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遠き日のすれ違い
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夕飯を食べ終えてお風呂を借りた俺は、直輝と共に早めに就寝した。だからなのか草木も眠る時刻。隣で眠っていた筈の直輝がいなかった事に気づいて目を覚ます。
若干の喉の乾きを覚え、トイレのついでにリビングへも顔を出そうかと思案しつつ階段を降りた。その途中で聞こえてきた会話は予想通り直輝のもので、もう一方の鋭くも透き通った声音は皐季さんのものであるのに気づく。
言わずもがな俺は好かれてはいないし、肩透かしをくらうほどに天使家の人達は関係を応援してくれた。けれど気まずさが無いかと聞かれれば否だ。後ろめたさはそう簡単には拭えない。
このまま顔を出すより静かに戻るべきかと踵を返した刹那、聞こえてきた科白に思わず足が止まる。
──なっちゃんには悪いけどさぁ、あの子はまたお前を捨てるよ
思わない科白にビクンと肩がはねた。
夕食時、皐季さんの瞳は何かを見透かしてるかのようだった。その強さに耐えきれず目を逸らした俺は、どうして、逃げたのだろう?
「……皐季に何がわかるんだよ?」
「だって俺、オニイチャンだからな。普段どれだけ巫山戯てたってね、大切な弟の事は本気で大切に思ってんのよ」
──だから忠告しておくけど、お前達大切な事を知らないままで上手くいくなんて思うなよ?
皐季さんの緩い笑みが脳裏に浮かぶ。口元だけに笑みを浮かべて、瞳は少しも笑ってなんていないゾッとするような笑顔が。
「皐季、お前なんか知ってんの?」
「俺が知ってると思うの? あのねぇ、知ってたらとーっくにそれをネタに別れさせてるよー」
キャラキャラ笑う皐季さんは少し酔っているのかもしれない。
直輝も飄々としているが、それを超えて流石兄だと思うほどにあの人は胸の内が読めない。
俺が気づいていない事をまるで気づいているのだと言わんばかりの科白は頭の中を掻き回すには十分な程の重りだ。
「それにさー俺ね、ほんっとにあの子嫌いなんだよ」
「祥を嫌う奴なんかみたことがないな。どうせくだらない理由だろ?」
「……どれだけいい奴だってな、嫌われない人間なんかこの世に存在はしないんだよ。なっちゃん? 当然、俺もなっちゃんも、あのワカメ頭もね。必ず憎む人間がいんの。あんまり浮かれてると足元をひょいっとすくわれちゃうよ?」
直輝の声音に苛立ちが混ざり出す。
何か明確な理由が確かに存在しているのだが皐季さんは揶揄るばかりで尻尾をだそうとしない。良くないことだとはわかっていても、俺は壁を背に預けて息を潜め、耳を済ます。
「はっきり言え」
「だからお前達根本的な所がなってないんだって」
「根本的なところ?」
「例えばなにか起こったときお互いに報告し合おうって考える?」
「当たり前だろ。何言ってんだよ」
「嘘だね。自分ひとりでどうにかしようってから回って気づいた時には大切なものはさようなら~ってな。なっちゃんも、あの子も他人が心の中にいなさ過ぎる。そんなんでどうして結婚したいなんか言えたかな? 結婚てさ、他人が家族になるんだよ。それがどういう事なのかもう一度考えろよ」
言葉一つ一つが胸にささる。思わず笑ってしまったのは間違いなく思い当たる節があるからだ。
直輝の方も俺と同じく引っかかるようで、ぐうの音も出ないのかそれ以上口を開くことは無かった。
「ずっと二人は一緒に居たけどさ。それがまず目くらましみたいに二人を遠ざけてるよな」
何も付き合いが長いことがいい事だとは言えないんだと皐季さんは続けた。
「今日の夕飯、あの子の態度がおかしかったのに気づいた?」
「それは当然だろう? 祥の事だから申し訳ないとか自分なんかだとか卑下して自分をせめてたんだろうし、緊張やらもあっただろう」
「それだけかね? 俺から見たら異常に思えたんだけど」
「……お前、ただ祥を悪く言いたいだけじゃないよな?」
「悪口なら腐るほど出てくるけど今だけはオニイチャンの忠告をしてやるよ。なっちゃんはきっと、祥の重要な何かを見落としてる。それがなんなのかちゃんと気づかなきゃ駄目だ。近すぎてきっとお互いに見えてないんだろうね」
話は終わりだと皐季さんさそれ以上口を開くことは無かった。
俺の重要な何かとは一体なんなのだろう?
近すぎて見えないものって、離れたからって見えるものなのか。
仮に死ぬ時まで一緒に過ごしたとしても、俺達はきっと知らない一面がある事を知らないまま死んでいく。それは決しておかしな事でもなくて、寧ろ全部を知ろうだなんてことが無理な話なんだ。
そう思ってしまう時点で皐季さんが言う様に、俺の中で「他人」という存在が軽薄なモノになっている証明になるのだろうか?
一人思案していた時ふと影がさす。
反射で上向くとそこには妖艶な笑みを浮かべた皐季さんが立っていた。
「あっ、俺」
盗み聞きしていたと知れるなんて最悪だ。今でも印象は底辺だというのにこれ以上落ちてしまえば床を突き抜けてしまう。
思わず謝ろうと口を開いた時、皐季さんの綺麗な人さし指が俺の唇に触れた。
「煩いよ。お前が盗み聞きしてた事なんかとっくにお見通しだ。それより黙ってついておいで、いい事を教えてあげるよ」
──直輝が墓まで持っていく秘密を。特別に教えてやるよ
皐季さんは猫のように目を細めるとゆらりゆらり気まぐれに尻尾を揺らすかのように車のキーを手にして歩いて行った。俺の返事を待たずに。
そして俺は、迷うことなく皐季さんの後を追いかけて車へと乗り込んだ。
助手席に乗ると皐季さんが「図々しいな」とこちらを一瞥しエンジンをかける。
思わず隣に座ったけど確かに図々しい。今からでも遅くない。後部座席へ行こうとドアに手をかけたら後頭部を叩かれ快音が鼓膜を揺らした。
「い、痛いです……っ!」
「ほんっと腹立つなぁ。一々俺の言うこと間に受けんなよ。めんどくさい餓鬼だねぇお前」
「だって皐季さんが」
「じゃあなんなの? 俺が別れろっていえば別れんの?」
「別れません」
「あっそ。ここで渋ったら山に捨てて帰ろうと思ったけど、まあいいや少しドライブに付き合えよ」
「直輝は?」
「今頃一人で悩んでるんじゃあないのかね? あの状態だと一時間はあのままだから大丈夫」
あの状態とはどの状態だろうか。
かなり気になりはしたが今はそんな事に気を取られている場合ではない。
「あの、皐季さん。俺に何を話してくれるんですか?」
「まあ落ち着きなよ。急いでも時間は早まりやしないんだからさ。まあそうだな……中学の頃の可愛いなっちゃんの話聞きたくないかなーってな」
「直輝の中学?! 聞きたいです!」
若干引かれはしたが、仕方ないと思う。だって直輝はあまり過去の事を話そうとしない。いつから好きだったのかはあの日お風呂の中で聞いたものの、それ以来昔の俺達の話は話題に登らない。というより直輝が故意的に避けているから俺もいつの間にか話さなくなった。
直輝には悪いけどかなり気になる。おまけに可愛いってなんだろうか……!
俺の知らない中学の頃の直輝の秘話でも聞けるのだろうか。
「そうだなー」
先ずは何が聞きたい?
皐季さんの問いかけに俺は、思いついた事から質問をした。殆どがたわいのない事だったが、昔の記憶に浸るには十分な時間だった。
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