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西国からの、来訪者
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常は、不安と腹の鈍痛で寝付く事が出来ず朝を迎えていた。今まで、散々寝ていた事が嘘の様に、眠りを欲する気持ちが起きなかった。
「はぁ…、薬湯を緑太にお願いしようか、」
横になっていた布団から這い出す。薬湯のお陰か、痛みは随分引いている。しかし、いつもに比べあまり力が入らない。着替えを如何するか迷い、また横になる可能性が高い事を考えて寝衣の上に羽織を着る事にした。
「ん…あれ?」
何故か、少し幅が合わない。全体的に一回り大きく感じる。考えてみれば、この羽織は誂えてもらってから一度も袖を通していなかった。きっと、少し大きく作られてしまったのだろうと納得して部屋を出る。
念の為厠で用を済ませ、緑太を探して下腹を撫でながら縁側を進む。その時、向こうから男が歩いて来た。西国特有の袍と呼ばれる丈のある上着、側面の下側にはスリットが入って動き易くなっており、長ズボンを履いている。庶民にはおよそ手が出ないだろう白い光沢の有る生地、それを飾るのは銀糸の刺繍。一見して、西国の富裕層の男性だと分かった。
銀糸で織ったベルトに刺した扇子、その持ち手の先から飾り紐に結われた鈴が垂れ、男の歩みに合わせてチリン、チリン…と涼しく音を立てる。
少し間を置き歩みを止める相手に対し、常もつられて足を止める。男が常を見据え眉を顰めた。玄関を潜った時から感じていた、屋敷を満たす牡丹の香りのその発生源だ。
向かい合う常よりも高い背、踊り手の様にしなやかな筋肉の付いた細身の身体。男の気性を表すかの様に、前下がりに肩口で切り揃えられた白く輝く髪は癖なく伸び、近寄り難く鋭い印象を強めた。紅丸と同じく血の通わぬ白磁の肌。白い睫毛に覆われた瞳は、透明かと見紛うばかりの薄桃色だった。
「常…、」
「え?」
何故か名を呼ばれ、常は首を傾げた。目の前の麗人は、おもむろに紋紗の扇子をベルトから抜きざまにばっと拡げ、屋敷から外へ向け大きく横へ振った。鈴の音がチリリンと弾む。その一動作で、屋敷中の香は空へ霧散した。
「今日は、一段と強く香る。血を流しておるな。」
口元を扇子で覆う男の、その声。
「あっ、白楊?」
「如何にも。お前は何をしておるのか、血を流したままでいては人は死ぬと聞くが、」
「いや、あの、怪我じゃないから。大丈夫…多分。」
「ところで、紅丸と緑太が居らぬが何処だ。」
「紅丸と緑太…居ないのか、」
そう答えながら、常は頭の中で昨夜からずっと考えていた事を実行するには今しか無いと、目の前の白楊を見て思った。
「白楊は凄く強いんだろ。恐らく紅丸と同じくらいに、」
「当然であろう。紅丸に次ぐのは私だ、黒鉄では頼りが無い。」
常日頃から、人間贔屓の黒鉄は煩わしい存在だ。強さで言えば同等、実力的に紅丸に次ぐのはこの二人だった。
「なら、この東の果ての山道を、人連れて出て行く事くらい訳無い話だよな。」
「当たり前だ。そもそも、あの有象無象に敵わぬとは、人の弱さには呆れ果てる。」
「そうなんだ、俺はあれにも敵わない位に弱くて、一人で外を出歩く事すら出来ない。だから、お願いします。俺を、此処から出して貰えないか、…どうか、」
常は、廊下に膝を着き正座をすると上体をぴしりと伸ばし、美しい姿勢で額付いた。それは幼少期よりの習いにより身に付けた、東国の作法に則るものだ。襟足から覗く項は、密やかな清さを秘めて目に映える。そこから、また香り出す。
「何故、此処を出たがる。」
白楊は扇子でも隠せぬ香と、その所作の清廉さに目を細めた。
「この身体の魔法を解きたいんだ。性別を戻したい。」
「ふうん…。」
良い機会を得た。白楊は唇の両端を上げた、己から頼んで来るとは何とも好都合ではないか。
「良かろう。此処から連れ出し、私の伝手で西国の魔法を使う者に解かせよう。して、お前は何を渡してくれる、」
常はハッとして顔を上げた。対価を持たずして、魔物相手に何の願いを叶えようと言うのか。
「済みません。この身一つしか、」
水色の宝石は紅丸が持ったままだった。
「ならば、その瞳を預かろう。もし、お前に掛けられている魔法が解けぬ時は返してやる。しかし魔法が解ければ…もう終生目は見えなくなろうな、如何する。」
珍かな黒い瞳。人の持たぬ、唯一の色。黒鉄の闇夜の色とは違い、常の瞳は黒曜石の様な神秘的な輝きを放つ。
常は言葉も無く迷った。直ぐに決断するには勇気のいる事だった、そこまでしても戻りたいと思うのか、
「…分かった。」
迷い、考えて出した答え。瞳を差し出し視力を失い、性別を元に戻したら…そうしたら棗の元へ。
「代わりにお前の瞳に宝石を入れてやろう、何が良いか選べ。」
ベルトに刺した袋を無造作に渡される。常は中を見て、水色宝石を二つ取り出した。
「これを、」
白楊の手の平に宝石を乗せ、袋を返す。
「ほう。良い趣味だ。」
「それと、図々しいんだけど…肌の色は北国の白さにして、髪の色を淡い金髪に変えてくれないか。日に当たると、柔らかなクリーム色になる程の色に。」
「その位は、その瞳に免じ叶えてやろう。」
座り込んでいる常の前に屈み込む。白楊が髪を撫でれば直ぐに淡い金髪に変わり、頬を撫で首筋を撫でれば白肌に変わった。
「これで良いか?」
問うた白楊が小さな手鏡を渡した。これまた銀で作られた凝った物だ。常は髪を確認して顔の肌色を見た、鏡を持つ手先も白肌になっている。それは、魔法で得ていた北国で暮らした頃の姿だった。
「うん。有難う、凄いな白楊。」
「では、対価を貰おうか。」
常は中庭のいろは紅葉を見た、いつの間にかもう紅色に色付いている。その色を頭に焼き付けて瞳を閉じた。それが、この屋敷を発つ前に見た最後の景色。紅丸の瞳の色だった。
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