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暑い、午後の白昼夢
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試験を終えて会場から出て来た棗は、緊張から解放された様子の受験者の流れに乗って街へ出た。暑い空気が、空調の効いた部屋にいた棗の体を包む。
「暑いなぁ、」
行きは赤月の運転する馬車に乗って来たが、帰りは乗り合い馬車で帰ると告げていたので少し寄り道する時間がある。
西国を訪れたのは初めての事で、建物も街並みも全て物珍しく、馬車乗り場までの道を露店を見て歩く。水饅頭を売っているのを見つけ、買って行こうと寄った。
「おじさん、四つ下さい。」
「はいよ、」
テンポよく水からすくってパックに詰めていくその手際に見惚れ、はっとした時にはパックの入った紙袋はもう目の前にある。慌てて、半袖シャツの上に肩がけした鞄から財布を取り出す。小銭を出して支払ったのと同時に、ぽろっと丸い物が落ちたのを目の端に捉えた。
「あっ、」
ころころころ、面白いように道を転がる。饅頭の紙袋を片手に、慌てて財布をしまいながらそれを追う。棗は今の今まで、すっかりさっぱりその存在を忘れていた。
「待って、」
待てと言って止まる物ではないと分かっているのに、何故か声が出てしまう。人の合間を縫って、ようやく誰かの足元にこつりと当たり大人しくなった。屈み込み、細い指がその球体を拾う。
「あのっ、すみません。それ僕のです。」
摘んだ真珠を光に当てて、しげしげと透かすように見ている。長い黒髪を首上で一つに束ね、薄物の黒い長袖の袍を着た細い姿は、まるで誰かがその場に置き忘れた影のように見えた。
「この真珠、とても大きくて立派だ。きっと魂が入っている。」
男の声。意外に若く、少年の響きを持っている。棗よりは幾らか年上だと思われた。
「…魂。えと、何の魂が?」
何の話なのか、傾き始めた陽を弾く真珠を自分よりも少し背の高い男と一緒に見る。
「天に行く途中で海を渡ろうとして力尽き、貝の中に閉じ込められた魂だよ。ねえ、これを私にくれないか。私の愛する人の魂が入っているかもしれないんだ。もうずっと長いこと探しているのに見つからなくて、」
そう言って、初めて棗を見る。その瞳は深く深く澄んだ浅葱色、あの南国の海の色だ。彼の美貌とオークルの肌に、とても良く似合う。緑太の言葉も忘れて、ただその真珠はこの男にこそ相応しいと思った。
「うん、良いよ。でもどうやってその人だと見分けるの?」
あまりにも気前よく頷く棗に対し、驚いた顔をしたのは相手の方だ。ここまで大きな真珠ならば、ただではやれぬと突き放されるのがいつもの事だった。
「抱いて寝れば魂の人の夢を見る、だから分かるんだ。そうして一晩経てばやっと天に昇る。もしこの真珠が彼女ならば、やっと私は……そうだ、真珠の礼としてこれを君へあげよう。」
「まさか、こんな高価なネックレスは受け取れません。」
大ぶりの薄桃色の宝石がきらきらと輝く。鎖も凝ったデザインで、素人目でもとんでもない値が付くと思われる。
「私は占いや祓いの商いをしているんだけど、魔を払ってくれと東国の古物屋の店主から頼まれてね。でもこれは、人の手には余る物だから貰い受けたんだ。君なら、きっと持ち主へ返してくれる。」
「持ち主ですか…、心当たりはないですけど、」
「深く考えないでも大丈夫。ああ、ここの水饅頭は私も好きなんだ。たくさんあっても困るだろうから、貰っても良いかな。」
相手は棗の困惑などまるで気にしない。棗の手から紙袋をひょいと取り、ネックレスを受け取ろうとしないのに焦れたのか、さっさとシャツのポケットに落とし込む。
「ほら、私の息子が君を迎えに来たよ。」
「え?」
息子と聞いて、誰の事かときょろきょろと周りを見る。そもそも、この年若い相手に息子がいるとなれば、相当小さな子供の筈だ。
「あの、息子さんって」
もう、目の前には誰の姿もない。夏の白昼夢なのか、暑さでやられた所為なのか。
「棗。」
人混みの中から大柄な体が現れた、手にはあの水饅頭の紙袋を持っている。
「黒鉄さん…、」
頭が真っ白になる。その一瞬の後に、はっとしてポケットの中を見た。確かに有るのだ、勢い良く黒い着物に包まれた腕を掴んだ。
「お父さん!お父さんがいたよ!生きてたんだよ!」
「…何の事だ、ちょっと落ち着け。」
必死な様子で辺りを見回して誰かの姿を求めるのを、黒鉄は不思議な面持ちで見詰めた。
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