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002 prologue2 思惑
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幼い頃からよく見る夢だった。
空のように見える水面。
いつものようにほんのりと冷たい水の中を漂っている。
泳いでいるわけでも、溺れているわけでもない。
とても心地よく そして穏やかに漂う。
澄んでいて本当に綺麗な水だった。
(気持い……)
水面に向かって手を伸ばす。
その手に、水面の光が反射する。
(あの水面には どんな世界が広がっているのだろうか……)
今日もまた、その水面に向かって泳ぐ。
夢を見る度その興味は強まっていく。
ずっとずっと……幼い頃から、その先が気になっていた。
(もう少し……)
キラキラと輝く水面。
(もう少しで……)
光が優しく揺らめいている。
(あと少し……)
もう少しで、水面に触れる。
手を伸ばせばもう――――――――――
「泉にぃちゃぁーーん!! 朝ですよぉ~!!」
元気いっぱいの可愛い声に、眠りを妨げられた。
まだ微睡んでいたいという欲を制し、重い瞼を開ける。すると恐ろしく近い距離で、愛くるしい妹が微笑みかけていた。
「おはよーー!!!」
珍しく目覚ましが鳴る前に起こしに来た妹が、覗き込みながら僕に語りかける。
「外ねー! 全然雪積もってないのー!」
雪を期待して早起きしたが、望んだ結果は得られなかったのだろう。
夢を見た後にくる、強烈な頭痛。
いつものようにその頭痛に悩まされる。
その上、朝からキャンキャンと騒ぐ華の声は酷く頭に響いた。
「泉にぃちゃんまた低血圧?」
声を遮るように布団を頭から被る。
それでもなお、華は僕の身体を揺するのだ。
(うるさいなぁ~もぉ~)
もう一眠りすれば、あの水面に手が届くのに……そんな僕の気など知らない華は、再度僕を起こしにかかる。
「お~きぃ~てぇ~~!!」
僕の上に乗り、ポカポカと布団を叩く。
(……ああ。でもやっぱり可愛い)
華は僕が起きるまで駄々を捏ねるつもりだろう。
布団での攻防をしているうちに、時計はいつもの時刻に近づいてくる。
(仕方ないな…)
僕が観念して顔を上げると、華は名前に負けないような、満面の笑顔になった。
「おはよう華」
心地よい睡眠を邪魔された仕返しとばかりに、両手で華のプニプニ頬っぺを潰すと「うふふ」と、頬を潰されたまま華は笑った。
(さあ……今日も憂鬱な一日の始まりだ……)
可愛い妹に起こされたのに、何故こんなにも憂鬱なのか。
その疑問は、もう何年も続くものだった。
「泉兄おはよー」
僕より寝起きが悪い樹が、髪をボサボサにしたまま部屋から出て来る。
起きる時に寒かったらしく、着込み過ぎた服はまるでダルマのように丸くなっていた。
「うわぁ、樹にぃちゃん……泉にぃちゃんの後見ると、本当に残念。可哀想」
「うるさいなぁ……」
華に辛辣な言葉を浴びせられながらも、樹は器用に目を瞑ったまま歩いている。
「ほら、危ないよ」
樹の腕を引いて歩くと、反対の腕に華がまとわりついてきた。
「歩きにくいなぁ〜」
そういいつつも、顔が自然と綻ぶ。
「三人とも遅れるわよー!!」
「はーい! 今いくよー」
胸の奥から暖かくなるような、そんな幸せに満たされる。
振り払おうと思えば振り払うことのできる彼らの手を、逆にぎゅっと握りしめた。
「おはよう母さん」
家族で囲む食卓。
座る席は決まっているわけではないのだが、自然と座る位置は各々いつも一緒だった。
僕たちが席につくと、先に席に着いていた父親が新聞を畳み、珈琲を一口、口へと運んだ。
普段仕事で帰りが遅い父は、朝食だけは家族と食べるようにしているのだ。
口数は決して多くない父だが、その父の優しさが充分過ぎるほど感じられた。
そうして、家族皆んなで食卓に並ぶ。
今日の朝食はハムエッグとサラダとトーストだった。
だが、僕の食事にはハムエッグは並んでいない。
僕は物心がついた頃からベジタリアンだった。
否、物心つく前といってもいいだろう。
基本的に肉や魚類は一切口にできない。
幼い時は母が気遣い、何かに混ぜたり、細かくしたりして与えてくれていたそうなのだが……。
何故かすぐに気付いてしまい、口に入れたとしてもその都度嘔吐してしまっていた。
アレルギーかと心配した両親は何度も僕を病院に連れ検査をしたそうだが、それでも原因はよくわからなかったらしい。
結局、体質的な物もあるのではないかということで今に至るのだ。
僕自身は、野菜や穀物・果物以外の物を食べたいと思うことはなかったので、さほど気にしてはいない。
けれどやはり、両親や幼い弟妹にまで迷惑をかけてしまっているのは申し訳ないと思っていた。
「樹、ちゃんと野菜も食べなさい」
父に叱られ、不満そうに頬を膨らませる樹。
樹は僕とは違い、野菜があまり好きではないらしい。
特にトマトが大の苦手なのに、今日のサラダには二つもミニトマトが入っている。
「ほら、ひとつは食べてあげるから。残りは頑張って食べなね?」
樹のお皿のトマトをフォークで刺すと、顔を上げた樹の前に、そのフォークを持っていく。
「ほら、あーん」
トマトを見て、嫌そうに顔を顰める樹だったが、しぶしぶ口を開ける。
「いい子」
笑った僕を見て、樹が苦い顔をする。
華は声を出して笑う。
母は樹を褒め、父は満足そうに頷いた。
本当に幸せな食卓だった。
これが、家族との最後の団欒となるなんて……この時は夢にも思わなかった。
――――――――――
高校に向かう途中のバスの中は、いつもより人が少なかった。
僕が登校するのは通学時間を少し避けた早い時間帯だけれど、それでもまだバスには数人しか乗っていない。
いつもと同じ、一番後ろの端の席に座る。
今日は何故だか、頭がぼうっとしていた。
瞼が重く、目を開けているのが困難であった。
眠ってはいけないと思っても、自分の意思ではそれは止められない。
学校までは暫くかかるが、駅に着けば矢野も乗ってくるだろう。
(寝ちゃっても、起こしてくれるよね……)
だから、寝過ごしてしまうことはないだろうと、僕は窓ガラスに頭をつけ、ゆっくりと瞼を閉じる。
夢の続きを見るのだ。
バス特有の不規則な振動を感じることもなく、瞼を閉じた瞬間から眠りに誘われる。
(今度こそ……あの水面に……)
何の音も聞こえない、無音の世界。
虚無の暗闇の奥深く……。
深い、深い眠りに、ゆっくりと落ちていった。
――――――――――
揺れるバスの車内。
人が多くなり、騒がしくなる。
「はよーっス」
「はよー。あれ? 矢野、樫本は?」
同じ学生服を着た少年の一人が、矢野に話しかける。
学校でも有名な見目麗しい少年の姿が見当たらないのだ。
急に寒くなったせいで、体調でも崩したのだろうか。 「さぁ? 今日は休みかな?」
しかし、比較的混雑してきているのにもかかわらず、いつも彼が座るその席に、何故か誰も座っていない。
――背もたれから床まで、不自然なまでにビッショリと濡れた席。
その下に置かれた見覚えのある鞄と、バスを降りる時に必要な定期入れ。
「樫本……?」
彼が確かにここにいた痕跡を見て、少年たちは首を傾けた。
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