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月の舞姫・1
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中庭の遠く向こうから、賑やかな音楽が流れてくる。ハープ、木琴、鈴や太鼓、横笛の音。それに合わせた手拍子や、歓声。
「宴会が始まったんだ……」
オレはぽつんと呟いて、立ち上がった。そして、そっと踊り出す……音楽に合わせて。
だって、オレだって踊りたい。
腕を伸ばす。指を伸ばす。両手を月に差し伸べる。鈴なんて着けさせては貰えないけど、しゃらんと鳴るのを想像しながら、手のひらをくるんとひるがえす。
ステップを踏んでターンする。足首にも鈴なんてないけど、きっちり鳴るように踏みしめる。想像の中のキレイな衣装が、ふわりと美しくなびくよう、腰をひねって静止する。
月だけが、オレを見てた。
若き王の宮殿の……荷物置き場の外廊下。
明かりもなく、人影もなく、目の前に広がる中庭はしんと静まって、音もない。中庭を挟んだ向こう、遠くの大広間の明かりが、小さく頼りなく見え隠れする。
でも寂しくはなかった。今日は月が明るい。
月影に映して見れば、オレだって舞姫になれる。
質素なシャツとズボンは、輝くような絹の衣装に。色が薄くてボサボサの髪は、艶のある黒髪に。肉付きの悪いガリガリの手足は、ふくよかに……。
全部想像でしかないけど、でも踊りたかった。踊れるなら、何でも良かった。
ここは外廊下じゃなくて、大広間で。
冷たい床じゃなくて、カーペットの上で。
周りには、仲間の踊り子と、楽師達と、拍手をくれる観客がいて。
そして目の前の玉座には、王が――くろがね王と尊称される、聡明で勇猛な、若く美しい国王がおわして……。
どんなお方か分からないから、お顔までは想像できないけど。でも、その王に捧げるつもりで、オレは真剣に踊り続けた。
ひときわ大きな歓声の後、音楽が鳴り終わった。オレも踊りを終わらせて、肩で息をしながら、額の汗を手でぬぐう。
たくさん踊れて、気持ちいい汗だ。観客が誰もいなくても、せめて月にだけは、呆れられたくない。
「今日も、ありがとうございました」
月に手を合わせて、お礼を言う。……と、その時だった。
パン、パン、パン、パン!
手を叩く音が、しんとした廊下に大きく響いた。
ギョッとして振り向くと、暗い中庭の木陰に、人が立っていた。
見られた!?
恥ずかしさに真っ赤になりながら、慌てて柱の影に隠れる。
「見事だった。だが、なぜ大広間に行かず、こんなとこで踊ってる?」
その人は良く通る声で話しながら、月明かりの中、ゆっくりと近付いて来た。
誰に向かって話しかけてるんだろう? まさか、オレ? オレに話しかけてるの?
日頃、誰からも滅多に話しかけられないから、人と話すのには慣れてない。返事しようとしたけど、うまく声も出せなくて、「あ」とか「う」とかしか話せない。
そうしてる内に、その人は、どんどんこっちに近付いて来る。
「おい、お前に訊いてるんだ。返事は?」
口調がちょっと不機嫌になった。影になってて顔が見えないから、余計に怖い。殴られる!
オレは恐怖にうずくまり、頭を抱えて、いつものように繰り返した。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
すると、その人は一つ、大きなため息をついた。
「別に怒ってないだろう。大体、せっかく褒めてやったのに、どうして返事が『ごめんなさい』なんだ?」
「ご、ごめんなさい」
反射的に謝って、それから「あっ」と口を閉じる。
怒ってないと言われても、怖いものは怖い。
でも、呆れてるような口調ではあるけど、確かに怒ってるようではなくて、おずおずと顔を上げる。目の前に立ってる人は、呆れを通り越して、ちょっと困ったような顔をしてた。
20歳くらいの、たくましい青年だ。
見た事もないような豪華な服を着て、黒いマントを羽織ってる。すごく身分の高そうな人だけど、彼は偉ぶらず、もう一度オレに喋ってくれた。
「お前、旅芸一座の踊り子だろう? 見事な踊りだった。なぜ大広間で踊らないんだ?」
踊りを誉められるなんて今までなかったから、恥ずかしいけど嬉しい。社交辞令だと分かってても嬉しい。
オレだって大広間で踊りたい。けど。
「あの、オレは……ダメって。王の前には出るなって」
「なぜだ? まさか一番の舞姫は、若輩王には見せられんというのか?」
途端に厳しく変わった口調に、飛び上がるほどビックリした。
「うえっ、違います!」
慌てて首を振り、目の前の人を仰ぎ見る。
オレは一番の舞姫なんかじゃないし、くろがね王は若輩王なんかじゃない。
「オレはっ、みにくいって言われてて! 髪もこんなだし、とろくさいし。だから、今日だけじゃなくて、宴会なんて、1度も……。それに、ここの王様は、立派なスゴイ人なんでしょ? オレみたいなのがお目汚ししたら、ご不興をかうって。そしたら、みんなに迷惑かかる。オレだって踊りたいけど、迷惑かけるより、荷物番してる方がマシだから……」
口下手なりに一生懸命説明して、じっと目の前の人を見つめる。
言いたいこと、どこまで彼に通じてるか分かんないけど、でも、伝わって欲しい。誤解だって。王様を侮辱とか、そういうんじゃなくて、オレが大広間で踊らないのは、単に未熟でみにくいからだ、って。
そして……オレの一番の望みは、迷惑にならない事なんだって。
「あの、ホントに……」
ドキドキしながら訴えると、しばらく黙った後、その人がぽつりと言った。
「お前、みにくくはないぞ」
「ふへ、ありがとう。ウソでも嬉しいです」
オレは素直にお礼を言った。だって、「みにくい」なんてもう何百回言われたか分かんないけど、「みにくくない」って言われたの、初めてだった。
「ウソじゃない」
その言葉も嬉しい。
「はい、ありがとうございます」
オレがニコニコ笑ってるのに、なんでかその人は、不機嫌そうに眉をひそめた。
それを見て、浮ついてた気分がすうっと冷える。嬉しくて、調子に乗っちゃったかな? 怒らせたみたい? どうしよう、せっかく幸せな言葉、言って貰えたのに……。
焦ってると、ぐいっと腕を掴まれた。
「お前、ちょっと来い」
そう言って、その人はそのままオレを引きずりながら、大股で廊下の奥へと向かっていく。スゴイ力だ。
けど、感心してる場合じゃない。
「あ、あの、ごめんなさい、離して」
オレは彼の手を振りほどこうと、必死になった。だってオレ、これ以上奥へ行くことは、許されてない。
そもそも荷物番なのに。
「荷物、オレ、番をしてないと!」
「荷物なら、兵に見張らせる」
短く言われて、「兵?」って思ったけど、でも、そういう問題じゃない。
「ダメ! ダメなんです。オレ、こっから先に入ったら、罰を受けるかも!」
両足を踏ん張って、全力で抵抗しても、その人は手を離してくれなかった。それどころか、ズルズルと体が引き摺られていく。やっぱりスゴイ力だと思った。
「罰って、誰から受けるんだ?」
息も乱さず、平然と訊かれて、困惑しながら顔を見上げる。
誰からだなんて、そんなの考えても分からない。だってオレは、みんなからそう言われただけだ。
「分かんない、けど……王様?」
オレの答えに、彼は薄く笑って首を振った。
「オレは、お前にそんな事くらいで罰を与えない」
……「オレ」は?
言葉の意味がよく分からなくて、ついぼんやりした隙に……ひょいっと肩に担ぎ上げられた。
「わっ、ちょっと!」
叫んで暴れても、もう放して貰えない。オレはそのまま、宮殿の奥まで強引に連れ込まれてしまった。
大広間よりもさらに奥、宮殿の最奥――後宮の中に。
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