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天然羽毛、100%
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雨上がりの夜明け。北国南部に日中から一晩かけて降り続いた集中的な豪雨は漸く止み、馬車の中での宿泊を余儀無くされた乗客達はほっとした。
その殆どが旅支度をしており、マントや毛皮のコートを着たりと、各自防寒は怠っていない。それぞれ荷の中に携帯食を持っていた事も不幸中の幸いと言えた。馬車の外へ出る事も叶わない程の雨、夜間の冷え込みは北国の冬本番さながらだった。
「棗、お早う。」
「ふあぁ。黒鉄さん、おはようございます。あっ、ごめんね重かったでしょ。」
棗は慌てて黒鉄の腕とマントの間から出た。あまりの寒さに、黒鉄の身が心配で借りていたマントを返したのだが、ガタガタ震える棗を見かねた黒鉄が自分のマントの中に入るよう提案したのだ。
「いいや、軽過ぎる程だ。それより寒くはなかったか、昨晩は随分冷えた。」
「うん。大丈夫だよ。何か、羽毛に包まれているみたいな…王城のベッドに似たふかふかの寝心地だった。」
「ああ、それは鴉だな。」
棗が寝付いた頃に、何羽か丸くしてマントの中に入れておいたのだ。紅丸のお陰で病は無くなったが、人間とは冷え過ぎても体調を崩す。幾らか暖をとる足しになればと思っての事だった。
「えっ…どうしよう。僕は結構寝返り打つ方なんだけど、潰さなかったかな。」
周りの乗客に聞かれないように注意して、ひそひそと小声で話す。今迄は、ベッドから落ちそうになる棗の体を元の位置に戻すのも常の仕事だった。
「ははっ、確かに動いていたな。でも彼奴らは多少潰したところでなんという事もない。」
「そうなの?不思議なんだね。」
あの空の楽しい旅路を思った。よく考えてみれば唯の鴉ではない。黒鉄と棗を運んで空だって飛ぶ、番傘にもなる万能な鴉だ。
その時、馬車の状態を確認する為に外へ出ていた運転手が二人、幌の入り口を開いた。
「お客さん方、足場が悪くなっている道もあって今日はここから一番近い街までしか行けません。代金は半額返しますから、そこで降りて下さい。」
途端に数人が文句を言ったが、確かにあの雨では馬車での移動は困難になる。泥濘に脚を取られて進めなくなるのは目に見えていた。他の客にも宥められ、全ての乗客は次の街で降りる事になった。
やがて馬車は、ゆっくりと進み出した。高速馬車としての役割は果たせない。先を急ぐ者は、自分で馬を買い走らせるのがよっぽど早いだろう。
「黒鉄さん、次の街に降りたら移動手段は変更だね。」
「そうだな。やっと雨も止んだしな。」
二人の意見は一致した。棗の望み通りの旅路になりそうだった。
「常様、お早うございます。」
紫はベッドへ声を掛けてカーテンを開けた。さすが白楊の屋敷、窓からの眺めが素晴らしい。湖の周りは樹々が茂り、秋色に色付いた葉を水面に映して湖をも秋色にしていた。朝陽を浴びた湖面が控え目な無数の光を纏い、幻想的に揺らぐ。
暫しその光景に見惚れ、やっと常を振り返る。まだ寝ているのか、目蓋は閉ざされたままだった。昨日は薬湯を飲ませ入浴を手伝った。常はほんの少し食事を摂っただけで、また寝付いてしまい今に至る。
「紫さん。常様は、恐らく昼頃まで寝て過ごされるでしょう。」
一晩ずっと常の側に居た蝙蝠が教える。
「昼頃?…ああ、お体の調子が良くないのね。初花の時期でも有るし、」
「ええ…。」
本当は、他にも色んな要因が重なっているが緑太は頷くだけにした。恐らく、白楊の使いに運ばれた時の疲労、かねてよりの精神的な負担と…常の心身は休息を欲している。
「後で食事をさせないと。此処は果ての屋敷ではないから、もう少し食べ物を摂らなきゃ人間は死んでしまうわ。何か好きな食べ物とか知ってる?」
「ええ。常様は甘い物がお好きなんです。用意してあげて下さい。」
「了解。何か、柔らかくて消化の良い物にしないと…粥にしようかしら、西国の朝食の定番だから近くの出店で売ってるし。それに甘い豆腐のデザートも一緒にね。」
紫が任せとけとウインクする、
「宜しくお願いします。」
チリン、チリン、と人の耳では捉えられない微かな鈴の音が聞こえた。一人と一頭は、この屋敷の主人がこの部屋を目指しているのだと察した。
トン、トン、とノック音。
「紫さん、入ってもいいでしょうか。」
赤月の声、秘書が気を利かせ付いて来てくれたようだった。紫は扉を静かに開け小さな声で言った。
「ごめんなさい、常様は具合が悪くてまだ寝てるの。」
「そうですか、ではまた後ほどに様子を伺いに来ます。」
「ふん、起こせば良いだろう。」
白楊は腕を組んで不満気に言う。今日は黒に銀糸の刺繍を施した袍を来ている。相変わらず贅沢な衣装、帯に刺した扇子の先で鈴が揺れる。
「それは出来ません、常様は体調を崩しておいでなのです。我々とは違い、人とは繊細なのですよ。白楊様、仕事に戻りましょう。」
昨日同様、朝からきっちりとスーツを着た赤月が、その背中を押して階段へ誘導した。主人が殆んど仕事をせずにいた所為で、会社の目を通して貰わねばならない資料が溜まっている。
「さあさあ、仕事がひと段落したら常様の部屋に行きましょう。その頃には起きていらっしゃるかもしれません。」
「あれはしょうがない奴だな。私が居ないと紫だけでは不便な事も有ろう、いっそ書斎を常の部屋の隣りにでも移すか…、」
赤月はサァーッと顔色が青くなった、とんでもないと首を振る。そんな事をすれば、ますます入り浸りになるに違いない。それに主人の発言が、まるで子供っぽい愛情表現の様に感じて怖い。
「駄目です!白楊様が約束を果たしたら、きっと直ぐにでも紅丸様の元へ帰られるでしょう。特殊技能者の目星は付いております、ほんの少しの間の客人ですよ。」
ちょっとは自重してくれと、果ての屋敷の主の名前を出してみる。本人がどういうつもりで性別を戻したいと思ったのかは分からぬが、常は紅丸の選んだ御方様だ。例え白楊でも、そこは間違えてはならない。
「ふうん…、さてそれはどうなるか。」
その声は扇子に阻まれ、秘書の耳には入らなかった。
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