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june.4.2016 昔の男、現れる 3
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「にがっ。」
気がまぎれるかと思って注いだビールは美味しそうな色をしているのに、ちっとも美味しくない。
カウンターに座って薄暗い店内に一人でいると、何年か前の自分を思い出した。太郎を 帰した後、漠然とした不安や足りていない事、そして手が回っていないという焦り。それがゴチャゴチャになるとこうやって一人で座ってビールを飲んだ。
問題に向き合っているような気分を味わって少しだけ安心する。でも不安が全部消えるわけではなく、ずっと鉛のように体の中に沈んでいるのがわかる・・・あの時間。
問題の解決ではない。具体策を考えたわけではなく、ただただ悩んでいたあの頃。
参考書を買って勉強をした気分になるのと一緒。
なにも解決しないわけだ、問題に取り組まないと。
そんな時に飲むビールは常に苦かった。
最近考えてしまうこと。
それを今日飯塚に指摘されて俺は言葉を失った。
「ずっと思っていたけどな、村崎、お前過保護すぎないか?」
「なんの過保護?」
「北川だよ。」
「いや~だってご両親から預かったわけだし責任あるでしょ。」
「責任はある、オーナーとして雇っている責任も勿論だ。でも心配しすぎだし、もう少し信用してやってもいいじゃないか。」
飯塚にそう言われても俺はピンとこなかった。お前のほうがよっぽど理を甘やかして過保護にしてるじゃないか、そう言ってやろうとしたときに飯塚が先に口を開いた。
「今回のことは確かに高村さんの勇み足的な部分はあるさ、それは俺もわかる。でもなんていうかな・・・トアのことはあんまり心配していないのに北川のことはちょっと敏感すぎるくらい心配しているだろ。」
「だってトアは大人じゃないか。」
「大人っていうけど。じゃあ北川だって立派に成人している男だぞ?歳だって4つ5つしか違わない。」
「いや・・・そうだけど。」
「あんまりそんな風に構っていると困るぞ。」
「どういう意味?」
「北川に恋人ができたらどうするんだ?親より心配して門限とか作るのか?ありえないだろ。学生じゃない社会人なわけだし。それに村崎寮はなくなるだろ?」
「・・・え、なくなるって?」
「北川が好きな相手と住むとなれば出ていくだろう。お前だって結婚を考えるような相手ができたら、成立しなくなる。北川は甘ったれたヤツじゃないけど、お互いに依存する事が増えると後々面倒にならないかって心配しているわけ。
なんていうか、村崎は北川にべったりすぎだぞ。猫かわいがりしてる。」
飯塚は少し呆れたような表情を浮かべながら言いたいことを言いやがった。
そして俺はドキっとして何も反論できないまま、この会話は終わった。
思い出したから。もし両親が帰国したらハルとは住めなくなるなって考えたときに自分が思ったことを。ここを出てハルと一緒に住めばいい・・・それがとてもいいアイディアだと浮かれた自分。そのすぐ先に怖くなったこと。
飯塚が今言ったことはそれと同じことだった。
結婚を考える相手ができたら・・・
ハルに恋人ができたら・・・
二人の今ある生活は無くなってしまうということだ。
ジョッキには水滴が雫になってカウンターを濡らしていた。コースター忘れたのか、俺。人差し指で水の輪を広げてみる。黒い筋が木目に沁みていくのを見ながら、ハルと住むようになってからの自分の変化を考えてみた。いや・・・たぶんマグカップをプレゼントしてくれた時からだ。
かわいくてしょうがないと思うようになった。
そう、いちいちかわいい。
「性別って・・なんだ?」
口にだしてみる。そうすれば何かが変わるかもしれない、そう思った。
変わるはずもない・・・。
変わらない事を認識して、その後、で?俺、どうすんの?
性格はサービスに向いているというか、ちゃんと全うする真面目さを持っていて
それでいて、自分を保っている・・・そう見えた。
だから安月給の見返りに同居を提案した。
それが問題だった・・・。
ほぼ同じ献立の朝食を毎朝初めて食べるように嬉しそうにする。
パンツを替えてシャワーを浴びろとせっつき
買い物にいって
ハルの好物の常備菜を作る
頭をワシャワシャにして
ドラマをワクワクしながら見る
寝起きのボワっとした顔。そのくせちゃんとコーヒーをいれてくれる
いちいち・・・ハルは俺に刺さる
そんなタイミングで現れたのは元カレという男だった。
ハルより背が少しだけ高い、真面目そうなヤツだった。少し意気地がなさそうに見えたのは過去の経緯を知っているせいで、そんな値踏みをしたのかもしれない。
今更なんの話があって来やがったのか言ってやりたかったが、ハルに会いに来た男に俺がそこまで言う権利はないと踏みとどまった。それにハルは話を聞きにいくと言ったわけだし。
一人で家に帰って待つのはいやだった。ここに座っているほうがずっといい。
先に帰って寝てしまって、朝起きたら俺しかいなかった・・・そんなことを想像したら家に一人で帰るのは嫌だった。
あの男は俺みたいにハルの髪に触れたのだろうか
一緒に食事をしたことだってあるだろう。制服姿でマックを食べたりしたはずだ。
映画を見に行ったり
色々な話をしただろう
俺よりもずっとハルの嬉しい顔を知っているのかもしれない。
「どうすんの、俺。どうしたいの俺。」
返事なんか返ってこないし、答えだってない。
その時ドアがきしむ音がしたから振り向くと、そこにハルが立っていた。
・・・よかった、帰ってきた。
「ハル、お帰り。約束守っておりこうさん。」
「・・・ただいまです。もう電車出ちゃいましたね、すいませんでした。」
「んん・・だな。どうしようか、タクシー乗るしかないな。チャリンコ買ったらいいのかも、こういう時。」
ジョッキを洗う気になれずカウンターに乗り出して厨房側に置いた。明日洗えばいい。
ハルは気が抜けたように椅子に座る。何を話したのだろう、そんなに緊張する時間を過ごしてきたのか?大丈夫だった?言いたいことはたくさんあるのに出てこない。
「大丈夫?」
ハルは少しだけ頷いて俺をずっと見ていた。笑っていない、でも悲しそうではないし怒っているわけでもなさそうだ。
ハルの向かい側に椅子をひっぱり座る。ぎゅうと胸が圧迫されたような感覚が気持ち悪い。
「あの男はなんて?」
両手をそっと握る・・・ハルに触れて確かめたかった、その存在を。
「ごめんなさいを言いに会いに来ただけです。僕は別に謝ってほしいわけじゃないのに、僕の都合なんかお構いなしに悪かったって何回も言いました。」
「そっか。」
「そうです。たぶん結婚するか何か・・・昔のことをスッキリさせたかったタイミングだったようです。」
「ハルのために来たんじゃない。自分のために来たわけか。」
「はい・・・肝心な時に尻込みするのです、でも正義感が強いというところがあって。」
繋がった両手を見ながら、自己満足のためにわざわざやってきた男にバカと言ってやりたくなった。そんな事なら店にハガキでも寄越せばいい。もう何年も前の出来事を今更謝ってハルが救われる?そもそも救ってくれなんて思っていないのに。ハルにとって過去になった自分の存在を何故示す意味がある?ムカムカする。イライラする。
「話に聞くのと、実際見るのは全然違うのな。」
「・・・なにが・・ですか?」
感情が渦巻いているせいか言わなくてもいいことを言ってしまった。誤魔化すために笑って見せる。
「元カレってやつ。あの男が付き合っていた男なんだなって。なんだかね、変なんだわ、俺。」
「ミネ・・・さん?」
あの男はハルの髪を触った?
コーヒーいれた?
・・・くそっ!
「必要と・・・いないと困ると・・・好きの違いはなんだろうな。」
俺にはハルが必要で・・・いないと困るんだ。
でもさ、俺もハルも男なんだよね。俺はこっから先のことわからなくて怖いんだ。
どうしようか、どうしたらいいと思う?
それは言葉にならなかった。
「さ、帰ろっか。」
ゆっくり立ち上がると二人の手がほどけた。俺を見上げるハルの瞳は揺れもせず澄み切っていた。そんな綺麗な目で俺を見てくれるんだな、ハルは。喉の奥が閉まったような感じになってむりやりそれを飲み下す。
「あの人は・・・もう来ませんよ。」
「うん、わかってる。」
考える前に体が動いて、はっとした時にはもうハルを抱え込んでいた。
「ミネさん、過保護すぎます。」
「わかってる。」
「変ですよ。」
「うん・・・わかってる。」
ハルはちゃんと帰ってきた、待っていたら俺のところに帰ってきた。
ここにいる。
そうか・・・不安だったのか、俺。
ハルがいなくなるって事を実感したんだな・・・俺。
それで不安になって、ちゃんといるって確かめたくなって。
おとなしく動かないハルはやっぱりかわいいわけで・・・終わってるな俺。
「帰ろっか。なんか安心した。ちゃんと帰ってきたから。」
「僕は他に行くところも、行きたいところもありませんよ?ミネさん、僕のこともっとちゃんと見てください。」
「・・・ハル。」
「僕のこと、もっとちゃんとです。」
「・・・そうなのかもな。」
「そうですよ。」
座っていた椅子をもとの場所に戻してドアに向かう。
今日2回目の施錠をして鍵をポケットにつっこんで振り返ると、ハルの右手が伸びてきた。素直にその手を取る。ハルが伸ばしてくれたから、迷わず手を握る。
「帰りましょう?明日も仕事です。」
「うん。」
タクシーまでのわずかな距離を歩いた。
ほんとに、ほんの少し。一丁にも満たない何十歩かの距離。
「ちゃんと見てください。」・・・か。
俺も自分のことちゃんと見なくちゃいけないな。未知すぎて怖いけど。
少しずつ整理したら何か見えるかもしれない。
この繋がっている温かさの意味を知ることができる・・・かもしれない。
できるのかな・・・俺。
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