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◆常連「すずさん」の巻◆
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「正木、アポは14:00で間違いないよね。」
「大丈夫です。先方さんに今朝確認済です。」
時間はただいま12:05。
なにも給料日にコンビニに行かなくてもね。そうよ、ご褒美をもらってもいいじゃない。
思いつくところは「SABURO」
オフィスのデスクの上でオーダーするメニューを決めてしまう。やっぱり、ラグーよね・・・。
「外にでるわ。13:00過ぎには戻るから。」
デザートにはジェラードをたべちゃおうかしら。
急ぎ足でオフィスを後にした。
職場のビルから歩いて3丁、市内中心部の大通りとススキノの間。若干西界隈に目指す店がある。
ダークブラウンの木板の壁に大きなウィンドウ。店内の白い壁は外からみても眩しく清潔。
オリーブグリーンのドアを開けると、思いのほか高い天井から落ちてくるダウンライトの温かい光。天井の梁、カウンター、店内を引き締める色は外壁と同じダークブラウン。
ドアと同じオリーブグリーンのクロスがかかったテーブルが8席。6人座れるカウンターはキッチンの目の前-そこが私の指定席。
「いらっしゃいませ。」
去年の暮れあたりから、ここで働くようになったかわいい男の子に出迎えられる。
「こんにちは。」
知らずに自分も笑顔になってしまう、そのくらいいい顔を浮かべる彼。
今まで残念だったのは、この店のスタッフの少なさ。特にランチは時間があるときしか来られなかった。厨房に一人増えて料理がすぐ出てくるようになったけれど、ホールにはあと二人ぐらいいないとね。
「いい人いたら紹介してくださいよ。」いつも実巳君にそう言われるけど、いい人なんてそうそう転がっていないのよ。
彼は合格!長くここで働いてほしい。
迷わずカウンターに陣取ると、実巳君の「すずさん、いらっしゃ~~い。」が聞こえてくる。
この脱力加減に癒される・・・。
わたしは学生の頃からこの店に通うようになった。その頃は実巳君のお父さんとお母さんが切り盛りしていて、なんともホッコリする雰囲気と優しい味に魅せられて大ファンになった。
ホールを手伝ったりしていた実巳君が高校を卒業して厨房に入るようになり、その後店を引き継いだわけだけど、変わらず美味しい料理と落ち着くいい店であり続けている。
「実巳君、エゾシカのラグーのパスタをお願いします。」
「すずさん、ほんと、好きだよね。俺は嬉しいけど。」
お父さんの代は豚のラグーだった。
「やっぱり北海道で肉といえば豚か鳥、焼肉ったらジンギスカン。本当はボロネーゼって牛肉なんですよ。食べ慣れた豚肉でソースを作りたくて。本場に敬意を表してボロネーズと言わず「ラグー」としてメニューに載せました。」
そう言って実巳君のお父さんであるシェフが出してくれたパスタは今まで「ミートソース」として食べていたのは何だったんだ?と思うぐらいの衝撃の味。
実巳君の代になって、豚のラグーにエゾシカが加わった。これがまた絶品。
無性に食べたくなるのよね、今日みたいに。
♪♪♪
「・・・。」
なによ、電話が鳴るってどういうことよ!
ディスプレイに映る文字「正木」
あのバカ、ほんと使えない!アポは確認しましたと言ったよね、じゃあ、今度はなによ。
スマホを握って席を立つと、キッチンから実巳君がパスタを握って頷いている。
『電話終わるまで茹でないよ』そんな顔をしてパスタ片手にブクブク沸騰している鍋を指差した。
トイレの前のちょっとしたスペースに移動して電話にでる。
「はい鈴木。」
『お疲れ様です!鈴木さん、すいません!』
「すいません?今度はなに!」
思いのほか声が大きくなってしまった。だってしょうがないでしょ、大好物のラグーが逃げていこうとしているんだから。
『13:00にSONの佐々木さんが来ること俺忘れてました!』
「・・・。」
『変更した点のチェックです。今日の午後イチで下版しないと納期に間に合わないから確認してくれって昨日連絡きてたんです。それ忘れてました、すいません!』
「忘れるって・・・あのね。」
時計を確認する-12:27
「これから戻るから。最初にあげてもらったラフと前回のデザイン用意しておいて。変更点に漏れがないか確認に必要だから。それと納期と納品場所を先方さんにもう一回確認とって。
佐々木さんからT-プリンツに下版データーいってから納期違ってましたなんてシャレにならないからね!わかった?」
『わかりました!すいません!』
「これから戻るわ。」
忌々しいこのスマホめ!いや違うわ、バカ正木め!
カツカツとヒールの音をさせながらカウンターに戻ると、実巳君はもうパスタを握っていなかった。
「すずさん、相変わらず忙しいよね~。このまま会社に戻るんでしょ?」
「残念ながらね。」
ラグーどころか昼ごはんすら喰いっぱぐれ状態じゃないの。
帰りにコンビニでおにぎりでも買って帰らないと午後の仕事に影響がでそうだわ。あ~~あ。
「すずさん、押し売りしていいかな。」
「押し売り?」
カウンターの上にコトリと皿が置かれた。
真っ白の皿にのっているのは、湯気がたつアツアツのパニーニ。
「え、これ何?」
「電話の様子じゃパスタは無理っぽいから、今日の賄い用に作ったラタトゥユとモッツァレラのシュレッドを入れたパニーニだよ。賄いだからくず野菜がたっぷりで見た目は売り物にならないけど、味は抜群だしパンに隠れていれば問題なし。そして~」
皿の横に今度はスタバのタンブラー。白熊のイラストが入っている北海道バージョン。
「俺のタンブラーなんだけど、テイクアウト用のカップがなくてね。コーヒーとパニーニで¥540。
いかがでしょうか。」
「こんなのメニューにないじゃない・・・。」
「ないよね~だって今思いついたし。コンビニやマックよりいいでしょ。仕事しながらでも食べられるし。お腹グーグー鳴ったら恥ずかしいでしょ。お腹鳴らしているすずさん、可愛いけどね。」
ケラケラ笑う実巳君。
なんだか涙がでそう。人から受ける心遣いって、不意打ちだとものすごい破壊力がある。
まったく、この人タラシめ!
「こんな押し売りなら大歓迎よ。あと10歳若かったら実巳君にアタックしてたわ。」
「愛があれば歳の差なんて~それは冗談だけど。すずさんの彼氏に殴られたくないので、せいぜいお抱えシェフぐらいにしておきますよ。またお二人で来てください。」
ごめんね、テイクアウトの備えがなくてさ。実巳君はそう言いながらオーブンペーパーを一度クシャクシャに丸めて柔らかくしたあと、パニーニを包んでくれた。
「タンブラー返しにくるから。」
「いつでもいいですよ。ラグー仕込んで待っています。ありがとうございました。」
12:41
私は自分のデスクの上で、バタバタする正木を横目にパニーニを頬張った。
美味しすぎる!!!
野菜の甘みがしっかり染み出たトマトの風味が抜群のラタトゥユ。モッツァレラチーズが細く伸びている姿は美しさすら感じるわ。
だから辞められないのよね、あの店は・・・癖になる。
「鈴木さん、めっちゃ旨そうですね。どこで買って来たんですか?スタバの新商品?」
「うるさい、仕事しろ。デキル男になったら教えてやってもいいけど、今はダメ~。」
「ううう・・・ひどい。」
「私だけの秘密の場所だからね~。」
ひどいのは、お前の仕事っぷりだよ正木君。
世界中に「SABURO最高!」と叫んで教えてやりたい気がする反面、誰にも教えたくない。
それが私にとっての『Kitchen SABURO』
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