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それでも、なお
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「ただいま、遅くなって済まなかったね。」
ハツが狭い部屋に入ると、布団に常の姿はなく、狭い窓枠に浅く腰掛けて陽の当たるガラスに頭を預けている。淡く輝くクリーム色の髪、白く透く柔肌。その目蓋は穏やかに閉じており、まるでうたた寝をしている様だ。
「おかえり、ハツさん。」
言葉が返り、ハツははっとし見惚れていた目を瞬いた。両性の力か、男の様でもあり女の様でもある。幼く見え、しかし年相応の色気がある。どちらなのかと見極めようとして気持ちを持って行かれてしまう、不思議な魅力。
「目の薬を買って来たよ。直ぐに煎じる用意をするから、待ってておくれ。」
「有難うございます。あの、ハツさん、」
名前を呼ばれ、ハツは玄関近くの台所へ向かう足を止め部屋の入り口に留まった。本当は薬など買ってはいない、台所には常を運ぶ為の男を二人待たせている。
カタリと音がして、目蓋を閉じたままの常が窓を開ける。窓から見えはしないが、近くにある川の流れる音が入って来た。
「俺が着ていた服はどこですか。出来れば着替えたいんです。」
「ああ。まだ乾いてなくてね、庭に干してるよ。」
ハツはしれっと嘘を言った。どうせ庭など見えはしない。それに、常にはもう必要のない、売ってしまった服だ。
「そうですか。ところで、宝石を見ませんでしたか?服の中にしまってたんですが、薄桃色の大振りな物です。」
「知らないねえ。そんな物を首に付けてたのかい?川にでも流されたのかねえ、」
「…ええ。とても残念です。」
常は心から言った。宝石をしまってたとは言ったが、身に付けていたとは言っていない。服にしてもそうだ、庭には干されてなどいない。
「ハツさん。俺の住んでた家の隣には大きな宿屋があって、客が時々びっくりする様な高価な物を忘れて行ったりするんです。それ、どうすると思いますか、」
「そうさねえ、…宿帳に連絡先でも書いてあれば、届けるだろうね。」
常が何故そんな問いをするのか分からないが、東国の宿の多くはそうするだろうと思って答える。
「俺の住んでた土地は貧しい者が多い。忘れ物は、その人からの贈り物だと思う風習です。だから、売ってしまうんですよ。…何でもね、」
「…そうなのかい?西国は、東国より裕福だろうに、」
この話の矛先はどこへ向かうのか、
「タオルと手縫いを借りました。勝手に箪笥を開けて済みません。でも、不思議ですね。男物の着物と若い女物の着物、それは分かりますけど、子供用の着物は…わざわざ用意をしておいたのでしょう?川は色んな物を運んで来る、俺の様に。」
「何を言って、…箪笥の中を見たって?あんた目が使えるのかい。」
ハツが目を見開く、
「騙して済みません。でも、相こでしょう。そっちも騙した。ハツさんが帰って来るまでここに留まっていたのは、もしかしたら全部俺の思い過ごしで、本当に親切にしてくれてるだけかもしれないって期待があったからです。」
「…もう、遅いさ。あんたの期待なんて知らないね。あたしにはあたしの生活がある。」
「ええ。そして俺にも、俺の都合がある。」
窓の外を向き、ずっと閉じてた目蓋を開け、そこからするりと抜け出した。ハツが男を二人ともなって家に入って来たのは、窓から見ていたので知っている。
この足でどれだけ逃げ切れるのか、右足には足袋、左足には手縫いを巻いた状態で走り出す。
「くっそ、痛えなっ!」
ズキズキと、心臓の音と一緒に合わせて痛む。涙が出そうなのは、己の甘さが悔しいのか、ハツに裏切られて傷付いたのか。三十路過ぎ、色んな経験を重ねても人を信じる心を持っていたいが、そう甘くもない世の中だ。
「どこだ!」
「あそこにいるぞ!」
後ろから二人分の男の声が聞こえ、痛みに耐えて走り続ける。袖で滲む目を拭う。赤い白目はますます赤くなった。
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