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”21” 猫地図、鋭意作成中 ‐7
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ふと、途中っぽい音の切れ方で止まったので、読書をしてた俺は顔を上げた。
ん?
なんか、俺の気配を背中で読んでて、笑ってるみたいだな。
小刻みに揺れてて、ああ、咳き込んでる。
夏風邪、無理したから、弱い気管支に影響出ちゃって長引いてるんだ。
「どうしたの?大丈夫?」
呼吸がぜいぜい言い出したんで、慌てて駆け付けた。
背を擦ると身を捩って、「大丈夫ですけど、だぁめぇ~」って笑い声と咳混じりで悶えてる。
訳が分からなくて、きょとんとしてしまう、俺を見て、カオルは、椅子から崩れ落ちて、床に転げた。
「カオルくん?ホント、どうしちゃったんだ?」
やっと笑いの発作が治まったらしい、カオルが、まだニヤついて俺を床から見てる。
「緊張、してますよね? 佐倉さん、今、すっごく」
「そ、そりゃあ、色々、あったことのキーだって聞かされてるし。初めて聴くしさ。
その辺りの関係性、まだ、カオル君に聞いてないのに、カオル君、僕のピアノ聞きたいかとか言うから。
訳、ありなのかなとか、思っても・・・・・・え~なんで、また笑うの~」
けっこう、失礼なくらいの笑い転げ方。
なんなんだ、カオルは。
「あ~、おかしい。ピアノですよ、たかが。ピアノ弾いてもらうくらい普通でしょ。
僕、弾けるんだもん。そりゃ、中学3年のコンクールに出るつもりの曲とかは到底無理だけど」
「無理なんだ?ピアノってさ、一度、身に付いたら忘れないのかなって思ってた」
「そんな訳ないでしょう。ピアノだって作業と一緒です。やらなきゃ忘れます。
で、他のと違って、訓練をしなくなると、あっという間に出来なくなってしまいますね。
指がね、ほら、皆、生活には利き手があって、それに頼ってるでしょう?
細かい動きが必要なのに、普段使わない方の手の指は、どんどん活動を鈍らせちゃうんです」
起こしてって感じで、手が伸びて。
カオルにしては、ちょっと甘えたな仕草だなと、ご要望通りに手を引いて起こしてあげたら
ピアノの椅子ではなくて、俺の座ってたソファーに、ぽすんと座ってしまった。
「意地悪しちゃおうかと思ってたのにな。
そんなに真剣に緊張されてると、弾き難いなとか考えたら、その視線がちらっちらって。
さも、「俺はなんにも、めっちゃ普通ですよ」の態度らしくなくて。
その顔を想像したら、可笑しくて、つい笑ってしまいました」
コンコンって、俺の飲んでたコーヒー入りマグカップを叩く。
はいはい、なんか飲みたいって強請ってるんだね?
「何をご所望でしょうか?それを飲ませなきゃ、やりたくなくなった?」
「手がね、思ったほど温まらなくて。意地悪もちゃんと出来なさそうだったんです。
だから、ホットミルクティー飲みたいです。あ!」
「ん?何?なんかあった?」
「ううん、作り方知りたいです。簡単だって言うわりに教えて貰ってない!」
あ~カオルが居た頃には、あり得ない使用方法だったか。
ちょっと鼻高々で、レンジで作って見せてやった。
感心して、歓声も少し出てたのに、出来上がって、蜂蜜を落とす頃には、何か言いたげ。
「簡単過ぎな上に、いっぺんにティーパック二つも使うなんて不経済ですね」
「いいじゃん、楽に作れて、美味しいんでしょ?」
「ん、まあ、そうですけど。え?佐倉さんは飲んだことないんですか?」
「あ~そう言えば、作ってはあげてるけど、飲んでないな。頂戴?」
カップが熱くなってるから、トレーに載せて行けって言うのに
長袖のカーディガンを羽織ってるのをいいことに、袖を伸ばして包み、素手で運んでるカオルの
手に顔を近づけて、カップ傾けさせて咥えた。
「熱ッ、ちょっと。カップ、かなり熱いって」
「ん~ちょうどいいですってば。カイロ代わりになるもん」
そうか。健の手足は冷たいんだよな、真夏でも。
体温低いし、代謝あんまり良くないから、末端神経が冷えやすいんだ。
掌で存分に熱を貰った後、俺に差し出して来る、カオルのマグカップ。
「え?いいの?」
「お先に飲んで下さい。僕、弾いて来ますから」
「ん。ありがと。何を弾いてくれるの?」
「ショパンです。多分、曲はご存知だと思います」
カオルが椅子に座るなり、徐に奏で出す旋律。
あ、聞いたことある!なんかの薬のCMだったような~。
あ、これってショパンなんだ。確かに綺麗なピアノの曲だよな・・・・・・ってあれ?
「え?終わり?」
「はい。終わりです。ちゃんと、終わりっぽかったでしょ最後の所も」
「え、だって、まだ1分くらいしかたってないじゃない?」
「はい。この曲は1分ありませんから、これで、佐倉さんに聞かせるのはお終い」
で、ピアノの中敷きみたいな赤いフェルトの布を、恭しく敷いて、そっと蓋を閉じてしまった。
「もっと、もっと聴きたい~!なんだよ~」
「僕、1曲聞かせる約束しかしてないですもん。長さを指定しない佐倉さんの負けです」
負けって。詐欺じゃないか~と大騒ぎする俺を後目に、俺の向かい側に座って
カオルは、何でもない様子で涼しい顔して、俺が口をつけたカップで飲んでる。
間接キスだけどね、気にしないんだ。この間は、スプーン洗ったくせに。
「こんなんで怒らないで下さい。からかっただけですから」
「じゃあ、もう1曲弾いてよ~。聴き足りないってば」
「・・・・・・お恥ずかしい限り、今は、これが限界なんです。
佐倉さんが来るまで、毎日、けっこう練習したんですけど、戻らないと思う。
ピアノで食べて行けるようには、もう戻れないですね。趣味で時々弾く程度なら何とかなりそうだけど」
敢えて、表情を消そうとしている笑み。
健は、ピアノ自体、音を聞くのすら厭うていた。そんな長いブランク。
きっと中学時代のカオルが必死で守ったピアニストへの道は、健が閉ざしてしまった。
「毎日、弾いて勘を戻してもダメなの?」
「どうでしょうか。きちんと師について、やり直せば間に合わないとは言い切れないけど
健は望んでいなかったみたいですよね、ピアノで身を立てることを」
「そ、それは、あの事件を思い出してしまうキーになっているからで・・・・・・」
口籠る俺は、気がかりだったこと、横山に指摘されてる矛盾点を、今、訊いていいのか迷う。
「・・・・・・僕じゃないです。あの日、襲われて最後まで、健の中に居たのは」
「えっ、じゃ、じゃあ・・・・・・」
深い溜息と共に、額に手を当てて俯くカオル。
「・・・・・・横山さんの予測通りです。僕は、あの日、途中で逃げました」
「な、なんで、横山?」
「連絡取ってるの、聞いてました。ごめんなさい。
喉が渇いて水が飲みたくて。偶然、聞いてしまってですけども」
昨日の一つ前の電話、カオルが風邪で臥せっている時のことだ。
すっかり油断して、居間で夕方に電話してて、その話になった。
それを、聞かれてたんだ・・・・・・迂闊だった。 じゃ、じゃあ、あれも?
「少ししか聞かなかったのに、そこを聞いてしまうなんて、僕、運がいいのか悪いのか」
「えっ、全部は聞かなかったのか?」
「人の電話、盗み聞いていいことなんかないでしょ。
それにちょっとショックだったから、すぐに寝室に戻ってしまいました。
でも、考え直してみれば、佐倉さんのしたことの意味がわかったから、いいです」
「意味?」
「ええ。僕のお医者さん、鷲尾先生だけど、全然、通院しろって言われないし
おかしいなっては思ってたんです。鷲尾先生、そういうところ細かそうなのに。
でも、佐倉さんが、何か僕等の事を勘付いていたのなら、先生に反対されてても、
行動を起こすだろう。で、佐倉さんは、お医者さんの卵のご友人誰かには相談するだろうなって」
やっぱり、俺の健の脳ミソを使ってるカオルは、賢かった。
俺の気質や行動をこんな短い間で、理解している。
あの日の、俺達の会話は、中学時の不幸な事件の齟齬部分。
俺は乞われ俺の知る限りの色んな伝聞を集約したのを、横山に送っていた。
で、横山が見つけた、違和感。
「健は、どうして、ピアノが苦手になったのか」が説明がつかないこと。
あの日に出ていたのは、カオルの筈。
なのに、健は、ピアノの音を聞いても、具合が悪くなるし、ピアノに触れれない。
その上、疎らに戻った記憶にレイプ画像がある。
それはおかしいぞ。健の身に起きたことではないだろう?って、横山は言う。
カオルは言ってる。
中学時代、健は出て来たくないと言い、出て来なかったと。
唯一出て来たくないのに、出て来たのは、丹羽さんの再婚問題で、カオルが嫌気がさして
健でいることを拒み、放り出そうとした時に、丹羽さんを弁護した時だけの筈だ。
その後で、カオルが健に戻り、健を引き続き、ま、言葉はおかしいが健を演じてた。
ならば、襲われていないんだ、健の人格の時の健は。そうでなければおかしい。
そうすると、苦手な理由は、別に存在しなくてはならないってことになる。
その辺りの、横山との電話での喧々諤々を、カオルは聞いてしまったんだろう。
「僕、逃げたんです。もう、健でいたくなくて、頑張るのに疲れて。
こんな目に、どうして、僕だけずっと、合わなきゃいけないんだろうって、思ったら
どうでもよくなってしまったんです。健はもう、戻らないかもしれないのに、なんでだろうって」
「・・・・・・戻らないかも、知れない・・・って?」
「パパさんの再婚、健だって、許したくなかったんです。
僕は、お祖母ちゃんがずっと怒ってて愚痴を言ってたのを聞いてたから、もっとだけど。
健は「お父さんも大好きだから幸せになって欲しい。けど僕達の幸せは誰も望んでくれないね」って。
だったら、僕は、僕達は、消えちゃおうかって言ったんです。その方がいいかな?って。
消えちゃおうって意味は・・・・・・」
死んでしまおう、って意味だな。
言葉を継げずに、更に俯いたカオルは、辛そうだった。
「健が、未来を生きてくれる為に、僕は頑張ってたんです。
いつ戻って来てもいいように、出来る限りの努力をして待ってたんです。
発破を掛けたつもりで、そんなに弱気じゃ、僕が健のことすべて貰っちゃうぞって言ったら
いいよ、カオルくんになら、あげれる。よろしくねって、また、ベッドに帰ってしまった。
何度、朝が来ても、健は、ソファーの部屋には、もう行かないって言いました」
こんな大事な会話になるとは思わず、俺はレコーダーを回し損ねてて。
でも、機は逃せないと言うことはわかっていた。
「それは、いつの話なの?」
「僕が中学3年生になる前です。そこから、僕は、もう、この身体は僕になるしかないって思いました。
でも、健に戻って欲しいって、いつでも思ってました。だって、健は、健なんだから。
ずっと、孤独で。でも、僕は健じゃないから、新しい人に出会って、健として思い出を作っちゃいけないって
戒め続けて。芙柚に会って。芙柚を通して少しだけ世界が広がってって。ダメだって思うのに
自分をちょっとくらい、生きてもいいんじゃないかって、我儘なことを望んでしまって。
あの日、僕は許されないことをしてしまったから、天罰が下ったって思いました。
よく、お祖母ちゃんが言ってたんです。神様は必ず見てて、貴方が悪いことをすれば罰を与えます。
どんな形であれ、それは自らが招いたことですよって。
だから最後まで僕が我慢していればよかったのに、逃げてしまいました・・・・・・」
泣くのを必死で堪えてるからなのか、両手で縋るように握ったマグカップは小刻みに震えている。
いたたまれずに、カオルの傍らに行き、床に膝をついて、頭を抱きしめた。
中身が殆ど飲まれずに冷えてしまったロイヤルミルクティー入りのカップをそっと取り上げ、
テーブルに置いた音が、やけに大きく、部屋に響く。
「僕が、逃げたから。健はピアノ、怖くなっちゃったんですか?
僕が最後まで我慢出来てたら、今頃、健はピアノ弾いてましたか?
健も大きく傷つかせずに、済んだんですよね、僕が、招いたことなのに。に、逃げて・・・・・・」
「カオル君。カオル君が悪いんじゃないよ。
あんな目に合わせた奴等がいけないんだ。責める相手が違うよ。
そもそも、健が、君にすべて押し付けて大事な思春期に、寝こけてたのも悪いでしょ」
冗談で、ごまかせるとは思わなかったけど。
少しでも、カオルの負荷を除いてあげたくて、俺は、そう口にしていた。
すんと、鼻を鳴らして、カオルは顔を上げる。
「その辺りをお話ししなきゃいけませんね。僕が健に訊き出せなかったこと」
「聞き出せなかったこと?」
「はい。健は、中学1年の春にも、死にたがりました。
自分は、穢れているから、生きていたくないと言って、ベッドから出なくなりました。
カオルくんも、一緒に、もう、止めてしまおう、次の朝を迎えるのをって言いました」
中学1年の春。
静さんの残してくれた手紙や、今まで聞いた話には
健が、コンクールで酷評され、丹羽さんの盗作を知り・・・・・・?
あとは、なんだったっけ?
あ、人身事故を見て気を失っただっけ?
「それから、どう宥めても賺しても、出て行かなくなりました。
それまでは、もう、僕は中学生になるんだからって言って、一人で頑張ってて。
ラグが無い分、その頃は、ベッドに二人でいると、報告会みたいなのを毎晩したんです。
どちらが出てもいいように、出て来た間のことを、話すんです、休んでいた方に」
「ふ~ん。ならば、そうやって情報は共有されてたんだけど、理由を話してくれなくて
死にたがって、次の日から出て行かなくなったんだね?ベッドから?」
「健は、その日を境に、あんまりベッドにも居なくなりました。
何か用事があったり、どうしても伝えたいことがあったりすれば、そこに眠っててくれて。
戻る気になったのかと嬉しくなるんだけど、違ってて。
出て行きたくないって、生きていたくないって言う理由は、詳しく語ってくれませんでした。
でも、その一つが・・・ううん。二つが、後で理由はわかりました」
言われなくとも、俺も予測がついた。
「丹羽さんの盗作の件だね。それと・・・・・・」
「はい、健は、中学に通う様になって、しょっちゅう痴漢にあっていました。
出て行きたくないの一点張りな健と、何日か、どっちが出るか、ベッドで揉めて。
僕が、代わりに中学に行くことになった朝、
マンションのエントランスに同級生にしては厳つい子が立ってました。
その日は金曜日で、なんだったかな、彼の名前は?
その子達のお蔭で通学は大丈夫だったけど、ピアノのレッスンに通う時は堪えました」
俺は、息を吞みそうになる。
「ああ、金沢?あ、違うな、金曜日ってしか覚えてなくて、名前は忘れました。
そいつが立ってました。それから、登下校、必ず、ボディーガードが着いてました。
「健姫は我々が必ず、何事の苦しめることから全力でお守りします」なんて暑苦しく言って
気持ち悪いなって思ったんだけど、健が頼んだのかなって、放置してたんです」
健を刺した、あの男と、カオルの出会い。
叶うなら、その瞬間に戻って、その出会いを抹消したい。
で、カオルに立ち聞かれた横山との話の内容は、西郷、旧姓、金田の凶行までだった。
聞かれてなかったことに、安堵したけれど、いつかは話さなくてはならない。
きっと、カオルは、また、自分を激しく責め立てるだろう。
下手を打てば、カオルまで、健の身体を放り出してしまう。
ん?ちょっと、待てよ?
なんか、レイプ犯人でもある金田のことをさらっと言ってないか?
「そ、その、さ?カオル君は、中学の事件の犯人わかってるよね?」
「あ~、それが、薄暗くて、僕、ちょっと落ち込んでて、明かりをつけないで
ピアノを弾いていたんです。で、急に、何人かがなだれ込んで来て、一気にみんなで話し出して。
多分、なんか、バカバカしいんですけど、あの頃の僕に出来てたファンクラブみたいな奴の
誰か達なんだろうけど・・・・・・僕、名前とかも、それぞれ認識してなかったんです。
月曜から金曜までくる人は、それぞれ曜日ごと同じ人だったなっては、わかってたんですけど」
表情に何の痛痒もなくカオルが語った犯人像に、俺は、ぞっとした。
カオルは、あいつらを、本当に、人間扱いしてなかったんだ。
気持ちの悪い集団って、芙柚達に言ってた通りに、個人としてはちっとも認識してなかった。
奴等の報われない想いは、歪んで、心を持ってはいけないと戒め続けたカオルに向かったんだ。
神様の話を、カオルは語ったけれど、なんて残酷な神なんだろうと、俺は思わずにいられなかった。
カオルだった健にも、自分本位な思いをぶちまけてしまった、あの最低な奴等にも。
最悪だと、呟きそうになるのを、やっと呑み込めて、よかったと、後で思った。
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