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065 疑惑
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表面上は穏やかな日が続いていた。
この国の人々も、この城で働く大半の使用人たちも……南塔に一人の少年が、鎖で繋がれ監禁されているのだとは思いもしていないだろう。
気がかりなことがある――――たったそれだけで、南塔の階段を上る足が自然と重くなる。
水神の部屋では、実質的に監禁されているイズミが退屈しないようにと、毎日日替わりで様々な催しが行われるようになった。
催しを行うのは、国の伝統的行事でも代々演ずる正式な演者たちだ。
皆身元もきちんと保証された信頼おける者たちだが、それでも万が一のためにと、俺かギルトが毎回そこに同席するようになっていた。
「あらお兄様、ごきげんよう」
水神の部屋の前でリディと鉢合わせる。どうやら今、昼食が終わったところらしい。
「まだ催しの方たちがおいでになるには時間がございますでしょう?」
片付けられている食器には、殆ど食べた痕跡のない食事が残っていた。
それを見て自然と眉間に皺がよる。
「そんな顔しないで差し上げて。これでもイズミ様、今日はいつもより多く召し上がっていますのよ?」
イズミが記憶を取り戻してからというもの、元々細かった食は更に輪をかけて細くなってしまった。
日が経つにつれ、目に見えてイズミか痩せ細っていくのを皆心配しているのだ。
「今、イズミはどうしてる……?」
そう妹に聞くと、彼女は少し小首を傾げて答える。
「先程は長椅子で休まれておりましたわ。なんだか寝不足らしくて……催しまでの間少しお休みになられるそうですわ」
「…………そうか……」
扉に手をかけて、部屋に入るかどうか戸惑う。
(休んでいるのか……)
抱いた疑問を確かめるために早く来たというのに、部屋に入らなくてもいい理由を見つけて、そこに縋りたくなってしまう。
(気が重い……)
扉にかけた手に力を入れ――――そして扉を開くことなく腕を下ろす。
「? お兄様? 入らないんですの?」
訝しげな表情を見せた妹は不思議そうに問う。
「ああ……」
気がかりなことが、気のせいであればいい。
何かの勘違いや、間違いであればどれだけ良いだろうか。
窓越しに空を見上げる。
毎朝降る雨は昼には上がり、いつものリースリンドの空になる。
それでも空には、まだ白い雲が多く残っていた。
――――――――――
しばらくして、イズミのために手配された楽団の面々が部屋の前に揃う。
演者は数がいるといえど、水神の部屋に入れる者となると極端に数が限られる。
こう長い時間閉じ込めていると、どうしても毎回似た顔ぶれになってしまう。
漆黒の目と髪を持った、恐ろしいほどの美貌の子供。
まだ彼らにもイズミを「水神」だとは告げてはいない。
しかし、ここは南塔最奥の最上、王の隣の部屋。
本来は王妃室となる場所だった部屋にいる少年。
彼らに課せられた厳重な箝口令。
これだけでも、イズミの存在が一体何なのか、彼らにはもうわかっているのだろう。
この部屋から水神の絵画を運び出した者たちも、この部屋に術をかけた術者たちも、皆――――神話の存在である水神のイズミが、王の庇護の名の元、ここに監禁されていることに気づいてる。
――――何か訴えたそうな彼らの視線を遮り、その白い扉を開く。
無防備に長椅子に横たわるイズミが、こちらに気づいてゆっくりと瞼を開ける。
白い豪華な家具、洗礼された衣装。それにも劣らないイズミの姿は、まるで完璧な絵画のように綺麗で、芸術を愛する演者たちからは感嘆の溜息が漏れた。
――――――――――
始まった楽団の音楽に、静かに耳を傾ける。
イズミはこちらに背を向けているため、その表情は推し量ることはできない。
イズミに掛けられた夢魔の呪いは完全に消え去ったわけではない。
けれど、もう悪夢は見ていないようだった。
国王のハリル自ら、術を施して防いでいるということだけはわかる。
その詳しい方法はわからないが、毎朝雨が降っていることも影響しているのだろう。
長い時間、こうしてイズミの後ろ姿を眺めていた。
楽団の演奏に限らず、催しの最中イズミはあまり動かず甚く落ち着いている。
時折演者たちはそんなイズミを盗み見る。
若い演者は動揺をしめして為損じることもしばしばあった。
退出の際も楽団員の多くはイズミに視線を注いでいく。
不躾なまでの視線に怯むことなく、凛として佇むイズミは不自然なまでに大人びている。
イズミは今迄で一度も彼らに助けを求めたことはない。
まるで拘束されることを諦めているような…………寧ろ、助けを求めたところで、演者(かれら)では無理だと悟っているような……そんな態度であった。
彼らが全て退出をし、この白い部屋のには二人きりになった。
以前はあんなにも打ち解けていたのに、今では目も合わせなくなってしまった。
声をかけようと思うが、また以前のように拒否されるかもしれない。
それでも――――今日はイズミに、聞きたいことがあるのだ。
無意識に、「アレ」を入れた懐に手を当てる。
それは、数日前のことだった。
――――今迄イズミが使っていた幽閉室を片付けていた時、見たことのない文字が並べられている紙を拾った。
0~9の数字の横に並べられた、異国語の文字。
そしてその裏に書かれた、計算式らしきもの。
その紙はイズミにすぐ渡すつもりであった。
だが――――その計算式の意味を知りたくて、つい解読してしまったのだ。
イズミは板が張り付けられた窓を見上げたまま、微動だにしなかった。
打ち付けられた窓を見上げて、一体何を思っているのだろうか。
「ねぇ……サディ」
なんと声をかけていいか戸惑っていると、久方ぶりにイズミの方から話しかけてきた。
「……バルシェットって…王の妖獣って凄いの?」
久々のイズミの声……。
決して低くはない。けれども女性とも違う。成長途中の少年独特の声だった。
それが何故、急にバルシェットのことを聞いてきたのだろうか。
あまりにも突拍子もない質問を、疑問に思う。
「凄い……とは?」
聞き返すと、イズミは窓から目線を外して、こちらを振り向いた。
目を合わせてもらえるのも、本当に久々だった。
「飛ぶのとかって、速い?」
今までのように、そう首をかしげて聞かれると、何でも答えてあげたい衝動に駆られる。
「速い……ですよ。他の種類の妖術と比べても最速です」
同じ妖獣を扱う者として、身に染みて良くわかる。
バルシェットの速さの右に並ぶものはいない。
「サディとギルトの妖獣……フランとリドとはどう違うの?」
………でも何故か、この質問には裏があるような気がしてならない。
無邪気に聞いてくる姿を、少し恐ろしいと思う。
「……そもそも、性別が違うのです。バルシェットは雄、リドやフランは雌になります」
イズミは「ふーん」と曖昧な返事をする。
「妖獣の繁殖は特別で……雄と雌で別の生き物のという考えの方がいいでしょう……」
イズミの目は、また板張りの窓に移る。
「陛下の妖獣は唯一無二。あれほど素晴らしい妖獣はバルシェットしかおりません」
そいう言った時、イズミの表情が薄らと変わった気がした。
笑ったのだ――――
それは今までの、無邪気な笑い方ではない――――
あの紙に書いてある数字が、頭を過る。
「イズミは……」
子供では、ない――――かもしれないのだ。
「……ありがと。サディ」
そういって振り向いたイズミの笑顔は、見慣れた無邪気なものへと戻っていた。
その笑顔を見たら……この疑問を言葉にすることなど――――到底、できそうにもなかった。
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