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カミングアウト
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和気あいあいと騒がしかったのが嘘のように静寂に包まれる。
零れた味噌汁を拭くことも忘れて直輝を凝視する俺を、直輝はなんてことのないようにティッシュを手にぽんぽんと笑顔で拭ってくれる。
「祥、口が濡れてる」
「……あ、ありがとう」
にっこり。嬉しそうに俺の口元を拭ってくれる直輝に反射で頭を下げたけど、ちょっと待ってよ。今なんて言った?!
「直輝、ごめん。今なんて? ママの耳が故障したかもしれない」
「あはは、ママも? パパも今、びっくりする言葉を聞いたなぁ」
「だからパパは黙ってて。次喋ったら口の中にわさびを大量に詰め込む」
「……」
しゅんと項垂れる紀壱さんには悪いが今はフォローする余裕はない。
一人泰然と味噌汁を啜り、煮魚を食べている直輝の首を初めて締めたいと思った。
「祥と付き合ってる。結構前から、んで結婚したいけど俺の事務所の会長がとにかく目障りだから、先に何かされる前に一言伝えて置こうって考えただけだ。あ、別れろとかは一切受け付けないから。言っても無駄だよ」
スラスラと噛むこともなく直輝はなんてことのないように言う。
拾った音を噛み砕く様に理解すると、これでもかと目を見開き立ち上がったのは皐季さんと凪沙さんだった。
「おいっ! 雌犬……お前、とうとう俺が手塩にかけて育てた大事な大事ななっちゃんを……良くも喰ってくれたな! 絞め殺してやる!」
「直輝! あんたいつかヤるだろうとは思ってたけどいつ手を出したのよ?! まさか強姦じゃないでしょうね?! ハッ?! まさか祥君の了承も得ずになし崩しに……!」
前者は皐季さんが俺へと向けて。後者は凪沙さんが直輝へと向けて。
俺はもうただ呆然とどうしたらいいのか、何を言えばいいのか分からなくて泣きそうだった。
一体直輝はどうしてこんなにも軽々と言ってしまったのか。
直輝の両親は家族はどう思ったのだろう。皐季さんの言葉通り、大切な宝物のような子供がもし……妊娠もできない男と付き合ってるだなんて聞いたら。
ましてや結婚したいだなんて。それが俺だなんて。可愛がってもらった俺が、息子の人生を狂わせる相手だなんて、裏切りなのではないのか。
「皐季、座れ。それから俺が惚れて祥を口説いたんだ。汚名で呼ぶな」
「……はっ、無理無理。俺は認めないよ。昔っから言ってるけどさ、お前みたいに八方美人で弱々しいやつ、ちょーうざいし見てて腹が立つ」
「皐季ッ!」
「悪いけど流石に直輝がどれだけ怒ろうが、お願いしても認めない。寧ろその会長さん? 俺はその人と同意見だ。どうせ生半可な気持ちなんだろ。お互い夢見てないで痛い目に遭う前に、さっさとあるべき道に戻れ。それが賢明な生き方だ」
いつもの華やかな笑は消えさり、恐ろしいほどに冷たく突き放す声音。
皐季さんと瞳を合わせ続けるのが耐えれなくて、逃げるように視線を落としてしまった。
怖い。これ以上の拒絶が。言葉が。
認めてもらえるだなんて期待はしていなかった。けれど、心のどこかでは願っていたのかもしれない。いつかは、理解してくれるかもしれないと。
けれどそのいつかが来る前に折れてしまいそうだった。
決して軽い気持ちなんかではない。喧嘩した日、伝えた通りに直輝の傍にい続けたい。嘘ではない。嘘じゃないのに、俺はどうしてこんなにも後悔しているのだろう。
この感覚はあの日とそっくりだった。
直輝の事務所に呼ばれ、会長と呼ばれる男性に否定されたあの瞬間と同じく、足元から崩れていく感覚。ここに俺は相応しくない。
ずっと隣にいたいと思う気持ちに反して、俺は居てはならないのだという圧迫感。
俺なんかが直輝の傍に居ていいわけがない。
今すぐ飛び出してしまいたい。逃げ出してしまいたい。
頭の奥で煩いほどにサイレンが鳴り響く。遠くから小さな子供の鳴き声がこだまして、被さる様に誰かの怒鳴り声。それから鉄が腐ったような匂いが、口内に充満する。
眩暈がして椅子から崩れ落ちそうになった時、直輝が不意に俺の手を優しく握りしめてくれた。
「祥以外、好きになれない。もしも祥を諦めろって言うなら、それはもう俺に俺で居るなって言ってるようなもんだ。理解しろとも、許してくれとも言わない。ただ、俺が選んだ人を否定して欲しくない。俺にへの文句ならいくらでも聞いてやるよ。喧嘩売りたいならいつでも買ってやる」
鋼鉄な声音。低く、熱の篭った響きにハッとする。
「ただ……、ただ親父たちの様に同じく好きなんだ。普通に、好きなんだ。俺もごく普通に祥を好きになって、生涯をこいつの為に生きたいと思った。ただ、それだけだ。おかしいことなんて、何も無いだろ」
──例えそれが男でも。何を馬鹿にする事が出来る?
あまりにも直輝が柔らかく笑うものだから、張り詰めていた力が抜けていく。
頭の中を掻き回す様に鳴り響いていた泣き声も、サイレンのような怒鳴り声も遠のいていく。
知らず知らずに噛み締めていた唇の力を抜くと、直輝の親指が俺の頬をゆるりと撫でた。
「祥は? 俺の事、好き?」
「……お、れ……は」
口の中がカラカラに渇いていた。
張り付いた様に、喉が狭まる。
静かにこちらを見つめる4対の瞳を一つずつ見つめ返して、小さく、けれどはっきりと頷き答えた。
隣に寄り添ってくれる人の手を握り返して。
「直輝が、好き」
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