アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
失せ物に宿る、失せもの
-
日が出て間が無い早朝の、少し肌寒い程の清々しい空気の流れは、湖面を包む樹々の囁きによってなお澄み渡る。広い敷地は街の喧騒を遠ざけ、まるでそこだけ別世界のように切り離された空間だ。
少年は、手にサンドイッチを包んだ紙と小さな水筒を持って、樹々の下を小鳥のさえずりを聴きながら一人で歩く。
湖の近くに出ると、先に大きな樹がありその下に白くけぶる姿が見えた。その名を呼ぼうとして、口を閉じる。
彼は目を閉じ、近くに寄る鳥の声や羽音に耳をそばだてている。それは見慣れた人の動作に似て、とても美しく冒しがたい。先を越された事よりも、その人に用がある事も置いて、今はまだ見詰めていたくて息を潜めてじっとする。
ゆっくりと、目蓋が開く。目が合った。
「早いのだな。」
その言葉で、小鳥は撒かれたパン屑を置いて一斉に飛び立ち、その姿を棗から遠ざけ見え隠れさせる。一瞬の後、躁ぎは止み木の葉に隠れた。パサ、パサ、頭上から茂った葉の揺れる音がしている。
「すみません、邪魔をしてしまいました。」
「良い。ただの真似事だ。」
やはりそうかと、棗は白楊の近くに寄った。何故なのか、その真似事の根底にある気持ちに気付いた。
きっと、人の真似事など好まない性格だ。それを曲げても良いと思える程の存在を知る、その心とは…。
「白楊さん、このネックレスを貴方に返したいのです。」
ポケットから取り差し出す。その輝きは、失くした恋のその相手を、かつて映した彼の瞳の光だ。
「そうか、帰って来たか。失くしたままでも良いと思うておったが、」
「それでは欠けたままになってしまう。どうか、受け取って下さい。」
直感に従う。この宝石を、欠けた心を取り戻さなければ、もう彼は二度と恋などしない。いや、出来ない。それ程の思いが込められた物だからだ。だからこそ、人の手には余るのだろう。
「…欠けて、失くしてしまえば二度と誰にも囚われぬ。私は、もう疲れているのだ。そろそろ良い頃であろう。」
「駄目ですよ。僕はまだ、貴方に学びたい事があります。これから先、僕は永い時を生きるかもしれない。もしかしたら、それが叶わない事があるかもしれない。でも、それでも側に居て欲しいんです。」
「…口説くのなら、もう少し大人になってからにしろ。子供はその範疇にあらぬ、」
棗は頷いて、ようやくネックレスを受け取って貰えた事に安堵した。
シャラ、銀の鎖が揺れる。白楊が台座を白い指でつまみ、くちづけるように薄い唇に当てた。するりと台座を滑り、薄桃色の宝石は口の中へ潜り込む。
「あ、」
棗の驚く間に、白楊はその塊を飲み込んだ。こくりと薄い喉が動く。あの硬い石が流動体と成り変わり、流れるのが分かった。
「ああ、美味い。」
何故か、その姿に妖しさを憶える。魔の性とは、人を魅了してしまう怖さがある。
「白楊様、」
赤月が木立の中から現れる、手には薄い紗のストールを持って白楊の隣に立った。ごく自然に、銀の袍をまとう細い肩にそれを掛け、微笑んで棗を見た。
「少し冷えております、棗様も風邪を引かれないようお気をつけ下さい。ここは果ての地ではございませんので、病に罹ってしまいますよ。」
「はい。あの、先程はサンドイッチを用意して頂き有難うございます。朝食を食べてから戻ります。」
「ええ。では、先に私たちは戻ります。そろそろ黒鉄様がここへ来られるでしょう。」
白楊を促し歩き去る。赤月は白楊の隣に並び、歩調を合わせて何事かを語らう。棗はそれを、確かに時期尚早なのだと悟り黙って見送った。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
90 / 120