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遠き日のすれ違い
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* * * * *
蔑むような嗤い声。言葉にせずとも滲み出る悪意に祥は背後から忍び寄る心無き嘲罵に嘆息し足を速めた。
「おいっ、無視してんじゃねえよ!」
何を言われようとも泰然としている祥に腹を立てたのか、先程より悪意を込めた野次を飛ばす集団のリーダー、橋下学が祥の背中を突き飛ばす。
「ッ、」
数ヶ月前迄はランドセルを背負う年頃、小学生であった彼の体は想像以上に軽く、未熟であり砂利の上を無様にも崩れ滑り突っ伏した。手に持っていたコーンも共に地面へと広がる。
体育委員である祥が与えられた仕事の一つも満足に達成できない理由は心底下らないものであった。
「……」
予想できなかった事態と、突如襲ってきた身体的苦痛に眉を寄せた祥は意志の強さが現れる凛とした瞳で自分を突き飛ばした本人を見上げる。彼もまた自分の予想を上回り吹き飛んでしまった事態に、驚き困惑を隠せて居なかったが、祥の反抗的な意思を読み取るなり顔を歪め怒りを露わにした。
「なんだよ、お前が勝手に転んだんだろうが!」
「突き飛ばしたのはそっちなのに?」
「うるせぇな。邪魔なゴミを突き飛ばして何が悪ぃんだよ?」
不遜な態度で言い切った橋下を見て、ますます祥は溜息を漏らす。
一体自分が何をしたからと言って彼にこんな扱いを受けなければならないのか。甚だ迷惑である。理解も出来そうにない。
話しても無駄かと切り捨てるなり、祥は立ち上がるとズボンの埃を払い、再びコーンを手に体育倉庫を目指した。
「おいっ! 無視すんなつってんだろうが!」
「じゃあ手伝ってくれればいいじゃん」
「てめぇ……ッ!」
ツンとした物言いに案の定橋下の顔が真っ赤に染まる。怒りで肩は上がり、握り締められた拳からは知りたくもない憤怒の熱が伝わってきそうだ。
けれども祥は一切彼に目もくれずに華奢な背中を真っ直ぐ伸ばして歩き続ける。
考えることと言えば今晩の夕飯のことであった。もはや完全に橋下の存在は意識の外へと放り出した時、頭全体を鋭い痛みが走る。
「な、ッ! 痛い、ってば!」
「うるせーよ。女男が偉そうな口聞くなうぜぇ」
「いたッ、橋下……、手離してっ」
背後から伸びた手が、濡れ羽色の髪を無惨にも鷲掴む。容赦なく握りこまれ、思うようにあちらこちらへと振り回す橋下の手を祥は両手で掴み離そうとした。
「つーかさ何でこんなに髪伸ばしてんの? やっぱりお前ってオカマ? 男が好きなの?」
「いいから離せってば!」
「答えろよオカマ! オーカーマ!」
「……ッ」
橋下の表情が恍惚と色を変える。先程迄、悔しそうに顔を歪め怒りで肩を震わせていた男とは思えない。祥が苦痛の色を濃く滲ませ、懇願する現状に満足気な笑みを浮かべていた。すると橋下は気分よく祥を「オカマ」と詰り、挙句の果てには自らの取り巻き達にも口にさせ拍手と共にテンポよく祥を嘲笑う。
祥は悔しさに唇を噛み締めるが、幼い表情には不釣り合いな達観した表情を見せるなりふっと腕の力を弛緩した。
「あ? んだよ、もう少し面白い反応できねーのかよ!」
祥がこれ以上橋下の手から逃れる事に躍起にならないと知るなり、左に大きく髪を掴んだままの拳を振ると素早く手を離した。
意図せず無理矢理加えられた力に左右された祥は痛みとふらつきになんとか耐えると、下劣な笑みを浮かべてこちらを見る橋下を一瞥する。
「どうしたんでちゅかー?」
「痛くて泣きそうなんじゃねえの?」
「祥ちゃん泣いちゃうだろ〜、やめろよな〜」
「ははっ、ダッセーの! 苛められてんのに言い返すこともできねーのかよ、だから女男って苛められんだよ。なぁ?」
ケラケラ上がる嗤い声の合唱を聞きながら祥は手櫛で髪を整えて再度歩きだす。相手にすればするほど橋下達の悪趣味な行いは過激になる事はとっくに知っていた。
無視をしたらしたで騒がしいし、相手にすればするほど付け上がる。一体どうしたものかと眉を寄せ一層儚い雰囲気を放つ祥を見る橋下の目に真っ黒な焔が灯った事など知りもしない。
そして再び橋下の手が今にも折れてしまいそうなほどに細く頼りない祥の腕を掴もうとした時、それは失敗に終わった。
「ッうあ!」
祥の背中に間抜けな声がぶつかる。そしてべシャンッと痛ましくも阿呆な音が届き、訝し気に背後を向いた時、答えの主である声が響いた。
「お前が一番だっせーよ」
気だるそうな声音。陽光に輝く白髪。上げられた長い足が地面へと下ろされる。面倒くさいと言わんばかりに冷酷な双眸が、地面へと突っ伏している橋下を見下ろしていた。
「直輝!」
「あ、あまつかっ!」
祥の声と、橋下の声が上がったのは同時だった。
「祥ちゃん、またこんなゴミ虫に苛められてんの?」
「……別に。苛められてなんか……」
「ふ、かーわいいねぇ? 俺がきて嬉しい?」
「嬉しくないよ!」
「うそ、ニヤニヤしちゃって今日も可愛いよ」
突如現れた幼馴染みの直輝は祥を見るなりパッと甘い笑みを浮かべた。
直輝に前蹴りをくらったのであろう橋下は尻についた靴底の跡を払うなり恨めしそうにこちらを睨みつけている。
けれども直輝は1ミリとも気にすることもなくまるで空気のように扱うと、当たり前のように祥の手からコーンを奪いとり、代わりに空いた右手をさらい指を絡め歩き出した。
「……な、直輝」
「んー?」
「俺といるとホモとかオカマとか言われるよ」
「はっ、なにそれ面白いな。俺と祥がデキてるって噂されんの?」
「ッ、嫌でしょ。だから」
「やだよ。離さない。手繋いでたらホモとか笑えるね、俺達小学生の頃からこんなんだったのに」
どこまでも自由気ままな直輝の態度に祥はほっと胸を撫で下ろす。
昔から変わらない。
突如綺麗な亜麻色の髪を白髪に染めてきた幼馴染みは、昨日と変わることなく今日も甘い笑みを浮かべて悪戯に自分をからかう。
けれど決してその瞳にも声音にも蔑んだ悪意など存在しておらず、確かに在るのは親愛や友情といった愛情であった。
「いっそのこと本当に俺の彼女になる?」
「ば! バカ!」
「そういう反応されると男って愉しくなっちゃうの知らない? あんまり可愛いことばっかしてると本当に食べちゃうから」
「な、に……を! 変態ッ、いい加減にしろ!」
少々行き過ぎたからかいではあるのだが、この幼馴染みの隣に居場所がある事が祥の中では何よりの安息だった。
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