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035 勉強
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「ハリル、文字の勉強がしたい」
その日の夜、再び夕食に同席したハリルにそう告げた。
噴水の部屋に行った時以来、僕から彼に話しかけたのはこれが初めてだった。
ハリルの表情はあまり動かない。だから何を考えているか全然わからない。
結婚の話は確かにサディとギルトから聞いたけれど、彼はそのことは一切話してこない。
もしかしたら結婚は、ハリルの本意ではないのかもしへない。
仕来りで仕方なく……そう思っているのか。
何より僕が水神ではないと、彼は気づいているのではないかと怖くなる。
しかし意外なことに、彼はすんなりと僕の要望を許可してくれたのだ。
そしてその翌日から、早速この国の文字を学べることになった。
僕にこの国のことを教えてくれる人は、初老の眼鏡の老紳士で、メロウという人物だった。
髪も服も瞳も深緑色で、彼は今までハリルの執事のような仕事をしていたそうだ。
幅広い知識と、長年王国に仕えているという信頼から、僕の教育係に抜擢されたらしい。
「今日の夕食はきちんとマナーが守れていたそうですね。サディ様が褒めていらっしゃいました」
「ん。メロウのおかげだね。今日もよろしくお願いします」
そう挨拶すると、僕の答えに満足したように頷いた。
まず最初に、サディに選んで貰った絵本を取り出す。
文字も覚えつつ、城の見取り図もわかるので一石二鳥だと思ったのだ。
メロウがゆっくり、文字を読んでくれるのを聞きながら、先日サディから教わったことも、頭で反芻させる。
――まずこの城は中央の本館を囲むように『東西南北の四つの塔』がある。
北塔が正門
東塔が来客用
西塔が使用人用
南塔が王の住居
――さらにその離れとして、三つの宮がある。
兵士宿と訓練所の、東宮
牢獄と処刑場の、西宮
神殿と妖獣がいる、南宮
王の住居の南塔は、神殿がある南宮と隣接しているらしい。
そして南宮だけは他の建物よりもずっと大きい。
恐らく本館と同じくらいあるのだろう。
それにしても、城の外には牢獄や処刑場もあるというのは驚きだった。
城での生活は、灼熱の荒地で彷徨っていた時に比べて、凄く穏やかだけど……。
(……なんか怖いんたよな……)
牢――――頭の奥で、また何かがひっかかる。
思い出したいのに、思い出せない。
嫌なモノが頭の中で渦巻いている。
黒い、凄く黒い何か…………これは一体なんなのだろうか……。
「イズミ様……? 大丈夫ですか?」
声をかけられ、慌てて我に帰る。
「ご気分が優れないなら、今日はもうお辞めになりますか?」
本を見たまま固まっている僕を、心配そうにメロウが覗き込む。
「大丈夫だよ。お城が大きいからびっくりしちゃって」
「そうですか……? あまりご無理はされないようにしてください」
平静を装い、ページを捲るが、手が微かに震えている。
「そちらの建物は、グランミルーゼにあるリースリンド学習院ですね」
「へぇ……」
「陛下や両騎士団長様、ジーナ様は皆こちらの学習院の卒業生です」
動悸が収まらない。
荒地から助けられ、王都ヴェルトリースに着いてすぐに意識を失ったはずだ。
そして気がついたら、東塔の貴賓室にいたのだ。
(牢獄なんて知らない……。行ったことなんてない)
それでも記憶の中に、大きな穴が空いているような……そんな気がしてならないのだ。
――――――――――
「お前、一日中勉強してるのな」
そうギルトに言われて、既に陽が傾き欠けていることに気がついた。
メロウとの勉強の時間を終え、今は自主的に文字の書き取りをしていたのだが、いつの間にか結構な時間が経っていたらしい。
ずっと側にいてくれていたサディが嬉しそうに笑う。
「水神様が教養があるのはいいことだよ」
(本当は水神じゃないから必死に勉強してるんだけどね)
サディは、僕が違うと言っても決して譲らない。
だからもう、言うのはやめたのだ。
「今日の夕食、ハリルは?」
また夕食も彼が同席するのか、相変わらずそれが憂いだった。
「……今日は予定があるから来ないはずだ」
「そう」
「よかった」と口に出すのは止め、視線を本に戻す。
――――僕は時折、自分でついてしまった嘘に押し潰されそうになる。
10歳などと言わなければよかった。
(もし本当のことを言ったら、どうなるんだろう……)
僕が本当は16歳で、この国の計算では、20歳を超えていると知ったら、この二人はなんて言うのだろうか……。
僕の意思など聞かずに、結婚を強要するのだろうか。
そして王であるハリルも、そのつもりなのだろうか。
「ところでイズミ……。話があるんだけど……」
少し暗い表情でサディが言う。
「え……何?」
嘘がバレたのではないか……と、不安がよぎる。
でもサディが僕に告げたことは、そうではなくて……。
「俺とギルトは、暫く城を離れることになった」
それは今の僕にとって、天地を揺るがす大変なことだった。
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