アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
”31” 王子、待ち猫、来りて……? ‐4
-
静さんは、郁子さんの出産を、健の生誕を、喜んでいなかった。
俺は想像する。きっと、誰でもできる、想像だ。
産み月の翌月には、郁子さんの意思で、帰国した静さん。
たった一枚、孫の写真を持ちかえる。いや、もっと持って帰ったかもしれない、旦那様である健の祖父に見せてあげたいって思ってさ。
でも、離れれば、その愛しい嬰児も、憎くなるかも知れない。
華々しい成功を掴む筈の一人娘が、まだ学生の身で、望まぬ子を妊娠し出産。
その子の戸籍の為に、好きでもない相手との婚姻届を出す、愛娘。
遠い異国で、慣れない子育てをする彼女は、夢破れて帰国するんだ、その子の存在に押し潰されて。
その子の写真。自分の孫。でも、誰よりも愛し手塩にかけて育てた娘の羽根を捥いだ存在。
「俺なら、突発的に、破っちゃうかもしれないよな……」
でも、後悔したんだろう、丁寧にセロハンテープなんかじゃなくて、和紙を使って繋いだんだ。
どんな気持ちで繋いで、そして、記したんだろうって、日がたったものだと解る古いインクの滲んだ筆致を撫でる。
もしも、何かを寓意的にさせるためのキーならば、そのメッセージ入り写真は、カオルに、その意味を伝えたんだ。
「う~そのまんまの意味なのかな。『破壊より芽生えし希望よ』って?いや、全てなくなっちゃったけど、健だけが残ったよって意味かもな」
独り言をつぶやいて、そうだパンドラの箱ってのはそうじゃんって考える。
……で、考えれば考えるだけ、答えがわからない迷路に迷い込むって知る。
悩まず、巾着に写真を全部しまい込んで、元あった場所に置いておくことだ。確か、健の机の引き出しに入ってたんだった。俺は眠いんだ、眠たいんだって暗示をかけつつ。
無心に無心に。で、もしかしたら、カオルがどこかに残してるかも知れないメッセージを探すんだ。
机の上にはダビンチコード愛蔵版しか乗ってなくて。
俺と健の想い出の品々は殆どが正解の位置にある。さすが、カオルは健をよく知ってるよね。
ペットボトルの水と空き段ボールを回収して、健の部屋には異常なし。
俺の部屋はどうかなって。あ、この間の展覧会の図録が、ずっとリビングのテーブルにあったのが無くなってたんだった。どこにあるんだろう、あれは、怪しいと思うんだ。
「……あった」
俺の本棚の整理整頓されて隅っこにあったのを取り出して、逆さに振ったけど、何にもなかった。
部屋は綺麗に片付いてて、塵一つなかった。ふと、カーテンの匂いを嗅いだら、微香な消臭スプレーの匂いがしてる。カオルらしい。本当は洗いたいってずっと言ってたよな~。
ざっと見てみても、俺の部屋は、俺が散らかしたものが元に戻ってるだけで、これといった変化はない。
なんにもメッセージを残してくれなかったのかもしれない。寂しいけど。
ため息をついてリビングのソファーに放りっぱなしの健のバッグを健の部屋に置きに行く。
置きがてら、あ、そうだって思いついて、クローゼットを開ける。うん思った通りだ。
中の隅にカオルの暇つぶし道具入れと俺が称してた肩掛けのビッグトートバックが置いてある。
これはカオルがいるうちは、ずっとリビングのソファーの足元にあったんだ。
バッグの中身は、数冊の文庫本、小田がくれた大人の塗り絵の本。36色の水彩色鉛筆と万年筆とメモとスケッチブック。残念ながら井田と横山のくれたゲーム機は入ってない。あれはカオルのお気に召さなかった。
あと、最近の利用頻度が落ちてて、専ら、俺の調べものに引っ張り出されてたタブレット。充電切れしてる。
遺書って、書く物が要る。紙も要る。
って言うか、最近ずっと見てないカメのぬいぐるみがここにあると思ってたんだが、無かった。
あ~こういう事をするって決意があったカオルなら処分しちゃったのかも。カオルならやりかねないよな……寂しいけどさ、買ってやった身としては。
気を取り直して、紙と書く物。カオルが俺に与えられたのはこれだ。
話せるようになってから、メモは必要なくなったけど、時々、手慰みにスケッチブックに何か描いてたのは知ってた。もしかしたら、どちらかにカオルのメッセージがあるんじゃと、俺は踏んだ。
メモの方をパラパラ捲って、筆談してた頃を思う。5月中旬から6月中旬。破り捨ててないからそのシーンがいちいち目に浮かぶ。メモでもカオルはけっこう饒舌なんだ。健とは大違い。一通り見て、俺以外の人としたらしい筆談くらいしか目新しいものはなく。
スケッチブックを手に取る。見たことのあるもの無いもの。入院中の絵もそうだが、退院後にもこんなに描き加えてたとは知らなかった。静物や風景画がやっぱり主だった。
次が真っ白で最後のページと思われた、那須の風呂場から望む景色。けっこう緻密で、上手い。
もう、これまでかと思って。でも、もしかして、何かメッセージがって、縋る気持ちで残りの数ページを捲り……。
俺は、息を吞む。
「こ、これって……俺…か、な」
スケッチブックのラストから2枚目。
青い色の同系色のみで描かれた、
眠ってる男の顔と、添うように置かれたカメのぬいぐるみ。
「こんなに絵が上手なんだから、俺のこと、描いてよ」って頼んだら。
「動くもの、特に動物と人物画は苦手なんです。だから描けません」って、カオルが言ってた。
顔の下の素材はレザー。これはきっと、俺がソファーでうたた寝してる所だ。
いつの間に、描いていたんだろう。寝てればあまり動かない。カメのぬいぐるみも当然動かない。
パタタって、紙に水の落ちる音で、ハッとする。
あわててシャツの裾で押さえた。水彩色鉛筆で描かれたそれは、水で形を変えるんじゃなかったかな。
それが、些細な塩分を含んでいても。
こんな、こんなメッセージ、狡いだろ、カオル。
俺は、少し離してそれを眺める。すぐに、ぼやけてしまうけれど。何度も拭って。
カオルは間違いなく、静さんの孫だと思った。健よりも濃い血を感じた。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
194 / 337