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八話
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「……うわぁ」
アルフレートの口からそんな声が出る程度には、この屋敷はどうにかしていた。
相変わらず、雑草だらけだ。もはや廃墟に近い風貌のこれは、町外れの小高い丘に建っている。窓やドアは締め切られ、その上から板が釘で打ち付けられているため、ぐるりと周囲を一周してみれば分かるが……出入り口は見当たらない。
ここは昔、金持ちが住んでたんだが、天涯孤独のそいつが死んでからは手入れする人間もおらず、放置されていたのだが……カミルという新しい主人を得てからも、放置されている時と変わりのない荒れ具合で佇んでいた。
「……なあフロレンツ、お前よくこんな所に入ろうと思えるよな」
「やー、だって仕事っすから」
相変わらず羽毛が混ざってしまっている頭をぼりぼり掻きながら、フロレンツが苦笑いで答えた。……なんか不潔に見えちまうなそれ。
ま、ともかく。この屋敷の唯一の出入り口は、この温室であったはずの場所だ。ここを経由しなければ、屋内に入れないようになっている。雑草が生い茂りところどころ蜘蛛の巣が張っている有様だ。ふと横を見れば、野生化したらしい食虫植物が小虫を捕まえたところだった。
アルフレートが腰に下げていた剣を抜く。子供の体格には合わない長剣を軽々と振り、動線を塞ぐ蔦の群れを根元から切り裂いた。……やっぱりこいつ、所々大人のままだな。腕力だとか、生殖器だとか。見た目こそ少年の細い腕だけど。
「足元、気をつけて。この草、滑ると思うから」
刈った草を靴で横に退けながら、アルフレートが剣を納める。へいへい、と適当に返事をして奥へ進むと、現れたのは、古びた扉だ。壁に張り付く蔓が引き剥がされて枯れている事で、誰かが出入りしていると分かる。……ま、遠慮はいらないわな。
厚い扉を蹴り、お粗末な鍵と蝶番をぶち壊す形で開けた。アルフレートが小さく悲鳴を上げて、背中にぴったりとくっついてくる。ドアだったものがばたんと床に伏せるのと同時に、ぶわ、と目に分かるくらいの埃が立った。おーおー、客人のもてなしすら出来ねぇのか、ここの主人は。
「い、いいのかな、こんなことしてっ」
「もうやっちまったから遅ェよ」
埃の積もった棚に並ぶ薬品の便や箱は、もう何ヶ月も触られていないと分かるような古ぼけ方をしていた。たいしたものはないと分かっているので無視して進む。
迷うことなく奥の部屋まで歩き、そこの扉も勢いよく蹴り開けた。……僅かに、上方から光が差している。元々はダンスホールだった部屋だが、今現在はこの通り、部屋の中をみっちりと機材が埋め尽くしていた。片付けられないのは昔からだが……さすがにこれはねえだろ。
奥の影が動いた。ゆらりと立ち上がったそれが、天窓から差した明かりの下に立つ。
「あァ……やっと来たんだ、マリウス」
相変わらず無駄に楽しそうに、カミルがくすくすと笑う。うるせえな。もうあからさまに私が黒幕ですーって宣言してんじゃねーか。あーあ、明かりの下だと白髪が目立つな……。アルフレートが俺の服の袖口を掴んで引いてくる。厄介ごとにするな、とでも言ってるつもりなんだろう……とか思ってたら、今度はフロレンツが反対側の裾を引いてきた。おい、俺を子連れみたいにするなっつの!
「ぉう。……言っとくが土下座はしねえし金もやらねえぞ」
「じゃァ、何しに来たんだい? カラスが煩かったから? それとも、子供が夜泣きをするからかなァ」
すっかり開き直っていやがるようで、肩をすくめ、腕を軽く広げて楽しそうな声色で言う。ったく……慣れてるからいいけどよ、ほんと性格悪いな、お前。どうやったらそこまで拗らせる事が出来るんだよ。
「そりゃあ、「諸悪の根源を殴りに来た」に決まってんだろ」
言いながら、人差し指をカミルに突きつける。証拠を残しすぎた阿呆にはお仕置きが必要だ。お前のせいでこっちは睡眠不足だわケツ穴ブチ犯されるわで散々なんだよ! クソ!
「じゃあ僕は、魔王の役割をすればいいんだねェ?」
カミルが笑いながら、握った拳を手のひらを上にして突き出す。小さな呪文の後、指の間から闇が洩れた。そのまま指を開けば、溢れ出した黒が手のひらの上に書物を形成していく。無駄な演出に凝るのもド三流だな!
「あ、あのぉ、カミルさん……ちょっと……自分の荷物取っても、いいですか……」
フロレンツがおどおどしながら、少しだけ前に出て――だが俺の服は手放さないままで――怯えた声で言う。もっと堂々と接していいんだけどなあ、俺様がついてるんだし。裾を掴む手を叩いてはらい、ケツを軽く蹴ってやる。よろけて数歩前に出たあと、青ざめながらこちらを振り向いた。お前の責任でもあるんだからな、助けを求めたって今は無駄だぞ。……床に無造作に、しかしまとめて置かれていた自分の荷物を拾うと、意を決したのか、フロレンツがカミルに語りかける。
「ウチは、そういう物騒な事お断りする方針なんで……何度も言ってきましたけど、今回のことは、上に報告させてもらうんで、ちっと覚悟してもらえるとうれしいっす」
真面目な話題のはずなんだが、フロレンツは変わらずフランクな口調のままだ。そんなんだから信頼度が上がらねえんだよお前は……。しかしカミルは鼻を鳴らして、それを一蹴する。
「僕はお前を通してないよねェ。個人間のやりとりだ。合法なんだよ、合法」
「で、ですよねぇー……」
表紙を爪の伸びた指でトントンと叩くカミルに対し、強く出れないらしいフロレンツはあっさりと引き下がった。おい待て、そりゃ命を脅かしてないといえばそうだが、下手すりゃ大惨事だろうが! つーか、カミルはそれを狙ってたはずだろ。こういう面倒くさい事ばっかするんだから分かってないはずがねえ、しらばっくれやがって!
「……じゃあ、おれが何をしたっていうんだ?」
「知らなァい。守秘義務に反するでしょ?」
アルフレートが不機嫌そうな顔でカミルを睨み付け言うが、奴はこれまた舐めくさった態度で、長い袖で口元を隠して笑う。……ほほー、守秘義務……ねえ。
「……マリウス」
くい、と袖口を引っ張ってくる。おう。わかってる。
「悪人には、お仕置きが必要だよな」
派手に。殺さない程度で。いまだ笑い続ける男の顔を睨みつけてやると、カミルが「怖い、怖い」と、からかうように笑った。
「おいフロレンツ。今のうちに逃げとけよ!」
「ぇあっ?!」
間抜けな声で振り返ったそれはとりあえず置いておいて。パチンと指を弾けば目の前の空間が歪み、手元に長杖が現れる。長年使い込んだとびきりの一品だ。魔術師なら誰でも、お気に入りの媒体っつーのは存在するもので。カミルが手にしている黒革に金の箔押しがされたあの魔術書だってそうだ。彼は片手でそれを開くと、短く呪文を唱える。いつものだな。丸分かりなんだよド三流!
「ほら、避けてみなよォ!」
「わー!!?!」
開いたページの上に現れたのは、お得意の炎だ。フロレンツが慌てて俺の背後に回りこんでくる。放たれた火球を、手のひらを広げて障壁を展開し受け止めた。僅かな隙間を熱気が潜り抜けてくる。あー、精度が上がってやがるな。だが、まだまだ。背後でどすんという音がした。……あいつ、転けたな。やっと俺の服を離したアルフレートが「大丈夫?」と声をかけている。
「避ける必要もねぇんだよ!」
炎をマナで絡め取り、握り潰して打ち消す。腕に抱えた魔術書を弾き飛ばそうと、かまいたちを発生させるが、カミルも俺のやり方を知ってるわけで。発生地点を予測して避けるくらいの芸当はしてくるわけだな!
「避けんじゃねえ!」
「当たったら痛いだろ!」
そりゃ当たり前だわな! 避けてみろとか言っちまう奴のほうがどうかと思うけど!!
指先から放たれた氷の矢が、翻したコートを射抜く。これ高ぇのに! 後ろを振り返ってみると、壁にぶち当たったはずのそれが弾かれ、溶けるように消えていった。……どうやら、壁面に魔術・魔法を打ち消すための障壁が仕組まれているらしい。なら、派手なもん使っても大丈夫だな!! アルフレートを背中に隠して庇い、次の魔法の詠唱を始める。
「ちょっ、ちょっと俺、人呼んできまーす!!」
いつの間にか遠くに逃げていたフロレンツが、そんな事を言ってドアを勢いよく閉めた。「失礼しましたー!」という上擦った声が遠のいていくのを聞きながら、詠唱を終える。
「おいカミル! 次のは痛ェぞ!」
わざわざ宣言してやるんだから、しっかり気張れよ! 帯電した髪の毛がぶわりと逆立つ。瞬間、眩い紫色の閃光が部屋を真っ二つに引き裂いた。轟音が鼓膜どころか肺まで震わせる。軌道を変えられ、横に受け流されたようだ。壁を覆っているマナの薄い膜にヒビが入る。当たったら死ぬようなもんだからな! 当然当然!
……腕に掠ったらしい。ぱた、と床に血液が散るのと同時に、カミルの動きが止まり……マナが、乱れた。
「かっ、加減をしろっ、加減を!」
アルフレートがひどく焦った声で俺の背を叩くが、そりゃ無理だ! 何故なら楽しいから!
俯いたままのカミルが袖を横に薙ぐように振る。すると床板の隙間から荊の蔦が伸びてきた。……温室のアレの成長を促進して、指向性を操作しているのか? 腕を絡め取ろうと伸びてきたそれを避ける、が、足に嫌な感覚を覚える。……掴まれた!
「っ、マリウス!」
バランスを崩してふらつくものの、アルフレートが俺の背中を支えてくれた。そのまま彼は剣を抜いて、足の蔦を切断する。お、おう、手際いいな。居てよかったわ。下手しなくても危なかった。素直に喜んどこう!
「……邪魔、するなぁっ!!」
半ば悲鳴に近い裏返った声を上げながら、カミルが袖を振る。それと同時に、踏んでいた床板が弾け飛んだ。とっさに避けて体勢を立て直す。今のは危うかった……!
……空気が震える。むせ返るほどの血の匂い。ああ、キレた。カミルが、空間が歪んで見えるほどの悪意を纏う。だから、言っただろ! キレやすい奴は魔術師には向いてねえんだってよぉ!
おもむろに己の指を咥えたかと思うと、そのまま指先の皮膚を噛み切った。広げた手のひらを魔術書のページの上に乗せて、薄く開いた唇が、ぶつぶつと聞き覚えのある呪文を紡ぐ。
悪寒。
影が渦を巻いていく。マナを掠め取られそうになり、慌てて数歩後ずさった。暗闇の中、カミルの背後に現れたのは、巨大な、黒い獣……いや。4本の角が生えた山羊の頭。その下は屈強な男の体だ。……これは……!
「……あれは、……いったい……」
アルフレートが、震えた声で尋ねてくるが、返事をできるほどの余裕もない。カミルの纏う悪意が、炎に変わる。巨大な「黒」の体毛が燃え上がった。
……悪魔だ。正確には、人間にとって不都合なものを背負い込んだ、欲望の塊。それが悪魔の正体だ。明らかに、あの体じゃあ扱いきれないものを、行使しようとしている。震える足では立っているだけでやっとだろう。焦点の合わない目が、こちらを睨みつけてくるが……そんなのじゃあ、振り回されるだけだ!
「おいカミル! 止めろッ、このままじゃあ死ぬぞ!」
呼び掛けるが答えるはずもない。影が腕を上げて、振り下ろす。それだけで床が落ち、壁に張り巡らせられていたはずの障壁が目に見える形で砕けた。おいおい、シャレにならねえ!
「……逃げるぞ!」
「ぅわあっ!? ちょっ、マリウス!?」
言うが早いか、アルフレートの足元を払い前方に転がした。突然のことでわめくアルフレートを、問答無用で小脇に抱える。軽い! ……そんな事考えてる場合じゃねえ! 踵を返し、入ってきた扉から廊下へ抜け、そのまま外へと走る。その背後を、床板を弾け飛ばしながら植物の蔦が追いかけてくるが、相手にしていられない!
蔦を振り切り、走り抜けて温室へ出たが……まあ、予想はしていたよな。
目の前にそびえ立つのは、植物で作られた壁だった。先ほどまで樹木が生えていた場所には大穴が開いており、そこに生えていたはずの見覚えのある木が行く手を塞いでいる。人の頭ほどあろうかという巨大化した食虫植物が絡みつき、カチカチとありえない音を立てながら、威嚇するように開閉を繰り返して……と、まあ、ようは「そういうこと」だな。
響くはずのない足音を響かせながら、屋内の暗がりからカミルと悪魔が現れた。声もなく唇が動き、地面から爆ぜるように蔦が生えてくる。もはや理性すら無いか!
「いい加減、俺の話を聞けェッ!!」
杖を大鎌に変化させ、足元に迫る蔦をまとめて刈り取る。久々に本来の用途に使ったな! この前はオークの頭かち割るのに使った気がする。アルフレートを降ろしながら、植物の壁へ火を放つ。が、魔術によって変質しているのだろう、燃え広がる事なく炎が立ち消えた。
悪魔が切り裂くように爪を振るうのを大鎌の刀身で受け止める。がきん、なんていう派手な音がしてヒビが入った。流石にこれ相手じゃあ威力を殺しきれないか! そのまま悪魔は刃を掴み、握り潰そうと力を込めた。
「ッ……クソ!」
振りほどくために詠唱を始めた直後、手応えが軽くなる。今までかかっていた負荷がほとんどなくなった事で、足元がふらついた。顔を上げるとそこには、左手首から先が失せた悪魔の腕があった。
両断されている。あの一瞬で。誰が、どうやって。
……アルフレートが斬りあげたのだと気付いたのは、少し経ってからだった。
悪魔が吠えるような、何とも言いがたい悲鳴をあげる。大きく仰け反り狼狽えた隙に、アルフレートの手に引かれて距離を取った。
「無事か!?」
前へ出ようとした俺を手で制し、顔はカミル、いや、悪魔を見据えたまま俺に尋ねてきた。短く「ああ」とだけ返事をする。えっ、あれ、おかしいな……こいつ、一般人だったよな? それが、悪魔の腕を、つまり肉体すらないものを、両断しただと? ……しばらくその小さな背中を眺めていたが、答えは出ない。
「っ、あ、あぁ……ああぁあァアッ!!」
カミルが甲高い悲鳴を上げた。片手で頭を抱えながらも、視線は手元から離れない。マナの消耗が激しい。魔術書のページが勝手にめくられていくのと並行して、悪魔の腕が再生していく。
もはや使い物にならないであろう大鎌を杖へと戻し詠唱を始めたが、俺が一撃を食らわせるよりも先に、悪魔が動いた。
瞬きの間に目の前まで迫ってきたかと思えば、燃え盛る腕を上げて、手のひらを叩きつけてきた。アルフレートを突き飛ばして障壁を展開し受け止めた、が、すぐにぴしりと嫌な音を立ててヒビが入った。そりゃあ無理があるよな……! 追加でマナを注ぎ込むが、それでも修復が間に合わなくなっていく。くそ! とんでもねぇものを呼び出しやがって、クソガキッ!!
「アルフレート!」
立ち上がった彼の名を呼び目配せをすると、すぐに頷いて、カミルの元へと走っていく。察しの良い奴で助かるわ! 障壁がぱきんと音を立てて、砕けはじめる。まだだ、まだ持ち堪えられる! 余裕! ……嘘だ。頭がいてェ!
「覚悟ッ!!」
アルフレートの一閃。片目を閉じて頭痛に耐えながら、アルフレートがカミルの手にあった書を叩き落すのが見えた。が。
……山羊の頭が、にやりと笑った。
圧してくる力が弱まらない。いや、弱まるはずがなかった、のか。カミルが膝をつく。唇はまだ、言葉を紡いで……。
まさか、媒体――叩き落としたはずの魔術書――を通さずに、直接こいつにマナを供給しちまってるのか!
「……ふ、ざけんじゃ……ねえぇえっ!!!」
腹の奥底から息を吐き、叫ぶ。びっ、と頬の皮膚が裂けて血液が散った。
この野郎。俺の一番弟子を。「前回」で懲りなかったのか、覚えなかったのか! 俺様はなぁ、てめぇの何倍も強えんだよッ!!
半ば無理矢理に、周囲のマナの流れを遮った。途端、悪魔の腕の力が抜けていく。山羊頭の目が見開かれたが、もう遅い!
弓の弦を限界まで引き絞るように、神経を研ぎ澄ます。跳ねるように腕を引っ込めようとした悪魔に手のひらを突きつけた。
ぶちん、と、何かが切れる音がした。
悪魔の角が落ちて、床に溶けていく。……瞬間、風が渦を巻いた。獣の吼える声ですらかき消す轟音。幾重にも重なった空気の層が、赤く燃える影を切り刻む。恨めしいとでも言いたげな目が俺を睨んだ。
やがて、獣の形どころか影すら保てなくなったそれが、糸が解けるように溶けて……消えていった。
無音。急激な気圧の変化で、耳が詰まっている。立っていられずに、その場に崩折れて、地べたに座り込んだ。
「マリウス!」
自分の名前を呼ぶが、異様に遠く聞こえた。ああ、くそ、ふらふらする! 指先に力が入らない。無理をしたからか、体内のマナの流れが乱れたようだ。が、ぼんやり出来るほどの猶予はなかった。アルフレートが走ってくる。お前、気圧の変化とか平気なのかよ……。
「手を貸そうか?」
声を出す気力もない。頷いて彼の手を借り、ふらつきながらも立ち上がる。カミルは……横たわっているが、息はある。ゆっくりと近付いて顔を覗き込むと、どうやら気を失っているだけのようだ。あー、よかった……。また白髪増えたな。かわいそうに、無茶するからだ、ばぁか。
吹き飛んだガラス窓から、複数人の声が聞こえてくる。フロレンツが呼んだのか。いや、これだけ派手にやらかしてるんだから、呼ばずとも人は集まるだろう。
聞きなれたやかましい声が、俺を呼んでいる。……けど、もー疲れた。……後始末、面倒だなぁ。
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