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虫かご
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子供のころ。
夏休みが始まると決まって虫かごを買ってもらった。
白いヒモのついた薄い緑色のその虫かごを肩から斜めにかけ、青い柄の先についている白い虫取網を右手に、何が嬉しかったんだか、朝から晩まで野山を駆け抜けた。
ぎゅうぎゅうに入るまで蝉を捕まえてみたり、カマキリを捕まえてはそこにバッタを入れて捕食をじっくり見てみたり。
蝶を捕まえたつもりが実は蛾も混じっていたりと、今思い出しただけでも、意味が分からないことをよくもまぁ飽きもせず毎年毎年してきたものだと思う。
9月になった途端、夏休みなんてまるでな無かったかのように学校が始まり、行事が次から次へと始まっては過ぎていく。
片付け忘れた虫かごと黒く汚れた虫取網を庭の花壇の隅っこで見つけた時には、ただ乾いた音を発する内容物が…鳴き声も羽音もたてずに…生を終えていた。
すっかり乾燥した茶色のツタの残るアサガオの花壇を乱暴に掘り起こし、虫かごの中身を高い位置から落とし足で土をかけた。
虫かごはまるでクズ籠のように思えて、使わなくなった植木鉢の脇に投げ捨てた。
黒く汚れた虫取網はいつの間にやら破れ、おまけに変形して楕円のような形をしていた。それを納屋の壁に立て掛けたが、よく見ると去年の虫取網の柄がその足元に雑草に身を潜めるように横たわっていた。
子供のころ。
俺はそんな事に対しての善悪だとか、ましてや行為の意味なんて考えたこともなかった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
「今日も暑くなりそうだね」
ラジオ体操を終えて見上げた空に、一機の飛行機が白く小さく飛んでいる。首を少し下げた先にももう一機、先の飛行機とは少しばかり違った大きさで飛んでいるのが見えた。
もう少しだけ下げて体をひねれば、入道雲がもくもくとゆっくりと大きく育っている。
夜中にも鳴いてた蝉がいて、そんなものよりももっと多くの蝉たちが、今が夏であることを全身全霊で伝えている。
落ちかけた麦わら帽子を押さえると、右のサンダルに入った小石を振り落とした。
すっきりとしたその足で、俺は開け放った縁側に向かって戻った。
「ただいま」
青々とよく茂った少しばかり高く育ちすぎた垣根に囲まれた平屋は、自給自足の手伝いぐらいにはなるだろう広さの畑と、飲み水として使えるらしい井戸を有している。畑の水やりと夏の野菜を冷やして食べるくらいには使っていたが、水浴びにも適しているのをよく覚えている。
だが今は耕す者がいないので、畑なのか何なのかわからない。
毎年夏休み前に便利屋さんに連絡して、垣根と庭の手入れをしてもらっている。
サンダルを脱ぎ捨て、脹ら脛で足の裏の砂を適当にこそぎおとしながら麦わら帽子を壁のフックに引っかけて、畳の部屋を進んだ。
この平屋の一等良い風の通りの部屋に入ると、目の前の布で汗を拭った。
「お早う。よく眠れた?」
飴色というのかとても美しいこの家の立派な大黒柱に、俺の知人がもたれて座っている。
「まだ眠たいの?お寝坊さんだねぇ」
彼はこちらを見つめているが、口を開こうとはしないようだ。
「外は今日も良い天気だよ。第二体操の回転するやつでさ、ちょっとクラッとしちゃったもんね」
笑いかけながらもう一度目の前の布を引っ張って、顎を伝い落ちそうになった汗を急いで拭った。
「…なぁに、ビックリしたの?」
また笑いかけたつもりだったが、彼は急に泣き出してしまった。
お祭りの会場で親とはぐれて泣きつかれた子供のように、大人気なく鼻水をじゅるじゅると鳴らしている。
「もーぉ。泣いたって分かんないよ?ちゃんと言わなきゃねぇ」
彼の鼻水を近くのティッシュで取ってやりながら、左手で布テープを剥がした。
「っ、もう許してくれよっ!!」
辺り一面に響いたんではないかと思う程の叫ぶ声が、うるさかった蝉をパタリと黙らせた。
が、その静かな間は、やはり瞬間的でしかなかった。再び鳴き出した蝉たちは、休憩があったかどうかも忘れさせる音量にあっという間に戻してしまった。
「なーんだ。まだ元気いっぱいなんだね。嬉しいなぁ」
彼の頭を撫で、その頬に音をたてて口付けをした。彼の黒く伸びた髭が、俺の柔らかい唇に刺激を与えた。
眉間にシワを寄せ情けなさそうに、彼は低い涙声で問った。
「…俺をどうする気なんだ…」
視野にあった転がったソレを拾うと、ビビビッと適当なサイズに千切り先程剥がした先にピッタリとくっつけた。
これですっかり元通りだ。
「夏休みはさ、毎年好きなことだけして、過ごしてるんだ」
彼の真ん前に座り、その体に巻き付く赤い紐を、足の指で掴んではグッと強めに引っ張った。
眉間に寄っていたシワがより深くなり、その後両目からの涙がテープの上を伝って落ちた。
畳は暫くその水を受け入れずにいたが、しばらくしてスーッと自身の体に取り込んでいった。わずかに色を残したまま、全てはその影だけになっていった。
「安心して?長めの夏休みだから。あと3週間くらいは一緒だよ?」
彼の足の爪先をまるでピアノを弾くように指で遊びながら彼を見ると、昨日と同じ死んだような目をしてこちらを見つめていた。
「あっ、俺は、ね。俺はあと3週間しかいられないけど、キミはずーっと、ここにいるんだよぉ」
ピクリと反応した彼に、遊ばせていた指を上へと滑らせていく。
「キミは夏の間、俺と朝から晩まで遊んで、そしてこの一夏で、キミは美しい想い出に変わるんだよ」
足の付け根を手のひらでこすり、彼の体にそっと寄りかかった。
随分と速い音を刻む彼の心臓は、俺を熱くさせる。
「大丈夫だよ。あの蝉たちよりたくさん鳴かせてあげるし、蝉よりもキミのその生は長いんだから」
「この夏を最高のモノにしてあげるね」
水滴を溢れさせるその何も見ようとしないその瞼に、俺はキスをした。
「俺の夏休みはこれからだよ」
今日も1日、暑くなりそうだ。
蝉たちは変わらず鳴くことをやめそうに無かった。
-END-
20150726 しずく
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