アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
152 現実
-
窓が閉ざされた部屋。
あの後から眠ることなく、長い間ハリルの顔を見つめていた。
カーテンの向こうにいる黒い影はずっとそのままで、それ以上近づくこともなく、だからと言って遠ざかることもなかった。
ずっとそこに居続ける影を見て、いつしかそれはただの気のせいか、単なる思い込みなのかもしれないと思うようになってきた。
――――けれど忽然、その影はスッと姿を消したのだ。
ハリルが瞼をゆっくりと上げる。
そこから覗く金色の、綺麗な瞳――――至近距離にあったハリルの顔。
それだけでドキドキするのだが、ハリルの目が、こちらを向いた。
気まずい。眠らずに寝顔を見ていたとわかってしまっただろう。
だから思わず、目が泳いでしまう。
(ど、どうしよ……)
「眠れなかったのか……?」
低い声が部屋に響く。
「また悪夢を見たのか……?」
その質問には首を横に振って応えた。
「どうした? 腹が減ったか?」
ハリルが、半身を起こし、僕の顔を覗く。
暑い国の筈なのに、部屋の温度はとても低い。
特に今日は、寒いぐらいに冷えていて、ハリルが起きたことで持ち上がったシーツの隙間から中に冷たい空気が入り込んできた。
気まずさとその外気から逃げるように、もう一度深く布団の中に潜り込む。
「何か食べたいものはあるか?」
心配したように肩を触れられ、身体がビクリと跳ねた。
お腹は、減っていなかった。
何も食べたくない。
首をまた横に振り、いらないと応えた。
「そうか……」
僕の肩に触れた手が、優しくポンポンと僕を叩く。それはまるで小さい子供にするような動作で、そして優しかった。
ハリルは起き上がり、ベッドから降りる。
触れられた肩の感触がなくなりホッとしたけれど、なんとなく寂しい。
ハリルはテーブルに用意されている水や果物を取りに行ったらしい。
天蓋のカーテンが捲られると、オレンジ色の部屋の灯りが、ほんのり明るくなったような気がした。
――――「『…………』」
ハリルが離れていくと、アイツの声が聞こえそうな気がする。
ハリルのあとを追うように僕も起き上がり、慌ててベッドを降りようとした。
「イズミ……?」
――――肌に触る外気。
片足だけ床につけた――その裸足で床を踏む感覚。
無理矢理身体を起こしたことによって襲いくる目眩。
――――息をするのも苦しくなった。
「…………!!」
何があったのか、鮮明に記憶が蘇る。
忘れていたわけではない。ただ、事実が現実として襲ってくるのだ。
鼓動と、震え、息苦しさは自分の意思では止められない。
(怖い……!)
彼に告げられた言葉、彼に何をされたのか……。
(穢れてる……僕は……)
夢現つから引き戻されて思い知る、残酷な現実。
僕の異変に気付いたのか、ハリルが近づいてくる。
それすらも怖くて、でも身体は固まっていて言うことを聞かない。
(苦しい……怖い……)
ゆっくりとハリルの腕が伸ばされる。
(ああ……怖いっ……どうしよう……)
鼓動ばかりが耳に聞こえ、涙が溢れる。
(怖い……)
ハリルの手が、僕の身体の横をすり抜けた。
ベッドのシーツを引き寄せ、僕の背にかけてくれる。
「……寒いか?」
「………!」
「身体がつらいならまだ横になっているといい……」
ハリルは、優しい。
その動作に、今までにないぐらいの優しさを感じる。
ゆっくりと、ハリルが僕を抱きしめてくる。
(どうして……)
切なくて、涙が浮かんできた。
怖いけど、強張る身体で応えるように背に手を回す。
「イズミ……」
すごく近くで聞こえる、ハリルの声とハリルの匂い。
暖かい、大きな腕。
「すまなかった……」
何度も繰り返されていた言葉。
夢か現実かも分からなくなっていた、彼からの謝罪の言葉。
(夢じゃないんだこれ………)
そのハリルの腕に力が入って、より強く僕を抱きしめてくれる。
(うわっ……)
受け入れきれない現実。
グニャグニャと心の中で歪んでいたモノが、綺麗になっていくような感じ。
嗚咽が、喉から漏れた。
それでもやはり、僕の声は出なかった。
そんな僕を、ハリルはずっと抱きしめ続けていた。
「落ち着いたか?」
モゾモゾと動くと腕を緩められ、顔を覗き込まれた。
どうしてこんなに態度が急変したのか分からなくて、とても困惑する。
照れ臭い。なんだか物凄く気恥ずかしくて、ハリルと目を合わせられない。
(やっぱこれ夢かも……)
自由なった腕で、引きつる頬を抓る。
思いっきり、ギュッと。
「………っ」
抓った頬は痛かった。
(夢じゃないんだ……)
それでもまだ変な感じで、もっと強く頰を抓る。
(いたた……)
それを、ハリルが驚いた顔で見ていた。
「な、何をしてるんだ?」
驚いた顔は心配そうな表情になり、頰を抓る僕の腕を掴む。
いつもはハリルから目を逸らすけど、今回はできなかった。それくらい、ハリルは面白い顔をしている。
「イズミ、頬が赤くなってる……」
抓った所を気にするように、ゴシゴシと手で撫でられて、妖術までかけて治してくる。
僕を見下ろすハリルは、凄く優しくて……そして今度は困った顔をしていて、それが嘘みたいに面白くて、思わず頬が緩んだ。
この国には、夢かどうかを確かめる手段で頬を抓る――とか、そんな風習はないのだろう。
「…………」
声が出たら、もしかしたら声を出して笑っていたかもしれない。
ハリルが再び驚いた顔をして……そして今度は一緒に笑ってくれた。
ハリルとこんな風に笑うのは、なんだか特別な時間のような気がした。
新しいテーブルには、例によってたくさんの果実が並べられていた。
「少しでいいから食べなさい」と、まるで親が言うように心配され、仕方なく果実を口へと運んだ。
中央に山のように積まれていたセシルの実には全く手をつけなかったけれど、ハリルはそれを責めることはなかった。
前に西塔で食べたラヴァルの実やアシェルの実をそれぞれ二粒ずつ食べただけで、それ以上食べることはできなかった。
その後には女官が来て、清拭や着替えの手伝いをしてくれた。
その中にはリディもいたが、これといって会話をすることはなかった。
いつもたくさん喋る彼女が話しかけてこないから、だから僕もなんとなく話しをするのはやめた。
でも一度だけ目が合った時、リディは緩やかに微笑んだ。思い返せば、城を逃げ出す前にあったっきりで、随分と久々だったのだ。
(僕……ここにいても大丈夫なのかな……)
水神でないと告げて、その罰を受けていたはずなのに、未だ待遇は変わらない。
水神の部屋には絶えずジーナが行き来していて、慌ただしく書類や託けをハリルに告げていた。
仕事をしているハリルを見るのも初めてで、本当に彼が王様なのだと実感した。
(どうして、ここにいるんだろう……)
ジーナが南塔のあの階段を行き来しているのかと思うと少し可哀想になる。
仕事場に戻らないのか疑問に思ったけれど、それはすぐ僕に気を使ってのことなのだと気がついた。
「少し眠るといい。昨日はあまり寝ていないのだろう?」
心配されてベッドに促される。
寝てばっかりだからそんなに眠くはないのだが、ハリルが心配するので言われたまま横になった。
「眠れなければ香を炊こうか……?」
そんなことしたら、仕事中のハリルだって眠くなるだろう。
首を横に振ると、「では女官に茶でも用意させよう」と言って、ハリルが離れていく。
下されたカーテン。突如襲いくる不安。
(側にいてくれればいいのに……)
香もお茶もいらないから、側にいて欲しい。
贅沢な願いだとわかっている。
横になったまま、ゆっくり目を部屋の片隅へと向ける。
そこにはハリルが去ったことによって、また黒い影が現れていた。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
153 / 212