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葵の過去
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四年前、大不況の波に呑まれた父の会社は呆気なく倒産した。
仕事に生きがいを感じていた父にとって、それがなくなったショックは大きく、再就職への意欲も高まらないまま無職となった。
そして一日中家に籠って何もしないような生活を送っていた父は精神的に病み、鬱病になった。
以前のように笑わなくなり、頻繁にぼーっと一点を見つめる姿は別人のようだった。
中1だった僕も小学生だった弟も、変貌した父とどう接すれば良いか判らなかったが、母はそんな父を励まし、病と必死に戦おうとした。
ある日曜日の昼下がり、母と弟は買い物に出かけ、家には父と僕の2人が残った。
父は久しぶりに少し笑って僕に言った。
「今日は気分がいいから散歩に行ってくる。
留守番できるな?」
僕は、父が立ち直り始めたのかと思った。
少し前の、優しく仕事熱心な父が帰ってくると。
「いってらっしゃい!気をつけてね」
「…いってきます」
しかし、喜んで送り出した父が家に帰ってくることはなかった。
踏切に飛び込んで、即死だったと言う。
急行電車にぶつかった父の遺体は、下半身が潰れ、見ていられないような状態だったらしい。
更に不運なことに、出かけていた母は踏切での騒ぎに気付いて、その悲惨な現場を見てしまった。
僕は、なかなか帰ってこない両親と弟の帰りを家で呑気に待っていた。
弟が母の携帯から家に電話をかけて、初めて僕は父の死を知った。
急いで父の遺体が運ばれた病院に駆けつけると、体にシーツをかけられ、顔にも白い布をかけられた父が横たわっていた。
顔の布を取る。
顔は病院の人がきれいにしてくれたのか、傷はあるがいつもと同じような父の顔だった。
いつもより少し青白い位で、ただ眠っているようにも見えた。
しかし、父の頬にそっと触れると、その考えは完全に消えた。
死体は「温かくない」ものだと思っていた。
初めて触れた死、それは温かくないなんてものではなかった。
冷たい。
冬の悴んだ手よりもずっと冷たかった。
触れた瞬間、それが人だと信じられなかった。
その冷たさからは数十分前まで生きていた生命が全く感じられなかった。
人形なんじゃないかとも思った。
でもそれは紛れもなく「父」で、そう自分に言い聞かせると堪らない気持ちになった。
ゆらりと視界が歪んで大粒の涙が目から溢れ、父の頬に落ちた。
その時、突然母が僕の肩を強く掴んだ。
「なんで…なんでお父さんは1人で家を出たの」
すがるように泣く母に僕は真実を告げた。
「父さん、今日は気分がいいから、散歩に行ってくるって言ったんだ……笑ってたし、本当に体調良さそうだったから、いってらっしゃいって…」
僕の言葉を聞いた母は目を見開いて、僕の頬を引っ叩いた。
母に本気で叩かれたのは、それが初めてだった。
「なんで送り出したのよ!鬱病の人にはそう言って自殺するケースが多いのに!
あんたが止めてれば……あんたが…あんたが殺したも同然よ!!!」
「奥さん!落ち着いて!!」
泣き叫ぶ母は病院の職員の人に宥められた。
僕の耳には母の声が木霊のように反響して消えなかった。
あの日、僕が父さんを止めていれば、父さんは死ななかった。
もし父さんが生きてたら、生きて鬱病が治ったら、母さんは幸せになれたかもしれない。
こんなに苦しまずに済んだかもしれない。
だから全部、僕のせいなんだ_________
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