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裕福な身の上の、漂着物
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川岸に倒れている人間を発見したのは、水を汲みに来た中年の女だった。薄っすらと透ける、見た事も無い不思議な縄に身を包まれている。その縄はどうした訳か水を弾き、流木を周りに着けて筏の体をなし、人間をこの下流へ運んだ様だった。
顔を近付け息が有るかを確かめ、迷わず息を吹き込む。濡れた金髪が張り付く青い顔を横に向けると、腹を押して飲んだ水を吐かせる。女の手際は慣れたものだ。
ごほ、ごほ、
意識の無いままに水を出し咳き込む背を、女の痩せた手が撫でる。川の側に住んで居れば、思わぬ漂着物を拾う。それは物であったり、動物だったり、偶には人間だったりもした。その多くは死んでいる事もあったが、この若者は幸いにしてあまり水も飲まず、溺れずに済んだ様だ。それは全て、この不思議な縄のお陰だろう。
水も汲まずに空の桶を川の側に置いたまま、女は苦心し縄を解きその人間を近くの自宅まで引き摺った。東国の北部に位置する村の外れの、決して裕福とは言えない簡素な造りの家。女は夫に先立たれ子供も居ない一人暮らしで、僅かな貯金と内職をして生活をしている。
「何でこんな格好かねえ。まだ年若いのに、」
床に寝かせた人間は一見女性だが、来ている物は西国の男性用の袍。しかも最上級の絹。女は部屋に火を焚き、冷えた体を拭う為のタオルを手にし、濡れた服を脱がせようとして襟を開き更に驚く。中から、薄桃色の宝石が零れた。
「…はあ、こりゃ凄いね。」
それは、女が今まで生きて来た中で見た事も無いほどの高価な宝石だった。その石は希少で、この大きさならばとんでもない値が付く。
服といい、ネックレスといい、この意識の無い女性はとんでもない裕福な身の上の様だった。
「あんた、命が助かって良かったねえ。ここんとこ川が増水してたから、上流で落っこちでもしたのかね。」
一晩明け、意識を戻した女性…だと思ったが、実は両性を有する男性だった若者に話し掛ける。彼は目を負傷している様で、目蓋を開く事が出来無い。
板張りの床に直に敷かれた布団に半身を起こして、着せ替えて貰った着物の黒い半襟を指先で探っている。
「…はい。助けて貰って有難うございます。」
「あたしはハツ、あんたの母親くらいの年齢だよ。名前は何ていうのかね。西国から来たのかい?」
ハツは、深々と頭を下げる姿を見ながら、洗って干しておいたタオルと手桶を手にして聞いた。矢張り、仕草がどこか上品に感じる。
「はい、西国から来ました。名前はトキワ、です。」
常は出自を明らかに出来ず、西国から来た事実と名前を告げた。
「トキワ、いい名だ。足首の腫れは薬草の湿布をしてるけど…目の薬が無くてね。砂でも入って傷が付いたのかもしれないから、目を洗ってごらん、」
女が床に常を導き、温い湯を張った手桶を渡す。有難うございますと礼を言い頭を下げる、淡い金髪がさらりと肩を滑った。きめの細かい白い肌は透き通り、若さの故か美しい。ハツには眩しいくらいだ。
常は素直に身を屈め、勧められるままに桶のぬるま湯を手の平にすくい洗う。少し開いた眼にじわっと沁み、睫毛を震わせて耐える。何度か繰り返すと、コロコロとした違和感は随分治ってきた。
今の常の格好は、ハツの若い頃に着ていたという小豆色の小袖姿だ。決して高価な物ではなかったが、それでも十分に有難い。
「この粥を食べて寝てなよ、目が見えないんじゃ不自由だろう。ちょいと足を伸ばして、街で目の薬を買って来るからね。」
芋と粟の粥が入った器を渡され、スプーンを握らされる。食べれるかいと問われ頷く。西国にいた時も、こうして過ごしていた。
「あの、お世話になり済みません。」
「いいや、気にしなくても良いよ。一人暮らしってのは慣れてもふと寂しくてね、こうして話す相手が居るのは楽しいもんさ。」
「そうですか…、役に立つ事があって良かった。」
常が食べ終わるのを待ち器を下げると、左足を引きずって歩く常を布団へ寝かせた。ハツは財布を着物の懐に入れ、風呂敷を手にすると言う。
「じゃあ、ちょいと留守にするけど無理せずに寝てなね。相乗り馬車で行けば、昼過ぎには戻れると思うから。」
「…はい。」
常は頷くと、布団の上に身を起こしたまま玄関の引き戸が閉まり、鍵の掛かる音を聞いた。ゆっくりと目蓋を開く、少し痛いがちゃんと目は見える。しかしハツには目蓋を開けられないと嘘を付いた。
「黒い目じゃ不味いよな…。」
ここは東国。この瞳で生きるには、四国の中で最も危険な国だった。
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