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150 思慕
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胸の鼓動の音が、耳に聞こえる。
自分の鼓動の音と、そして――――
(ぼ……く、……何してるんだろう……)
これは夢の続きなのだろうか。
悲して、辛くて、そしてどうしようもなく怖くて泣いていたはずなのに、今僕はハリルの腕の中にいる。
ハリルの背に手を回し、ハリルの胸に顔を埋めているのだ。
(また、夢だ……きっと……)
顔を上げるかどうかで、戸惑う。
どんな顔で彼を見ていいかわからなかった。
気まずさに身じろぐと、強く僕を抱きしめているハリルの腕が少しだけ緩んだ。
(……怖い……)
温もりが薄れて、急激に不安が襲ってくる。
「イズミ」
呼びかけられた声。
大きい声を出されたわけでもないのに、思わず身体が跳ねてしまった。
身体は石のように固まっていて、鼓動ばかりが強くなる。
ずっと、強く抱きしめていてくれればいいのに。
息もできないほど、抱きしめていてくれればいいのに。
「身体は辛くないか?」
問われる声は優しいのに、頭を触れられてまた身体が萎縮する。
嫌がる素振りを少しでもしたら、また酷くされるかもしれない。そう思うと怖かった。
「…………っ」
けれど、頭を撫で続けるその手は、ずっと優しいままなのだ。
僕が反応を示さないせいか、凄く長い時間、彼はずっとその動作を繰り返す。
(これ……ハリルだよね……)
あまりにも今までとの態度が違くて、急に不安になる。
それでも顔が見れなくて、少しだけ視線をあげる。
視界に入る、金色の長い髪。
(やっぱりハリルだ……)
「少し落ち着いたか……?」
また少し、身体を離されて問われる。
動揺で彷徨う視線が周りを捉える。
(ここって、水神の部屋……?)
カーテンの隙間から覗く部屋は、僕の知ってる水神の部屋とは少し違っていた。
記憶にはない、見慣れない家具が置かれている。
それでも、床やベッドは水神の部屋の物で間違い無いだろう。
(どうして、まだここに……)
ハリルはまだ、僕を水神だと思っているのだろうか……。
『水神だと偽り、我らに取り入って…』
いや、そんなことはない。
『私の妻の座を狙ったのか?』
彼はそう言ったではないか。
『よくも欺きおって……』
ハリルももう、僕が水神でないと知ってる筈なのだ……。
思い出すと、また身体が震えだす。
ハリルの手が、いつ僕の身体を切り裂き、淫らな行為を要求してくるのか。
その口が僕を侮蔑し、嫌悪する言葉を浴びせてくるかわからなかった。
子供のように嗚咽の息があがりだす。
泣き叫びたいのに声が出ない。
荒々しい息を繰り返していると、僕の髪に、ハリルが顔を埋めた。
ゆっくりと下がっていくハリルの手。
今までの経験から、その手の行方を過度に意識してしまうが、まるで落ち着きを促すように背を撫でられただけだった。
「大丈夫だ。何もしない……」
髪や額に、口付けを落とされている。
(なんで……)
訳が分からなくて、戸惑うことしかできない。
「イズミ、すまなかった」
(何……?)
言葉の意味が理解できない。
(すまなかった……?)
初めて受けたその言葉に驚き、ゆっくりと声のした方を見上げる。
「そなたをここまで追い込んでしまった」
懺悔のように告げられる言葉。
その言葉が徐々に胸に刻み込まれていく。
「そなたをたくさん傷つけてしまった」
(傷つけた……?)
彼にされた酷い仕打ちは、大方は自業自得だと思っていた。
最初に偽ったのは僕なのだ。
水神ではないと、はじめに否定しなかった僕がいけなかったのだ。
「そなたの気持ちも考えずに……本当にすまなかった……」
騙していたのは僕。
彼を、この国の人たちを、たくさん失望させてしまったのは僕なのだ。
「牢でのことも、あれは……あれは私の本意ではなかった」
グッと胸が苦しくなる。
声も出ず、ハリルを見ることもできず、ただパクパクと口を開け閉めする僕に、ハリルは続ける。
「本意でなかったとしても、命じたのは私だ」
水神の偽証罪での投獄……あの時は何も知らなかった。
それでも結局、僕は水神として、飢えも乾きも暑さも知らないまま、この城に居続けたのだ。
その安寧に甘えて、事実を告げなかった。
「許してくれとはいわない。どんな形であれ、必ず償おう……」
僕も、ごめん。騙してて。
声が出ない喉で、そう言おうと顔を上げる。
すると彼は驚くほど真摯な表情で僕を見つめていた。
「イズミ…… 」
やっぱり、身体はビクリと跳ねる。
ハリルを見るのは怖い。
彼はいつも急に不機嫌になって怒るから、本当に怖いのだ。
「傷を癒させてくれ……」
けれど、ハリルの口から出たのは僕が思っていたものとは違かった。
「もう何もしないから、傷を癒させてくれ……」
縛られ、吊るされた時に残った手首に、ハリルはそっと触れる。
(これは……)
いつも目覚めると傷が治っていた。
だから今日は、敢えて治されていなかったのだとばかり思っていた。
「拒まないでくれ……。頼む……」
まるで祈るように懇願される。
(拒む……僕が……?)
僕の手首に添えられたハリルの手が、ぼんやりと光を帯びる。
前に何度か見たハリルの妖術だ。
(治らない……)
けれど僕の手首に残る擦り傷には、何故か効きがあまりよくなかった。
(どうして……)
ハリルが眉をひそめる。
「頼むイズミ……。受け入れてくれ……」
(受け入れる……?)
どうやって受け入れるのかなんてわからない。
それでも、懇願に近い願いを、素直に聞き入れたいと思った。
僕の傷を癒すことでハリルの言う贖罪の気持ちが和らぐのなら……。
「イズミ……」
どうして彼はこんなに辛そうな顔をしているのだろうか。
不機嫌そうに見えた表情は、不機嫌などではなく悲しそうなのだ。
(そんな顔しないで……)
胸が痛い。息をするのも苦しい。
(ハリル……)
徐々にハリルに触れられたところが暖かくなる。
「……イズミ」
先程までのことが嘘みたいに、傷が癒されていく。
「……!」
ハリルの目が変わった。
嬉しそうに、ホッとしたように、彼が僕を見る。
僕は彼を責めてなどいない。寧ろ、謝らなければいけないのは僕の方なのだ。
「…………感謝する。ありがとう」
(……ありがとう……か……)
彼の口から初めて聞いた。
そして反対の手の傷も癒されていく。
鬱血の痕も、噛み痕も、何事もなかったように癒されていく。
治している間、ハリルは僕の様子を伺うように、何度も顔を覗き込んでくる。僕はその度に怖くて視線を外してしまう。
ハリルはその都度「大丈夫か?」とか、「何もしない」とか言い続けて、あまりにも気を遣われて、逆にこちらが申し訳なく思えてきてしまうほどだった。
流石に羽織っている服を脱がされかけた時は、怖くて身体が強張ったけれど、ハリルは厭らしいことはせずに治療だけを続けてくれた。
そして酷くされて切れてしまったお尻を治す時は特に気を使われた。
あまりにも申し訳なさそうにするから、僕も思わず愛想笑いを返してしまった。
けれど――――笑ったつもりだった僕の頰は、ピクピクと歪に痙攣をしただけで、それを見たハリルはまた不機嫌そうに……傷ついたように眉間に皺を寄せてしまった。
「……すまない」
何度めかの謝罪を繰り返しながら、ハリルの手が脚へと下がる。
鬱血の痕は太ももに多く残っていてそれが変に羞恥を煽る。
(もう少しで終わり……)
早く終わらないかなと、ぼんやりとその作業を眺めていた。
「――――イズミ、この脚はどうした?」
しかし、ハリルの手は僕の足首に添えられ固まった。
(脚……?)
ハリルに言われ、ゆっくりと視線を足元に移す。
僕の足首にはくっきりと残る大きな手形が残っていた。
それはまるで、強い力で掴まれたような痕で…………。
――――生臭い臭い。
さっきの夢の中で、アイツが僕の足を掴んでいた、その場所と同じだった。
「…………っ!!!!」
喉の奥から悲鳴が上がる。
先程見ていた夢は、正夢だったのだ。
僕の足を掴む、あの目だ。
あの目が恐ろしくて――――
「ーーーーっっ!! っ…………っ!!!」
「イズミ!」
ハリルがまた、僕を抱きしめる。
何が現実で、何が夢なのかわからなくなってしまった。
もしかしたら、この優しいハリルも夢なのかもしれない。
「私が守る……イズミのことは、私が守る」
そうハリルが耳元で囁く。
(守る……?)
言いようのない恐怖から救ってくれるというその言葉。
その言葉に縋りたいと思う自分がいる。
抱きしめてくる腕には、更に力がこもってくる。
見上げたハリルは驚くほど悲しそうな表情をしていた。
胸が締め付けられるように痛い。
そんな悲しそうな顔をしないで欲しい。
抱きしめてくれるハリルの腕に、そっと擦り寄る。
言葉が出せないから、「大丈夫だよ」と、行動で示したつもりだった。
再び見上げたハリルと目が合うと、彼はとても驚いた表情をして、そして見たことのないくらい優しい顔で微笑んだのだ。
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