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いざ、城へ
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黒鉄と、カイとマリンは宿の部屋で朝食兼昼食を食べていた。窓の隣にテーブルセットをべったりとくっつけ、露店で買ってきた、パンにチーズとベーコンと卵をサンドした物を食べている。
外には黒鉄が放った鴉が至る所で羽を休めて、城を見張っている。特に最上階のバルコニーの手摺りにずらりと並んで留まり、窓から中を覗く。どうやら棗はその部屋にいる様だ。
黒鉄が城の中に鴉を放つと言うのを二人がかりで止め、何とか外に放って貰い、少し時間は要したが無事に居所を割り出した。細々と気を使うのが面倒らしく、豪快に決着を付けたがる。人間の身としては、冷や汗をかくばかりだ。
マリンは紙製のカップに入った野菜スープを飲みながら黒鉄を見詰めた。黒鉄は大柄な体型からは考えられない程の、少ない量しか口にしない。
「ねえ、そのくらいで足りるの?」
「ああ。魔物は別に食べ物を食べずとも死なない、人間の食べ物に対する好奇心と、飢えを満たすだけの習慣だ。後は、その味を気に入るかどうかの問題だな。」
「へえ…、魔物というのは不思議なんだな。」
カイが感心している。普段、魔物と近しくする機会などない、人にとっては謎だらけのものだ。もしかしたら、気付かなかっただけで、これまでにも魔物を人間だと思い込んで接していた可能性は否定出来ないが。
「まあな。さて、食べ終わったならナツメに会いに行くか。もう昼だ。オレは日が昇っているうちに屋敷へ帰る。」
棗が城から出る気配のない事に、痺れを切らし始めた黒鉄が立ち上がる。
「待って、私も行きたい。一緒に抱えて飛んで貰えないかしら。」
「それ、私も同乗したいんだが…可能ですか?」
「ふむ。自分達で、自分の身を支えられるならいいが、」
二人は直ぐに頷く。カイはそのくらいの力があるし、マリンもこう見えて男性だ、それなりの筋力はある。
黒鉄が羽織りと着物の隙間から、漆黒の番傘を取り出した。窓を開けて身軽に外枠の上に立つ。どんなバランス感覚をしているのか、草履履きのまま少しの揺らぎもなく番傘を空中へ向けて差す。
「来い、しがみ付いとけ。」
「はい。」
「ええ。」
二人はテーブルを踏み台にして、窓枠に立つ黒鉄にしっかりとしがみ付いた。
行くぞ、その一言。次の瞬間にはもう空へ向かって飛んでいる。二人は息を飲み、風に煽られながら、落ちたら死ぬと、必死に黒鉄の体を抱き締めた。城の最上階、鴉が留まるバルコニーを目指して、凄い早さで進む。黒鉄一人の時は、竹とんぼの様に楽々と空へ舞っていたのに…見るは易いが、体験するのは難儀だった。
「死、死ぬかと思った…、」
「私もだよ、腕が痺れてる…、」
マリンとカイは、バルコニーに着地した途端にへたりと座り込んだ。滞空時間は然程ではない。唯その間中、生と死を見詰めていた。命綱は無く、己の腕力のみで空を飛ぶ魔物にしがみ付く…無謀だった。
「よし。」
二人をちらりと見て、黒鉄は頷いた。案外、カイもマリンも元気な様子だ。さっさとバルコニーに面した広い窓を開け、中に入った。外の扉には見張りの兵が二名いるものの、部屋の中には兵もメイドもいない。
天蓋付きのベッドを覆うレースが柱に寄せられ、少年が一人寝ているのが確認出来た。赤茶色の髪、東国の肌色、顔色が悪いが棗だろう。
「これがナツメか…随分と体調が悪そうだな。これは饅頭どころじゃない。」
ベッドの脇に立った黒鉄が、どうしたものかと顎を撫でる。
「あっ、ナツメ!」
「どうしたんだ!」
カイとマリンも、黒鉄の隣に寄って来た。二人は棗の状態を見て顔を見合わせた、気管支の先天的な持病を抱えている事を、前回の訪問で聞いていた。
「ああ…きっと気管支の具合が良くないんだわ。」
「うん…でも、あんなに薬湯を肌身離さず持っていたのに…。もしかしたら、ここに連れて来られた時に悪化して、それで帰れなくなったのか。」
「きっとそうよ。ナツメの病いに気付かなくて、薬湯を取り上げてしまったんじゃないの。何の用だか知らないけど、酷いわ。」
実は二人が昨日棗の元を訪れたのは、正にこの病気の事で、マリンの魔法で幾らか治せるのではと試す為だった。しかし、完全に治る保証は無い、先天的な病気は魔法でも治療が難しい。
「ナツメは病持ちなのか、それで常はあんなにも心配していたんだな。」
「クロガネ、貴方は治す事は出来ないの。」
マリンが期待を込めて聞く。魔物であればもしや…。
「オレはそういう事は出来ん。人間の中身をちょいといじる様な、手先の器用さは持ってない。紅丸とは違うからな、」
「はあ…駄目か。しかも、ベニマルかあ…。」
マリンはがっかりした。紅丸に頼むなど、土台無理な話で、もし交渉出来たとして何を要求されるか分かったものではない。
「マリン、君がやるしかないよ。」
「うん。」
マリンの能力は、黒鉄には渡っていない。実は早朝の、常を助ける為の対価の話は無くなったのだ。
あれは、黒鉄が二人の気持ちを確かめる為にした事で、紅丸が常に危害を加える事は無く、もし万が一の事態には、元より黒鉄が守るつもりだったと笑った。それで、マリンもカイも黒鉄の事を、魔物ながらも信頼出来ると思っている。
マリンが、ゴスロリの黒レースがたっぷりと付いたコートの外ポケットに入れておいた、ピンクの手鏡を取り出した。意識を集中させる。この時の為にと、棗との初めての対面の日から、魔法を使わずに魔力を貯めていた。
「ちちんぷいぷい!」
パッと手鏡を振り下ろす。ボワンとピンクの煙が立ち上がる。この煙は細胞の変化の時の、体内から出る水蒸気の様なもので、魔法が上手くいけばいくほど、モクモクと立ち上る。
今回は、常の時の煙の立ち上りの完璧さとは違い、ごく少量だった。
「ああっ、…駄目だわ。少しは改善したと思うけど、でもこんなんじゃ薬は手放せない。力不足でごめんなさい。」
マリンが眉根を寄せて、手鏡を握り締める。これで今日はもう魔法が使えないし、棗の持病を改善させる魔法を上掛けするには、また日にちを要する。
「マリン、そんなに自分を責めないで。ほら、ナツメの顔色がさっきよりも良いよ。」
「お、目を開ける。」
黒鉄が言った通り、棗が目蓋を開いた。もう呼吸は乱れていない、いつもの薬湯を飲んだ後の様にすっきりしていた。
ぱちぱちと薄い茶色の瞳が瞬きする、ベッドの縁にいる三人を不思議そうに見た。カイとマリンは分かるが、黒づくめの大柄な男が全く分からない。城の人間かと思い、じっと見詰めた後、服装が東国風なのを見て違う様だと判断した。カイとマリンを見る。
「…マリンさん、カイさん。あの、如何してここへ?」
「ナツメに会いに来たの。私、貴方にベリーパイを焼いたのに、ここへ持って来るの忘れちゃった。それにさっき、病いを治したくて許可無く魔法を掛けたわ。でも結局、完全には治せなくって…色々と、ごめんなさい。」
一気に話してガバッと頭を下げる。棗はびっくりしたが、マリンが棗の事を気に掛けてくれていて、善意でやってくれた事だと分かっている。今更ながら、ベッドに寝たまま話していた事に気付き身を起こした。
「マリンさん、有難うございます。とても体が楽です…さっき迄の息苦しさから救って貰っただけで、本当に感謝しています。」
棗はマリンに頭を上げてほしいと伝えて、ベッドの端に寄りその手を握った。魔法を掛けて貰うには大金を要するのに、マリンは何も求めずにそうしてくれたのだ。少しでも、この感謝の気持ちが伝わればいいと思う。
「うん…ナツメ、有難う。」
マリンが握り返す。少し涙の滲む緑の瞳が微笑んだ。それを見守った後に、カイが口を開く。そうのんびりとはしていられない。此処は城の中だ、侵入した事がバレれば大事になるだろう。
「ナツメ。君は、如何してここに連れて来られたんだ。」
「何だかよく分からないんです…暫くここへ留まる様にって閉じ込められました。あ、そういえば、王様に会わないといけないって…言われて、」
老秘書が言ってた事を思い出し伝える。更に、自分の居る部屋に首を傾げた。見覚えのない豪華な内装、半地下の薄暗く淀んだ部屋とは違い日当たりも良く、少し開いたバルコニーの窓から気持ちの良い風が入って来る。そして、天蓋付きの立派で大きくふかふかなベッド。如何して、こんな所に居るのか。
「何だか変よ…閉じ込めるなんて。」
「嫌な感じがしてたのは、気のせいじゃないな。」
マリンとカイが表情を曇らせる。その隣で今迄黙っていた黒鉄が、棗に問うた。
「此処から出たいか?」
「はい、出来れば。…あの、貴方はどなたですか。」
「オレは黒鉄。常に頼まれて、お前の様子を見に来た。あ、それとこれを渡しに、」
袂を探り、饅頭を一つ取り出す。棗は差し出された饅頭を、よく分からないままに受け取る。それよりも、気になる事があった。
「トキワに会ったんですか…元気ですか?クロガネさんは東国の方ですよね、どうやって東の果ての果ての果てに行けば良いんでしょうか、教えて下さい!」
必死に言い募る。その様子に、黒鉄は思案顔で顎に手を添えた。
「常は今のところは、まあ元気だ。…お前は、東の果てに行きたいのか?」
「はい。僕はトキワに会いに行きます。」
強い意志。此処で誰が止めても聞かないだろう。三人にはそれが分かった。しかし、今の棗の体では、その旅路を乗り切る事が出来ないのも分かっている。きっと、死をも厭わない覚悟なのだ。
「成る程。お前の名は、どう書く。漢字を教えてくれ。そうすれば、オレが連れいて行ってやろう。」
大きな手の平が、此処へ書けと言わんばかりに棗の手元近くに出された。
「えっ!本当ですか。」
「待って、ナツメ。クロガネは人間じゃないの!きっとトキワの様に、行ったらもう二度と帰れない。」
喜ぶ棗に、慌てて割って入るマリン。その時、黒鉄の目が廊下の方を見た。その動きを、カイがハッとして追う。
「誰か、来ましたか?」
「ああ、三人程…。全て人間だな。」
カイには全く気配が感じられない。しかし黒鉄がそういうのなら、きっと三人の人間がこちらへ向かっている。もう時間は無い。
「マリン、此処から出ないと!」
「でも、どうやって。今度はナツメも居るのよ!」
「ふむ。如何やら、人間よりも厄介な奴の到着だ。しかし、丁度良い。」
黒鉄がバルコニーを振り返った。マリンとカイもつられてそちらを見る。棗はぼんやりと、夢でも見てる様な気分でバルコニーを眺めた。
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