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115 懸想
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西宮の牢獄にいたその子は、鎖に繋がれて水中を漂っていた。
裂けた服、傷ついた身体、水中にいてもわかる、その肌の白さ――――。
その黒髪の美しい子供の姿を見つけた時、胸が張り裂けるように痛んだ。
――――――――――
イズミが西塔の中庭から逃げた―――― 初めその報告を受けた時、水神の部屋であの子が姿を消した日のことを思い出した。
だから今回も、あの時と同じかと思った。
直ぐに、あの子は戻ってくると思っていた。
「陛下、申し訳ございません」
改めて報告しに来たギルトは、実ることのなかった初動の捜索を報告しにきた。
普段の軽薄な口調を隠し頭を下げるその顔色には、今までに見たことのないような動揺が感じられた。
――――そして、ことの重大さは直ぐにわかった。
いくら残党を相手にしていたギルトとサディが、直ぐにイズミを追うことができなかったとしても、あんな小さな子供一人で行ける範囲には限りがある。騎士団総出で探しても、見つけることができないなどと……そんなことがあり得るのだろうか。
「確かにイズミは、逃げる……と、そう言ったのか?」
それは耳を疑う、言葉だった。
水神の部屋であの子が姿を消した時は、イズミも意図していたことではないと言っていた。
あの子曰く、水神の部屋にあるはずのない扉が現れ、そこから外に出た――――と。でもこれは、その時とは全く様子が違うのだ。
強い憤りを感じる。
披露会を翌々日に控えたこの日に、何故「逃げる」という言葉を残してイズミは消えたのだろうか。
「陛下、捕らえた残党に奴らの根城を吐かせます。どんな手を使ってでも……」
ジーナはイズミが囚われたのではないかと示唆しているのだろうが、それでもこの状況は腑に落ちなかった。
「あーあ。せっかく明日の披露会、楽しみにしてたのにな」
招かざる客、ヴァンがそう呟く。
予定よりも早く来城した従兄弟は、私に許可を得ることなくイズミと接触をしたらしい。
「なんか様子がおかしいと思ったら、まさか逃げようとしてたなんてね」
空気を読まずにヴァンは笑う。
――――不愉快だった。何もかもが不愉快で、強い憤りを感じる。
この応接間に並べられた食事はすっかり無駄になってしまった。
西塔の中庭から帰ってきたイズミたちのためにと用意したものだったのに……誰にも手をつけることのない料理はすでに冷めきり、色とりどりの果実の華やかさが緊迫した雰囲気とあまりにも不釣り合いだった。
(解放してやるつもりだったのに……)
身体さえ重ねられれば、部屋に閉じ込め続けるようなことをしなくても大丈夫だと思ったのだ。
部屋の外に連れ出したほうが、あの子が喜ぶとわかっていた。
この部屋に連れ出したとき、頑なに口を閉ざすあの子の……窓の外を眺める目がとても輝いて見えたから――――。
本当はもっと早く、この城に招いてすぐに、イズミを私のものにしたかった。
あの子と初めて言葉を交わした水神(リィーリ)の泉でも、東塔の幽閉室でも、そしてあの南塔の部屋に閉じ込めてからも、何度手篭めにしてしまおうかと考えたことか。
それでも、幼く、そして華奢な身体を傷つけないように……すぐにでも手に入れたい衝動をずっと抑えてきたのだ。
(それなのに、何故……)
昨夜抱いたのは早急すぎだったのだろうか。 でも、あの時二度目を強請ってきたのはあの子の方ではないか……。
ならば何故、ここにきて姿を晦ましたのだろうか。
(振り回されている……)
ギルトやサディに嫌味なくらい良く懐いていたのは、最初に灼熱の源泉で助けられ、恩を感じているからなのはわかっていた。
それでも、最初の水神(リィーリ)の泉では普通に話していたと言うのに。
私と結婚をするという話を聞かされてからは私を明確に避けるようになってしまった。
それなのに、拒絶をしているのかと思えば、時折甘えたような仕草をしてくる。
西宮で牢獄の記憶を思い出してからは拒絶が特に酷くなったが、それでもあの子は泣きもせず、不満を唱えることもなく、大人しくあの部屋に留まり続けたではないか。
そんなあの子の所作に、ことあるごとに一喜一憂した。
あの子が退屈しないように、例え閉じ込める形となった水神の部屋でも、足枷を除けば完璧な環境を揃えていたはずだった。
『きらい……』
それなのに、私があの子に最後に告げられたのは、完全なる拒絶の言葉であった。
初めてイズミから明確に向けられた拒絶の言葉。
反王国派の者なら捌いてしまえばいい。
国民や貴族の中に私を嫌う者がいたとしても、害を及ぼさなければそれは構わないと思える。
しかし水神となれば話は別だ。
イズミに、あの子に嫌われるなど……考えてもいなかった。
心から欲して、ようやく手元に繋ぎ止めた者に嫌われた場合はどうすればいいのだろうか。
(嫌いと……伴侶になるであろう私を、王である私を、嫌いなどと……)
あの子に良いように弄ばれているのは、他ならぬ私なのだ。
『大嫌い……』
悪意に満ちているわけではなく、とても悲しげに紡がれた言葉。
あの言葉がこんなにも心を抉るものだとは思わなかった。
こんなにも欲しているのに手に入らない。
どうしたら心を開いてくれるのか。
どうしたら好いてくれるのか。
今までの水神と名乗り出る者たちなら、声をかけるだけでも喜んだ。
水神の候補者だけではなく、貴族も、寵姫ですらも、全てそれだけで喜んだではないか。
私が部屋に出向くことも、妖獣バルシェットに乗せることも、彼らだったらどれだけ喜んでくれただろうか。
触れられることは至極の喜びで、抱かれることが最大の名誉だったではないか。
――――だからその証として、披露会を前にしてあの子を抱いてやったのに。
あの子には私の常識が全て当てはまらない。
最高級の部屋で、最高の持て成しをしても、私に微笑みかけることすらしない。
だからこそ、あの水神(リィーリ)の泉でのことが忘れられない。
あの時だけは、イズミは無邪気に微笑みかけてくれた。
あれほど愛らしい存在を私は知らない。
あれほど大切にしたいと思った存在は今までいなかった。
無事でいてくれと、今はそう願うしかない。
イズミを失いたくない。
あの子を失ってしまったら、この国を治めることはできない。
あの子がいなくなった世界になど、なんの意味もない。
そう思ってしまうほど、あの子が大切だった。
――――不意に、ふと天井を見上げる。
こんな状況に陥っていながらも、不思議とあの子がすぐ側にいるような……そんな気がしてしまう。
「イズミ……」
その名を呟けば、ふっと抱きつかれているような錯覚すら覚える。
(おかしなこともあるものだ……)
せめて無事でいてくれと、心からそう願う。
切ないほど狂おしい感情に支配されながら、揺らぐ己の気持ちを押さえ込む。
何故こんなにも求めているのに、あの子は私の側にいないのだろうか……。
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