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噛み合わせる歪み
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ただ必死だった。
思えば、あまり将来の事を具体的に話し合ったことは無い。どこか抽象的でいて、足元が浮かび上がっているような感覚だった。先の事を触れないようにいた歪みが、お互いに知らず知らずのうち齟齬を生み出したのかもしれない。ほんの少しの思い違いが大きなひびへと代わっていく様に。
「……だ、だから! 俺は直輝以外とか今更考えられないからッ!」
感情のままぶつけてしまったけど今になってジワジワと羞恥心が沸き上がる。人に気持ちを伝えるのは年々難しくなってきた様に思えるのはきっと勘違いではないのだろう。
思いの丈を相手にぶつけるだなんて事、当然慣れているはずも無く、心臓の鼓動が体に伝わり顔が赤らむ。
喋ることを知らないかのように、ただ呆然と見上げてくる直輝から思わず視線をそらせば、両手に顔を捕らわれた。
「は、離せッ」
「無理。こっち向いて、祥」
「やだよ……やだ。なんか俺、今凄い恥ずかしいこと言ったもん。絶対いや、顔見せられない」
「丸見えじゃん」
「だから! だから離せってば、もう、離してッ」
「……ごめん」
強い相貌に耐えきれず直輝の上から逃げ出したいのに腰を抱かれてしまっては身動きが取れない。
おまけに泣いちゃいそうな声で謝られちゃどうしようもない。
こっちまで心臓が痛くなる。恥ずかしくてなのか悲しくてなのか。いや、きっと全部だ。不透明の膜に覆われた瞳で見下ろせば、直輝はなんとも情けない顔で笑っていた。
「……そんな顔、するなバカ」
「ごめん、祥。ごめんな本当、嫌いになった?」
「はぁ?! だから、俺は……ッ!」
「俺は?」
ぐぅと喉が詰まる。
さっきは勢い余って感情を吐露してしまったけど今は冷静になりつつあるわけで、ましてやどこかふわりと浮かれたように微笑む直輝を見てたらまた一段と心臓が早鐘を打つ。
「だ、から」
「うん?」
「……す、好きなんだってば」
「誰を?」
「ッ直輝を! 俺は、直輝が好きなの! それは他の誰へと渡す好きとは比べ物にならないぐらい大きくて大切で、それから……少し厄介で」
「厄介?」
「……それだけ好きなんだから、俺だって後暗いこと考えるって事だよ……。言わせないで。そういう自分が嫌いで仕方ないのに。直輝には見せたくない」
どうしようもなく劣等感を抱いてしまう事とか。直輝が本来なら持てる筈だった家庭や子供、将来の団欒を俺は奪ってしまう。なのに、わかっていても手放そうとしないのは誰にも直輝を奪われたくないからだ。
俺だって、考えるんだよ直輝。
俺も、当たり前のように汚い気持ちを抱いてる。
「祥」
「……なに?」
「ありがとう」
「ッ、べつに……」
ふにゃりと笑った直輝は迷子から帰ってきた子供のように見えた。
切ないような、くすぐったいような。
結局のところ直輝の気持ちを聞く事よりも、俺の言いたいことを言ってタイミングを逃してしまった。
「直輝、ちゃんと話してくれる?」
「……」
「俺も言ったんだから、直輝も話してよ」
「……ああ、そうだね祥ちゃん。でも今はもう少しこのままでいたい」
「う、わぁっ!」
腕を引かれ直輝の上へと倒れ込む。ぴったりとくっついた直輝の胸から心臓の音が伝わってきて、瞼の裏が熱くなった。
直輝がここにいることを確かめるように首元へ鼻をすり寄せる。すんすんと匂いを嗅ぐと直輝は一段と力を込めて俺を抱きしめた。
「祥、好き」
「……知ってるよ」
「嬉しい?」
「……当たり前」
「俺にも言って?」
「もー、なに。どうしたの?」
「お願い」
「……好きだよ。好き。直輝が俺の世界で一番好きな人だよ。これから先も絶対変わらないよ」
「……ん」
さらさらな髪の毛を撫でてやると甘えるように直輝が擦り寄る。それが愛しくて、いつもは飄々としてどうしようもなくかっこいい男が俺にだけ甘えてくれるのが嬉しくて、思わず口元が綻んだ。
と、言うのに。
「祥ちゃん」
「なに?」
「このままエッチしてい?」
「別れたいの?」
「ううん、嘘。好き」
「……」
こんな状況でもみもみとお尻をやらしく握りこんでくる手を叩き払って殺意も漂わせ睥睨する。
ふざけてるのか、誤魔化してるのか。はたまた本当に言ってるのか分からない。
腹が立って直輝のほっぺたをつねってやった。
「あのね、直輝。俺は直輝ほど自分のことを明け渡す事が出来てなかった。だから直輝が傷ついたんだって事も、自覚してる」
「うん」
「……凄く、大切な人が出来ると。まず先に諦める事を覚えちゃうんだ。離れても大丈夫な様に」
少しだけ、もうちょっと話してみよう。いずれは向き合わなければならない。自分自身の弱さから逃げては、誰かと人生をともにするだなんて大それたこと、俺には口にできない。
「そんな事に俺はなれて欲しくない。もっと求めて欲しいし、俺と同じく俺のことばかり考えて欲しい。祥が他の奴ばっか見てると腹が立つんだ」
「……なんか、子供みたいだね?」
「……。悪いかよ」
むっすりと口をへの字に曲げて俺を睥睨する。そんな事ないよと伝えながら、直輝の髪を再び撫で付けた。
「他の人ばっかり見てるように見えるの?」
「違うか? いつだって俺は後回しじゃん」
「……うーん。それは俺が悪かったね。ごめん、直輝」
お酒も辞める。
付け加えた宣言に、直輝は少々訝し気に俺を見上げた。その顔がまた珍しくて、俺は思わず吹き出す。
「ちょっとだけ俺の弱音を聞いてくれる?」
少しだけ驚いたかのように目を瞠ると、直輝は頷いた。
「俺があまり先の話しをしないことで、直輝に対して不安を植え付けていたのは本当に良くなかった。ごめんね。気づけなくて」
苦笑混じりに謝ると、直輝は祥は悪くないと首を横にふる。相変わらず俺にだけ甘い。俺はとことん甘やかされている。そのせいで傷ついていたっていうのに、直輝は案外馬鹿なのかもしれない。
「……ただの逃げだって分かってるんだけどね。凄く大切にした人が居なくなるのが怖い。それを忘れて未来の事を語るのはやっぱり今はまだ出来ない」
「俺は、逃げだとは思わないよ。俺だって祥が消えることを考えるのは怖いからな」
それでも直輝は前を向く。
そこが直輝の強さであって、そう出来ない俺は未だ弱いままだ。
「大切な人が消えるとき、自分の心を明け渡して、その人を好きでいたぶんも一緒に持って行かれちゃうんだ。もう二度とその人達が戻ってこないように、痛みだけがずっと残って、一生消えない。一日だって忘れることは無い。それがもし、直輝だったら俺はどうなっちゃうんだろう」
きっと耐えられない。全てを明け渡して、全身で愛を告げて、直輝を愛した後に、もしも消えてしまったら……俺はもう二度と戻って来れない。その時は壊れてしまう。
気づけばそれほど愛していた。俺はその事に気づいていて、怖くて、今別れたなら間に合うのかもしれないなんて馬鹿なことを考えた。そして手放した三年間は、どれだけ空虚な時間だっただろうか。
俺を見つめる直輝は痛みを感じるかのように苦し気に眉を寄せている。
「……置いて行かないって言っただろ」
「ただの口約束じゃんか」
「祥を俺が置いていく筈がない」
「どうしてそう言い切れるの?」
「好きだから」
真面目な顔して、そんな事を言うものだから思わず瞬きしてしまう。
「不満か? 好きだから、守るって言ってるんだ。俺は祥を置いて行かない。それに怖がっていたらその別れが来た時に悔いる。どうしてあの時にもっと愛さなかったのかって。どうせ毎日を一生懸命生きていたって大切なものがあれば後悔はするんじゃないか? だったら俺は幸せな後悔がいい。苦しくなる後悔じゃなくて、あともう少しだけ笑っていたかったって幸せな思い出を思い返して笑いながら後悔と感謝を残す」
──だからいつか、俺に預けて欲しい。
直輝の言葉に返事が出来なかった。
口を開いたら嗚咽が漏れてしまいそうで。噛み締めた唇を直輝の骨ばった長い指がなぞる。込めていた力を緩めて息をした刹那、涙がこみ上げてきた。
「ッ、じゃあ約束、して」
「うん?」
「置いて行かないって」
「うん」
「最後まで絶対、絶対に俺の傍に居てくれるって」
「当たり前だろう。祥こそ、この先どんな事があっても約束を破棄しろだなんて要求するなよ」
だから大丈夫。祥は祥のまま、素直に生きて欲しい。
最後に聞こえたその言葉に、俺は堰を切ったかのよう泣きあげた。
この男の大丈夫ほど心強いものはない。どうしてか本当に大丈夫な気がして、俺は初めて告げた本心に、直輝が優しく触れてくれたことに、心の奥が熱くなって解されていくようだった。
こんな気持ちになれるならもう少し早く伝える努力をするべきだったのかもしれない。直輝になら悪くない。その痛みも、直輝から貰ったものだと思えばもしかしたら痛いだけではないのかもしれない。
今すぐには無理でも話してみよう。少しずつ。
一緒に過ごしてきた中で唯一明かさなかった気持ちを。これから先の長い時間、共に過ごす時間をかけて。
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