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栗と、追いかけっこ
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「ふあ、ぁ…、」
常は大きく伸びをした。何時なのか分からなかったが日は高く、障子越しに布団を照らす。如何してなのかこのところ、寝ても寝ても眠く、意識を保っていられないがその事をおかしいとも感じていない。
しかも夢の中ではいつものボロ家で、棗と変わらぬ日常を過ごしている。その事が常の気持ちを支え、また夢に誘う。このままいけば、夢と現の境界線があやふやになりそうだった。
「ああ、布団を上げないと…、」
のそのそと起き上がり布団を畳む、今日こそは緑太が洗濯物を干す姿を見張ろうと思っていた筈だったが、もうそんな時間ではなかった。
「紅丸は何処だろ。…散歩に誘っても大丈夫かな、」
紅丸は、常の誘いを受けてくれない可能性が高い気がした。勿論、それは勝手な思い込みだったが、誘う文句を言うまでの気持ちを整えるのも常には覚悟がいるのだ。
今は紅丸から借りた襦袢ではなく、誂えてもらった寝衣を着ている、それを脱いで幾分か慣れ始めた手付きで襦袢を身に付け着物を着た。幼い頃に常用していた服とはいえ、もうすっかり手順を忘れていた常は、紅丸に教えてもらいやっと一人で出来るまでになった。
「…あれ、そういや意外と面倒見てくれてんな。紅丸って、案外優しい…のかも。」
今更ながら、そう感じて首を傾げる。紅丸が本当はどんな気持ちで常を側に置いているのか、それを推し量るのは常にとって難しい。一時的な物珍しさや、気紛れや、戯れの可能性も高い。昨日の散歩道で少し何かを掴んだ気はしたが、魔物の言う事を全て鵜呑みにしても良いものかと迷っている。
そんな事をつらつら考えていたら、脳裏を余計な映像が過った。
「そういや、キスしたんだ…うわぁぁ、何でだろ、何で流されたんだ!」
頭を抱えて、その時の事を思い出し赤面する。紅丸は普段から美しい。その容姿を褒めたのは紛れもない常自身で、思った事が口に出ただけだった。でもその後…紅丸から口説かれた気がする、いや、間違いなく口説かれた。
「恥ずかしい、」
どんな顔で会うべきか、何も気にせず、何事も無かったかの様に自然に振る舞うべきだろうか。
「…よし、なる様になれ。」
常は腹をくくって、自室を出た。日当たりの良い縁側か、茶の間に居るのではと、その姿を求めて歩く。会ったらちゃんと声を掛けて、散歩の誘いをしようと、緑太の事よりも紅丸の事に気を取られている。それは、昨日までは無かった心の変化だった。
縁側で紅丸と出喰わす事もなく、気負った分だけ残念に思いながら常は茶の間の障子を開けた。その時、広い部屋の座卓の向こう側に、幻の様に視界へ入る人影があった。
「え、」
鶯色の着物の背中の横側がすうっと、茶の間と隣の部屋を隔てる襖へ消える。一瞬だったが、若葉色の淡い後ろ髪が見えた。
「え、え!」
驚き呆然とした後に、直ぐに我に返った。慌てて後を追う。あれが緑太ではなかろうかと、見逃してしまいたくなくて同じ様に隣の部屋へ入った。
またもや部屋の奥、すっと次の襖の影に入る背中の後を追う、次々と襖や障子を半開きにしたまま追いかけて、気が付けば元の茶の間に辿り着いた。
「あれ、茶の間に戻った…ん?何だろう。」
昨日常が柿を置いた位置、そこに据えられた昨日と同じ皿に黄色の何かが入っている。座卓に近付くと、クチナシで色を染めた栗の甘露煮だという事に気付いた。
大粒の実が艶艶と煮含められ光っている。常は甘い物が好物で、勿論、栗の甘露煮も好きだった。初めに入った時は無かったその皿をじっと見詰める、先程の追いかけっこの道筋を頭で反芻した。
「そっか、一度台所を通ってる。その時に皿を運んだんだ。そして、ここに置いて…。ははっ、俺は緑太が栗の甘露煮を取りに行くのに付き合っただけか、」
甘露煮は、幸い沢山入っている。
「緑太、そこに居るだろ。一緒に栗を食べてくれないかな。とても美味しそうなんだけど、一人の食事は味気ないんだ。それに、礼を言いたいし。」
スッと音も無く襖が開き、御盆を脇に置き膝をついて一礼して入ってくる小柄な姿。先程は分からなかったが、まだ少年だった。常は棗を思い出し微笑む、手招いて自分の隣に座る様に促す。
「初めまして、って言ったら変か…でもこうして会うのは初めてだからいいのかな…俺は常。緑太だろ?」
「はい。お初にお目にかかります、緑太と申します。常様、昨日は柿を有難うございました。とても美味しかったです。その礼に、栗の甘露煮を用意させて頂きました。」
「様付けとか、そんな呼び方しなくてもいいから。きっと緑太のがずっと歳上だろ。でも、栗の甘露煮有難う。柿を気に入って貰えて良かった。」
添えられていた箸を手にして、栗の実をすくう。準備されていた小皿に何粒か取り分けて楊枝を乗せ、隣に座った緑太の手元に渡す。
「有難うございます。しかし、常様と呼ばせて下さい。貴方は、紅丸様の選ばれた方。この屋敷の主とも並ぶ御方様です。」
御方様とは奥様ではなかったか、当然の事ながら緑太にまでもこの微妙な関係を知られている。思わず赤面した、いたたまれない。
「…う、あの、まだそうとも決まってない…というか。まだ、その、此処にも慣れてなくて、」
「そうですか。きっとそのうちに、こちらの暮らしにも慣れて来られますよ。」
「慣れる…かなぁ。」
「はい。」
緑太の表情は、癖のある長い前髪に遮られ分からなかったが、口調や声音で常を歓迎している事は分かった。
「が、頑張り、ます。」
何をだよ、と自身で突っ込む。此処に慣れる事以外にも、紅丸との関係…御方様に思いを巡らす。慌てて打ち消した。
棗を隣にした時の様に、こうして緑太が側に居るのは安心出来た。変な威圧感は感じない、魔物と言われなかったら気付かないだろう。仲良く並んで、いただきますと小皿の甘露煮を口に入れる。
「うん、美味い。緑太は料理が上手だな。」
「良かったです。」
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