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060 胡乱
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――――水神の部屋にイズミを移してから、イズミの様子は著しく酷くなった。
何度も悪夢に魘されては目覚め、意識が覚醒する前にまた眠りへと落ちていく。
西牢での記憶がイズミを精神的に弱らせ、そのせいで悪夢を見ているのだとばかり思っていたが、どうやら原因はそれだけではないようだった。
「イズミに、夢魔が取り憑いている……?」
巧妙に隠されたその呪術にようやくが気ついたのは、夜も完全に更けた頃だった。
「正確には夢魔ではなく、別の呪術の一種かもしれないとのことだ」
国王が消えた扉の先――――水神の部屋を見つめながらサディが呟く。
「お兄様もギルト様も……ご自分を責めないでくださいませ」
そう慰めるリディの顔色だって優れてはいない。
俺たちが不在の間、リディも色々と大変だったのだろう。
(自分を責める……か)
記憶を取り戻したイズミは、俺とサディを見てあんなにも取り乱した。
拷問の記憶と同時に、俺たちがイズミを投獄したことも思い出してしまったのだ。
直ぐ助けに行くつもりだった……そんなのは言い訳に過ぎない。
結局あの時は何もできず、ただ手を拱いているだけだったのだから。
水神の部屋の扉が開く。
俺とサディ、そしてリディの目が、一斉に扉から出てきたハリルへと注がれる。
ハリルの背後――――水神の部屋は僅かに橙色の緩い灯りが灯っていた。
先程まで座っていた長椅子の上に、イズミの姿がない。恐らく寝台に移されたのだろう。
「……イズミは?」
聞くと彼は顔を横に振る。
「まだ眠っている」
そう答える王の顔も憔悴の色が隠し切れていなかった。
「セシルの実に回復の術をかけて置いてきた」
「そうか……食ってくれるといいけどな……」
セシルの果実は栄養素の高い果実だった。
そこに回復の術までかかっているのなら、一粒でも食べれば随分と体調は良くなるだろう。
(もっとも、術は効けばの話だけどな……)
ハリルの回復の術どころか、他の術者の術も効かなるほど、イズミは今心を閉ざしてしまっている。
「それで、イズミにかかっていた呪術は? 夢魔だったのか?」
サディの顔色は真っ青で、今にも倒れそうだった。
「まだ詳しくはわからないが、かなり強い妖力だ。そして実に巧妙に仕組まれている」
ハリルは勿論のこと、サディやジーナは妖術を得意としていた。
本来夢魔程度なら、もっと早く気づいてもおかしくはなかった。
「もっと別の形の呪術だろうが……今は夢魔として現れているようだ」
呪いはおそらく、心が弱ったところに入り込み、イズミを苦しめている。
「城には守術がかかってますわよね? わたくし、てっきり城では呪いなんて無縁のものだと思っていましたわ……」
リディは女官長でもあるが、かつては騎士団の入団を志しただけあり、イズミがいた東塔の幽閉室への階段を登れるだけの体力と妖力を持つ、数少ない人物だった。
だからと言って、そこまで呪術に詳しいわけではない。
呪いには妖術とはまた別の知識や能力が必要となる。
正直俺も、どうして呪いが城で発動できたのかわからなかった。
「イズミは、記憶が戻る前から呪いを……?」
いくら呪術の知識が無いとはいえ、俺やリディだって目の前で呪いをかけられたら流石にわかるはずだ。
「ああ……恐らく、幽閉室に入れる以前に受けた呪いだろう」
「幽閉室に、入る前……?」
「まさか……」
サディと目を合わせ、言葉を失う。
水神(リィーリ)の源泉でイズミを保護したのは、俺とサディだった。
城に連れてくる間は片時も離れずイズミの側にいた。
――――唯一、イズミと離れた時間は……。
「西宮の牢獄……?」
イズミが呪いを受けた場所――それはもう、そこしか考えられなかった。
――――――――――
あの日、西宮でイズミが捕らわれた時、西宮の上空だけに雨雲が出て大雨が降った。
地下が沈没する程の大雨――その影響で、西宮の地下に捕らわれていた囚人の何人かは脱獄した。
地下の奥深くにいた死刑囚たちは、助け出されることはなく皆水死したのだ。
脱獄した囚人にとったらイズミは救世主。
そして水死した囚人たちの仲間にとったら――仇になるのだ。
(それならば…)
「あの雨が原因なのか……?」
聞くとサディは首を横に振った。
「呪いをかける機会は、投獄されていた時だ。原因が雨だと時間的に矛盾が生じる」
「そうか……」
確かにそうかもしれない。
迫り来る水の中で、呪いをかけるというのは考えられない。
「じゃあ…………雨が降る前に、いち早くイズミが本物の水神と気づいて、呪いをかけた者がいる……っていうことか……?」
サディと俺は、再び口を噤む。
押し寄せる後悔はどんどん大きくなるばかりだ。
「あの……イズミ様を拷問にかけていた看守たちは、今はどうしているんですの?」
「あいつらは確か……」
そうだ。王の命令とはいえ、看守たちは本物の水神を拷問してしまったのだ。
彼らは王と水神の婚姻後に、然るべき処罰をされる予定だった。
「今は捕らえてるんだよな? ハリル」
「………いえ。先程その四名は処刑されました」
俺の言葉を遮り、覆したのはジーナだった。
息を切らせているのを見ると、急いで駆けてきたのだろう。
「処刑……だと?」
ハリルが驚いたように言う。
「やはり……陛下が命令されたわけではないのですね?」
――――西宮でイズミを拷問した看守が死んだ。
『処刑』の許可を出すのは王だ。
ハリルがそれを知らずに、死刑が執行されたとなると……。
「口封じか……」
ハリルのその言葉を聞いて、憤りが全身を駆け巡る。
「詳しいことは今調べておりますが……」
言い淀むジーナの複雑に歪む顔を見て、その原因を解明するのは難解なのを感じ取る。
あの牢獄で――――イズミは拷問を受けながら、呪いまでかけられていたのだ。
あの時意地でも助けに行けばよかったと、何度後悔しても後悔しきれない。
「クソっ……」
重要な秘密を握っているであろう、看守の命が奪われた今……悪夢の原因を突き詰めるのは困難になるだろう。
「ハリル……俺はもう、お前の命令は聞かずに……イズミを守る……!」
何故あの時、王の命に反してでもイズミを守らなかったのだろう。
いくら確信がなかったとはいえ――――いや、あの時もう既に、イズミが水神であるとわかっていたのに!
「そうだな……ギルト」
王の目がスッと細められ、そして閉じられる……。
「そうしてくれ……」
その時初めて、この王が誰よりも後悔しているのだと気づいた。
サディを見ると、彼は何も言わず王を見つめていた。
(俺だけじゃない……)
辛いのは、自分だけではないのだ。
もう一度吐き捨てるように「クソッ……」と呟く。
(何があっても、俺はイズミを守るんだ)
再度そのことを心に決めて――――俺は掌を、ギュッと握りしめた。
雨はいつの間にか止み、廊下の大きな窓から星灯りが差し込んで来る。
ハリルが閉じていた瞳を、ゆっくりと開く。
「……イズミが起きたようだ」
クルリと向きを変えると、ハリルは振り向きもせず、水神の部屋に入って行った。
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