繋がれば結果オーライといえますしね。」
「誰かの犠牲によって増えた客数に万歳するくらいなら店を閉めますよ。皆が目指している「特別な場所」がそんな程度なら、来てくれる方に失礼です。
何かありましたらきちんと報告しますし。あとハルを預かっている責任があるので、ちゃんと守ります。俺は勿論スタッフ全員で。」
「宜しくお願いします。」
軽く頭を下げてミネさんは厨房のほうに戻っていった。途中で正明の頭をクシャっとしているのが見えて・・・ああ~あと思う。
どうやら二人とも同じことを考えているらしい、向かいの顔がそんな表情だ。
「いい青年だな。」
「ええ。」
「ああいう人が・・・。」
「わかるけれど、こればっかりはどうしようもないし。ミネさん一人息子さんだし、いたって普通の男性。二人がくっつくなんて夢のまた夢ね。」
「そうだな。正明だって俺達に言っていないだけで付き合っている相手がいるのかもしれないし。さすがにまだそこには触れられない。」
「そうね。」
正明が「この人が僕の恋人です。」そういって紹介してくれる日がくるだろうか。そういう大事な人がいても、わたし達には言わずに過ごすのだろうか。未来のことはわからないから考えても無駄。
その時その時に向き合えばいい。
「どんな恋でも応援してあげたいって思う。」
「そうだな。いずれにしても、最初は俺じゃなく広美に言うだろう。」
どうして急にそんな心境になったのだろう。私が言わないとこのままにしておくつもりね。
「ねえ、どうして名前を呼ぶことにしたの?もう「お母さん」は止めた?」
「・・・見逃してくれないのか。」
うふふ、困ってる、困ってる。
ふうとため息をついた後ポツポツと話しだす主人の顔を見ながら自分だって随分名前を呼んでいないなと考えていた。正明が生まれた後、いつからお父さんとお母さんに切り替わったのだろう。
「さっきの番組を見て思った。俺達にはたっぷり時間があるということ。」
「そうね、まだ先は長いわ。」
「俺が両親と暮らしたのは18までだ。そして結婚してからまもなく25年になる。親と暮らした時間よりずっと長い。」
確かにそうだけど、そんなこと考えたこともなかった。
「息子達は自分の家族を作って生活していくだろう。かつての自分のようにね。残りの時間を過ごすのは広美ということになる。すでに親よりも長く一緒にいて更にもっと長くだ。それに気が付いたら「お母さん」なんて呼んでいいのかって気になりだした。だから思い切って広美と言ってみたら・・・楽しくなった。」
「楽しく?」
「・・・一緒に出掛けたいと思った。」
「でもそれって正明が心配だったからでしょう?」
主人は顔をしかめた。不本意だったのね、私の発言。
「今までだったら自分一人で出掛けて確かめただろう。」
言われてみればそうだ。一人で考えて一人で行動する。どこかに出かけるのは息子達を交えて。他は年に何度かの知り合いとの食事、あとは親戚付き合い。
二人っきりで何かをするってこと随分していない。
それを当たり前だと思ってしまっていたから不満もない代わりに、出掛けようと誘う事もしなくなった自分。わたし達はそうやって過ごしてきた、何年も何十年も。
「当たり前だって思っちゃいけないんだなと気が付いた。映画は見ていないからジョージがどんな男なのかわからないし、突き進むしかなかった理由がわからない。
でもあのカップルは悩んだ末に自分たちには時間があることに気が付いた。その時間を大事にしようとしている。
親よりも長く一緒にいる相手、それが広美だろう?一緒にいるのが当たり前、いや違うな、いてくれて当たり前?かな、そんなふうに胡坐をかいていたら広美に愛想をつかされるかもしれないなんて思っちゃってね。
まずは日々できることを実践しようと考えたわけだ。
それが名前を呼ぶこと。出逢ったころはそうしていたんだし。」
驚きとともに胸の奥が熱くなる。全然変わっていない、出逢った頃と同じ。わたし達は変わったわけではなく色々なことを忘れてしまっただけだ。忘れたなら思い出せばいい。お父さんとお母さんばっかりだった自分達はこれから夫婦として生きていく。息子達を見守りながら、わたし達二人の時間を過ごす毎日を送る。
「明さん。」
コーヒーカップをソーサーにのせる直前だったからカチンと強い音が鳴って肩がびくっと震えた。
「あ・・・いや、すまない。音が・・・。びっくりして・・・」
ドギマギしている!可愛い!
若い頃は尊敬できる年上の男性というイメージだったから可愛いなんて考えたこともなかった。25年の時間を積み重ねて、私はこの人に近づけただろうか。たぶん近づけたと思う。可愛いと思えるくらいには。
「私も明さんの真似をすることにします。月に1度くらいは出かけましょう。そして今日みたいに、昔みたいに何かひとつわたしに買ってください。映画をみたりブラブラしたり、イベントを見たりね。お昼はここで食べて満腹になって家に帰る。」
「そうだな。時間を作って出掛けよう。」
「決まりね。」
とても不思議。正明がこのお店と出会ってから北川家は少しずつ変わった・・・いや変わってしまったものを少しずつ取り戻している。
家族として親子としての絆が戻りはじめている。
そして今日から夫婦の絆に向き合って、私達にある「たっぷり」の時間を大事にすることになった。
人の縁。
それを作ってくれたのがSABUROだとしたら、ミネさんのいう「特別な場所」に間違いない。
たぶん・・・きっと正明は大丈夫。
何故かそう思えた。
「そろそろ帰ろうか。」
「そうね、帰りましょうか。」
立ってみると思っていたよりずっと満腹だと笑う明さんを見ると、若い頃には言えなかったことが言いたくなった。
「明さん、せっかくだから手を繋いで帰りましょう。」
一瞬固まったあと慌てて伝票を手にとり背中を向ける。そしてまたも耳が赤い。
今日何回見たかしら、何年も見ていなかったから丁度いいかもしれない。
明さんとわたし、正明と俊明。それぞれがたっぷりある時間をこれからも生きていく。そこにはそれぞれのカタチが存在するのだろう。
全部大事な色々なカタチ。
昨日の自分には想像できなかった今日という日を忘れない。
時々明さんの耳を赤くさせて可愛いって笑う、そんな毎日を繰り返そう。
わたしはそう決めた。
END
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