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【コト】
「今日はアブサンじゃないですね。」
片方だけあげられる眉。
「あの日のあなたはグジグジしていたからです。今日はさっぱりした顔をしているし、なにより力強い。
長いつきあいですが、そんな顔は初めて見ました。実に綺麗です。」
「褒めているつもりですか?」
「いえ、正直な感想です。」
初めて見る顔・・・か。
「二人しか存在しない場所」それをうまく言い表せないのがもどかしい。
でも確かに存在して、あの時わたしは生まれ変わったのだと信じている。
宏之によって過去はどんどん遠くなっていたけれど消えてはくれなかった。
でもあの日・・・。
あの日を境に、わたしの過去は別次元の世界になった。
かつてはそこにドップリはまり込んで、一生抜け出せないと諦めた。
現実は何も変わらないし、蒼であったわたしも消えはしない。
そうだとしても・・・だ。
お菓子が入っていた缶に想い出の品を詰め込み、クローゼットの奥にしまいこむ。
取り出せば思い出が戻ってくるけれど、開けなければ何を入れたのかすら思い出せない。
そのうちクローゼットの中にしまいこんだ缶のことを忘れてしまう。
例えるならそんな感じだ。
宏之との毎日が積み重なることで、私の過去を詰め込んだ缶の存在はどんどん薄くなる。
『過去』という缶は一括りになって、中身まで思い出せなくなるのだ。
あの日以来、わたしの心は穏やかに凪いでいる。
わたしだけが知らない沢山のことがあったとしても、わたしと宏之しか知らないあの場所があるから苦にならない。
あの絶対的な空気と世界があれば、二人は一緒なのだと無条件に信じられる。
だから前より自然に笑えるようになった。
今は宏之の水を撒く姿を見ても涙はでてこない。
出逢うずっと前からわたしを待っていてくれたという想いは変わらず持ち続けている。
それが真実であるという確信があるからかもしれない。
キラキラ光る銀色の水
陽光の中で微笑む宏之
『綺麗ですよ』そういってくれる心地いい声
そのすべてがわたしのもので、宏之と二人のものであること。
その現実がわたしを笑顔にさせるのだ。
「いつか波多家さんが、今のような顔をできるようになればいいですね。」
「ふっ」
やはりすべてお見通しということだ。
「ゆきちゃんは死んでも貴方に借りを作りたくないみたいですよ。」
「まったく・・肝が据わっているのも困りものですよ。」
「嘘ばっかり。」
眉が片方上がる。
「懐に抱え込む案は諦めたはずです。チェス盤の上以外の場所で転がす方法を思案中。
そうじゃないですか?」
「ふふふ。さすがですね。あなたと話をすると楽しいのは初対面のあの時から今も変わらずです。」
「次はジントニックにしてください。」
斉宮は薄いトールグラスの縁を爪弾いた。
【チリーン】
「良質なクリスタルはいい音がする。
いい素材はどんなに汚れても磨けば光りを取り戻す。打てば響く・・・。
ジントニックもタンカレーも今のあなたにとっては、ただの酒・・・強くなりましたね。」
「そうかもしれません。」
「私は、あなたがそうなることをずっと待っていました。」
何を待っていたのか。わたしは聞かなかった。
斉宮も何もいわなかった。
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