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詩篇22
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僕は、聖書を手にとった。
西欧文化理解にキリスト教は欠かせないので、持っていたのだ。
パスコリの詩にも、キリスト教文化はやっぱり関連していて、死をテーマにする限り、当然だな、と思った。
十字架にかけられる。
僕は自分の苦しみを思った。
弓弦さんの苦しみを思った。
十字架にかけられて死ぬときに、なんて言ったんだっけ。
そうだ。
「エリ、エリ、サバクタニ」
我が神よ、我が神よ、なぜ私を見捨てるのか?
ええと、それには確か続きの言葉があるんだった。
僕は、詩篇を開いた。
弓弦さんの甘い声がそれを朗読するのを想像した。
弓弦さんの落ち着いた、僕より低い声が聞こえるような気がした。
僕は、弓弦さんの声に合わせて、声に出して朗読した。
僕の声と弓弦さんの声が重なって、 二重唱のようになった。
まるで、お能の「隅田川」のクライマックスのようだ。
さらわれて死んだ愛しい息子と、探しあぐねて狂女となった親の二重唱。
不吉だ。
そんなことを考えるなんて。
弓弦さんとは、ずっと連絡がとれないままだ。
まさか。
いや、もう僕に会いたくないだけだろう。
僕は、いろんなことを知りすぎてしまったから。
彼は、クールな人だから、そんなにべったりと近寄ってほしくなかったのかもしれないし。
プライバシーを知られたくなかったのかもしれないし。
それとも、もう、ただ、新しい仕事を探しているのかもしれない。
体調が悪いから、実家に帰ったとか、どこかで療養しているとかなのかもしれない。
きっと、今は、一人になりたいんだろう。
でも、僕は、一人でいるのがつらかった。
誰にも言えないことがつらかった。
今なら、弓弦さんと、思いを共有できるのに。
あの頃は、だめでも、今なら。
だけど彼はいない。
帰ってこない。
どこにいったんだろう。
どこにいったのかわからない。
寂しい。
一人でいるなんて。
どうして連絡もくれないんだろう。
すごく困っているのではなかろうか。
お金はあるんだろうか。
仕事をやめて、住むところは、前のアパート?
違うはずだ。
どこにいるんだろう。
どうして、ひきとめなかったんだろう。
もっと強く。
隅田川。
とむらいの念仏をともに唱えて、極楽往生するハッピーエンド。
ハッピーエンドなのか?
バッドエンドかな?
死んだからといってバッドエンドじゃないかもしれない。
でも。
何考えてるんだろう。
僕は、不吉な考えを頭から振り払った。
死は解放だ。
死は慕わしい。
死の手に委ねられて、死にひきわたされて、
感謝とともに生を終えるとき、死は休息であり、新たな始まりであるかもしれない。
けれど、今の僕は、何も考えられない。
苦しみが、僕をぼんやりさせた。
弓弦さんの声が聞こえてきた。
僕は、もう一度、声に出して続きを読み始めた。
弓弦さんの先導に続くように。
僕の声と、弓弦さんの声が重なった。
悲しみに触れるために。
そう、何も感じられない、麻痺したような心。
凍りついた感情。
緊張して、かたまった感情が流れ出す。
僕の悲しみが。
「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。
なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず 呻きも言葉も聞いてくださらないのか。
わたしの神よ、昼は、呼び求めても答えてくださらない。
夜も、黙ることをお許しにならない。
だがあなたは、聖所にいまし、イスラエルの賛美を受ける方。
わたしたちの先祖はあなたに依り頼み、依り頼んで、救われて来た。
助けを求めてあなたに叫び、救い出され、
あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。
わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。
わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い、唇を突き出し、頭を振る。
『主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら助けてくださるだろう』
わたしを母の胎から取り出し、その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。
母がわたしをみごもったときから、わたしはあなたにすがってきました。
母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。
わたしを遠く離れないでください 苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。
雄牛が群がってわたしを囲み、バシャンの猛牛がわたしに迫る。
餌食を前にした獅子のようにうなり、牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。
わたしは水となって注ぎ出され、骨はことごとくはずれ、
心は胸の中で蝋のように溶ける。
口は渇いて素焼きのかけらとなり 舌は上顎にはり付く。
あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。
犬どもがわたしを取り囲み、さいなむ者が群がってわたしを囲み、
獅子のようにわたしの手足を砕く。
骨が数えられる程になったわたしのからだを彼らはさらしものにして眺め、
わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く。
主よ、あなただけは、わたしを遠く離れないでください。
わたしの力の神よ 今すぐにわたしを助けてください。
わたしの魂を剣から救い出し、わたしの身を犬どもから救い出してください。
獅子の口、雄牛の角からわたしを救い、わたしに答えてください。
わたしは兄弟たちに御名を語り伝え、集会の中であなたを賛美します。
主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。
ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。
主は貧しい人の苦しみを決して侮らず、さげすまれません。
御顔を隠すことなく 助けを求める叫びを聞いてくださいます。
それゆえ、わたしは大いなる集会であなたに賛美をささげ、
神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
貧しい人は食べて満ち足り、主を尋ね求める人は主を賛美します。
いつまでも健やかな命が与えられますように。
地の果てまで、すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り、
国々の民が御前にひれ伏しますように。
王権は主にあり、主は国々を治められます。
命に溢れてこの地に住む者はことごとく主にひれ伏し、
塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。
わたしの魂は必ず命を得、
子孫は神に仕え、主のことを来るべき代に語り伝え、
成し遂げてくださった恵みの御業を、民の末に告げ知らせるでしょう」
(新共同訳1987)
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