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老獪なる交渉と、その結末
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老秘書はメイドに兵を呼ぶ様に合図し、そっと扉から出した。間も無く兵士が多勢駆けつけるだろう。ベッドの上に体を起こした少年を庇うように立つ二人組の後ろ姿を見ながら、この二人が人間なのかはたまた魔物なのか考える。黒和装の大柄な男は、魔物だと見て間違いない。
この二人組が人間ならばこちらの見方につけられる可能性は高く、魔物ならば果ての屋敷の主人と対立でもしているのかもしれない。しかし、どちらにせよ棗を用いての交渉をするには絶好のチャンスだった。手紙を書いてはいないが、こうして目の前にいるのだ。今言わねば、話す機会などもう得られぬだろう。
「果ての屋敷の主殿、失礼ながら少し話す時間を得られぬか、」
さすがは老秘書と言うべきか、長年の経験からか、不測の事態に於いて気持ちの立て直しが城側の誰よりも早かった。王キアルの若さ故の優しさなのか、そういう気性なのか、元より今回の人質作戦の延期には賛成しかねていた。
「……何だ、」
煩わしそうな冷たい声。棗を見ていた目が老秘書に移る。
何を言い出すのかと、老秘書の後ろに居る王はぎょっとした。もしや、まさか…いや、と逡巡する間に話し始める。
「そこの少年は、察しの通りナツメと申す者。貴殿が連れ去ったトキワという男の家族同然の子供だ。」
「で?何故、こんな所でナツメはぐったりしてたんだろうなあ。」
面白そうに、黒鉄が口を挟む。トンと黒傘を肩に乗せ、口角を片側だけ上げた。その様子に秘書の気持ちが怯んだが、国の為に言わねばならんと口を開く。
「…出来れば、この少年と引き換えにこの北国の後ろ盾を続けて頂きたい。」
「なっ!何よそれ、なんでナツメと引き換えなの!」
カッとしてマリンが言い返す、老秘書を振り返り睨んだ。思わずピンクの手鏡を手に持っている。
「マリン、魔法はもう使えないだろ。落ち着いて、」
カイが小さくたしなめる。王側の狙いがはっきりとした今、棗を守る者はもう此処には、カイとマリン、そして恐らく黒鉄だけだ。しかも、黒鉄は自分よりも紅丸の力の方が強いと言っていた。そこまでして、果たして共に戦ってくれるのか…、
「ふっ、何故。俺がこいつと引き換えにこの国を守ると?」
紅丸の両目が細まる、紅と金が凄味を増す。
「そうです。貴殿にとっては価値が無くとも、トキワ殿はきっとこの少年の為なら命を賭けるでしょう。さて、貴殿にとってトキワ殿はどれ程の価値があるのか、よく考え返事を頂きたい。」
怖いもの知らず。老秘書はまだ魔物の恐ろしさなど分かっておらず、また身近に感じてもいない。地位のある人間とは対等である、そう錯覚してさえいた。
「ほう、成る程。そう来たか、」
益々面白そうに、黒鉄が顎を撫でる。
「馬鹿!ベニマルはそんな話に乗らないわ!今だって、ナツメをどうにかしようとしてるのに!馬鹿、ほんっと馬鹿っ!」
「ちょっと、マリン、」
まだ歳若い美少女に三度も馬鹿呼ばわりされ、流石にカチンと来たが老秘書は耐えた。女子供に本気で怒るなどみっともないと、プライドが許さなかった。
国王はじっと事の成り行きを見守っていた。もうこうなってはこちらの目論見もバレてしまっているし、予想に反し果ての屋敷の主の反応は悪く、この交渉は上手くは行き難い様だ。例え、棗の回復を待って手紙を出したとしても、この態度では後ろ盾を引き受けてくれるとは思えない。
「トキワという男は、主殿にとって大した存在ではなかったのだな…、」
王キアルは、呟いた。その頭の中で想像が広がる、水色の瞳が綺麗だった所為で屋敷へ連れて行かれ、下働きをし下僕の様な生活を強いられる哀れな人間。更に想像は進む…皆んなで美味しく引き千切り食べている図、気の毒になった。もう既に亡くなっているに違いない。
とん、と老秘書の肩に手の平を乗せ、首を振る。
「きっと、もう死んでいる。骨まで食べたんだろう。我々は、全くこの事態を読めていなかった…、」
「はあ?」
老秘書は王を見て、何だこの阿保という表情をしたが、直ぐにいつもの様に顔を取り繕った。偶に、王は想像力が豊かで、老秘書には付いていけない。
「ちょっと!ベニマルあんまりじゃない!食べたの?骨まで食べたの?」
「ちょっと、マリン落ち着いて、」
そんな言葉は丸々無視して、紅丸と黒鉄は廊下のある方向の壁をちらりと見た。多勢の人間の気配が近付く、この部屋を目指しているのだろう。
それぞれがそれぞれの事に気を取られていたその時、ベッドからぱっと小柄な体が飛び出し、開いたままのバルコニーへ向けて思わぬ速さで駆けた。
「…えっ、ナツメ!」
「っ!ナツメ!」
マリンとカイがハッとして後を追う、その時にはバルコニーの手摺の上だった。
「ナツメ、何してるの!」
「駄目だよ、危ないから戻って!」
二人が呼びかけるのと、多勢の兵士が部屋に入って来るのは同時だった。
「あの少年を抑えろ、そして侵入者から王を守れ!」
老秘書がバルコニーを指差し、兵士が返事をして速やかに行動する。バルコニーへ突入する者、事情も分からずに紅丸と黒鉄を囲う者、マリンとカイを捉えようとする者。兵士の手がナツメの足を掴もうとした、
「僕は、トキワの迷惑にはならない。」
今迄黙って、自分を無視して交わされる会話を聞いて考えた結果だった。小柄な体が外へ向かって傾き、見る者にはスローモーションの様に手摺りから離れて行く。
「ナツメ!」
「ナツメ!」
その時、黒い大柄な影が残像を残し、あまりの早さにぽかんとする兵の囲いをあっさり抜けると、そのままのスピードで、カイとマリンを抑えて揉み合う兵士の背中を蹴って跳んだ。凄い勢いで手摺りを越え落ちる。
「クロガネ!ナツメをお願い!」
「絶対、助けてくれ!」
マリンとカイが兵士に掴まれながら叫ぶ。紅丸は、バルコニーの方へ向けていた視線を老秘書へ向け直した。
「人間とは脆い。さて、助かるかどうか…で、俺と何を交渉すると?」
ゾゾゾと背筋を這う悪寒。紅丸の手の平から紅色の蝶が一頭出て来た、ひら、そしてまた一頭、ひら、そしてまた、ひらり。次々と出て部屋を舞う。
わっ、と近くに居た兵士が怯む。人間ではない事に今更ながら気付き、腰を抜かし後ずさる。これは、噂に聞く妖ではないのか。
「ト、トキワ殿は既に亡くなっている様だし、こちらの交渉材料も無くなりました。これではもう交渉は出来ませぬ、この話はなかった事とし、お引き取り願いたい。」
老秘書が畳み掛ける様に言う。紅丸が棗を助ける気が無いのはもう分かった、王も何やら常は死んでいて交渉終了だと思っている様だ。この機に、この得体の知れない魔物とは早く縁を切りたい。本能が危険を告げる。
実物を見るのと、想像上では矢張り違う。魔物とは、人間の自由に出来る存在ではなかったのではないか、初めからこの計画は失敗だったのだ。今思えば寧ろ前回、交渉に成功したのが奇跡だった。
「そうか?それで良いのか?この力が要るのだろう。」
秘書の耳元で告げた紅蝶が、ひらっと頬を掠める。ピリとした痛み、反射で頬に手をやれば血が付着した。
「ひぃ!」
「ああ、如何した、大した傷ではあるまい。人とは欲深く、身勝手で、そして脆い。…あのナツメとやらはどんな姿になったのやら。お前も同じ姿になってみるか?」
また別の蝶が耳元で話す。
「ま、まさか、私は国を思い、」
老秘書が首をゆるゆると振る。紅丸が退屈そうに煙管を取り出した、
「そうか、とても良い覚悟だ。その気持ちがあれば容易な事。空を舞ってみろ、あの少年に出来てお前が出来ぬ筈がない。」
ひらり、紅色の蝶が腕を掠めた。鋭い痛み、はっと抑えた手の平の下で袖に血が滲むのが分かった。もう老秘書の歯の根は合わず、がたがたと体は震える。
「ああ、お前が出来ぬなら王がやるべきだな。俺は待たされるのは好かん、その点ナツメは潔くて良かった。常の為に死ぬ事を厭わない、気に入った。」
煙管を吹かしながら、ほら早くしろと言わんばかりに王を見るオッドアイ。沢山の兵士に庇われ、部屋の奥に居た王がはっとする。己の上にも蝶は飛んでいる。
「王…、」
老秘書は青い顔色で王を力無く見て、首を振った。如何すれば許して貰えるのか、がくりと床に膝を着いて額ずく。慌てて部屋の中に居る兵達もそれに習った、カイとマリンを抑えていた兵達も手を離して頭を下げる。
「申し訳御座いませんでした。私共は浅はかだったのです。魔物の主殿の力を良く知らず、愚かな考えをしてしまいました。」
紅丸の片眉が上がる。ただ一人棒立ちの王を見た。ハッとして王は膝を折った、此処では地位も身分も金も用を成さない。有るのは、圧倒的な魔の気配と死のみ。
「東の果ての主殿、もう私達は貴方がた魔物には一切干渉致しません。ここは、北国の王である私に免じてどうか許して頂きたい。」
「それは、ナツメに聞くが良い。」
そう言ってバルコニーを振り返る。黒い番傘を差した黒鉄が、棗を抱えて空中に浮いている。ゆっくりとバルコニーに棗を下ろした。
「こいつらを許せるか?」
黒鉄が部屋の奥に居る二人を指して聞く、棗は不思議な気分で瞬きした。何故助けられたのか、それも良く分からないが、この場を自分に委ねられている事も何故なのか分からなかった。
「あの、トキワと僕や、カイとマリンさん…みんなに、これ以上何もしないのならそれで良いです。」
「だとさ、如何する。断ってもいいが、後は如何なるか……魔物にはこの国の行く末など関係のない事だ。」
黒鉄は番傘を畳んで、王と老秘書を見た。紅丸とは違う気配、哀れんでいる風でもある。しかし、これもまた魔物であり決して自分達の味方ではない。
「わ、分かった。約束しよう、手出しはしない。」
王は、一人の男キアルとして頷く。秘書を見る、何度も首を縦に振りどうかどうかと許しを請い、唯の老人となっている。地位を笠に着て棗にしてきた事を思えば、身が縮む思いだった。
「ふむ。ところで紅丸、ナツメは如何するんだ。連れて行って良いのか?」
カイとマリンがばっと立ち上がり、棗の前に庇うように立った。紅丸の様子を伺う。
一同が見守る中、紅丸は宝石の粉を練り込んだ高価な花瓶に手を伸ばし、灰皿代わりに煙管の灰をカツンと落とし込んだ。
「住みたいのなら、住まわせてやる。そうすれば、常は喜ぶんだろう?」
「ああ、そりゃ保証する。お前の事を見直すかもなぁ。しかし、連れて行ってやりたいが一つ問題が有ってな、」
「…何だ、」
紅丸が袂に煙管をしまい、腕を組んだ。
「気管支に病を持っていてな、それを治してやらんと運ぶのも難しい。」
「……俺に治せと?」
自分でやれよと、目が語る。
「オレに細かい事を求めるな。もし、オレがやって目も当てられない事になってみろ、常が如何思うか、」
「………。」
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