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本当に、美味しいんだよ
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棗がすっかり果ての屋敷の生活に慣れ、山路に実ったみかんが色付き、食べ頃になったある日の事。
その日は五目ちらしを詰めた弁当を黒鉄が持ち、空いた籠をぶら下げた棗は、二人でみかん狩りに出掛けていた。山はすっかり葉を落とした紅葉などの枯葉で覆われ、冬の空気は冷たく澄み渡り頬を刺す。しかし、魔物である黒鉄は勿論の事、北国の厳しい冬育ちの身には堪えはしない、それに天気は良く、散歩には適した空だ。
みかんの木に囲まれ、眺めの良い場所で弁当を食べる。休憩の後は、いよいよみかん摘みだ。
艶のある皮が美味そうに光る、手頃な場所にあるよく熟れた色の濃い物を手に取り、ハサミでパチリと手の平に落とす。やってるうちに楽しくなって夢中になり、籠はやがてみかんで一杯になった。
「ねえ、黒鉄さん。あの木の陰にいる魔物たちは、みかん食べるかなあ?」
棗は離れた所にいるぶよぶよの魔物を指差す。足も手も良く分からないが、穴の開いた目のような空洞が二つ。その下にある大きな横広の空洞には、鋭い歯がギザギザに並ぶ。相変わらず棗を見ながら、口をもごもごしている。
「さて、食べ物をやった事がないから分からんな。きっと、みかんをもいで食べるという知識も無かろう。投げてみるか?」
「うん。でも、口に上手に入れてあげないと駄目だよね、……ねえ!今からみかんを投げるから食べてね!いっくよー!」
声を掛けて、上へ向け山形に弧を描いて口で受け止め易いように放る。魔物はそれをみかんだとは認識しないまま、投げられた物を口で受け止めた。汁をぼたぼたと零しながら皮ごと食べている。
「あ、食べたね。美味しいのかな。」
「ふむ、空腹よりはいいんじゃないか。」
黒鉄が顎を撫でながら頷く。
「気に入ったら、いつかみかんを取って食べる事を覚えるかもしれないね。そしたら、人を食べたいって思わないようになるかな。」
「どうだろうな。あいつらは血肉を食う事しか念頭にないからな、宝石すらも食わんし。この果ての地だけをさすらい、やがて消え行く。」
「そっか…黒鉄さんたちとは全然違う魔物なんだね。」
「そうだな。」
あれが正確には何なのか、それは誰にも分からず、ただそういう魔物なのだとしか言えないのだ。
「あ!ねえ、あれは犬?」
棗は、屋敷へ向けて歩いて来る大きな白い生き物を見ている。到底、普通の犬の大きさではないが、黒鉄に問い掛ける瞳はきらきらと輝く。
「ああ。そうか、お前はあの使いには会った事がなかったな。あれは」
その言葉の続きは、あまりの事に先を言えなかった。ごいんっと、白獅子の頭にぶち当たる石。大きな頭がぶれた。
棗は黒鉄が話してる間に、素早い動作で足元の大振りな石を拾い、大きく振りかぶり勢いよく渾身の力で投げきっていたのだ。常の教え通りの鋭い投球、狩りの基本は先の一手でどれだけ痛手を負わせるかだ。
「犬鍋!毛皮!焼き肉ー!」
手応えを感じた棗が喜んで飛び跳ねる。頭の中は、熱々の鍋にネギや豆腐、肉が浮かんでいる。
グオォォォ、
「まずい、」
黒鉄は棗を小脇に抱えて、大きく後方へ飛び退く。凄い早さで飛ぶように間合いを詰めた白獅子が、先程まで立っていた位置へ怒り任せに尾を振った。ぶんっと、大きく空気が振動する。
日頃の気に入らなさを表すように、黒鉄に対する殺意は隠しようもない。石を投げたのが黒鉄であろうとなかろうと、そんな事はどうでも良い話だった。次の攻撃が迫り、またもや棗を抱えて飛ぶ。着地した黒鉄が背後に棗を隠して、風圧避けに番傘をさす。
「ちょっと待たんか、白楊。棗がいるだろう。」
その脇からひょっこり顔を出し、
「え?白楊さんの飼ってる犬だったの?」
「犬ではない、白獅子だと分からぬのか!」
白獅子からは確かに白楊の怒った声がする。ここへきて、ようやくこれはただの犬ではないと理解した。
「白獅子?」
棗が首を傾げる、白獅子と言われてもよく分からない。
「あれは白獅子という白楊の使い魔だ。犬とは違い、この世に実在する動物ではない。大きさも姿形も違うだろう?」
「へえ、すごいねえ。あっ、でも石を投げてしまってごめんなさい。痛かったでしょう。」
黒鉄の陰から出て、しっかりと頭を下げる。使い魔がどれ程痛みを感じるのか分からないが、その使い手の白楊は別に何ともない。しかしさすが家族と言うべきか、北国育ちだからと言うべきか、常と初めて会った時と似たやり取りだ。
「…もう良い、」
あの時の常を思い出し、すっかり毒気を抜かれる。ふかふかの毛並みを見る瞳は、子供ながらの好奇心と探究心に満ちている。
「あの、白楊さん。触っても良いですか、」
「背に乗るが良い、屋敷へ送ろう。」
「わあ、ありがとうございます。あ、みかんの籠!」
みかんの木の下でひっくり返り、みかんが溢れている。
「ああ…みかん…、」
「大丈夫だ、潰れてはいない。」
黒鉄が軽く土を払って籠に戻す、棗も屈むと次々と土を払い入れていった。やがて全て拾い終わると黒鉄がみかんの籠を持つ、行きとは逆に空の弁当箱を下げた棗は、黒鉄の助けを借りて白獅子の背に乗せてもらった。黒鉄はその隣を歩く。
「うわーふかふかサラサラ!この首回りのたてがみが、すっごく気持ち良い。トキワを乗せてあげたい。」
うっとりした声。長いたてがみを手の平に乗せると、さらりさらりと滑る。これ程の毛並みを撫でた事はない。
「常ならば、何度か乗せておる。」
「えっ、そうなんだ。」
「今日は一緒ではないのだな。」
案外白楊は棗を気に入っているのか、それとも常の家族だからか、ゆっくりと歩を進めながら穏やかに会話をしている。
「うん。ちょっと体調を崩してるんだ、本当は今日も一緒にみかん狩りしようって約束してたんだけど…。」
「…大丈夫なのか、」
「薬湯を飲んで寝てるけど、みかんなら食べてくれるかもしれないなって思って、黒鉄さんと来たんだ。」
ジュースにしてもいいかも、と棗が呟く。今朝、朝食の席に紅丸に伴われて現れた常は、少し吸い物を口にしただけで箸を置いた。それから心配した紅丸に抱えられて、部屋へと戻ってしまった。この際、自分で歩くという主張は無視されている。
「白楊さんは、今日は使い魔だけなんだね。」
「ああ、ただの仕事の報告だ。使い魔で事足りる。」
「仕事の報告?何の仕事をしてるの?」
「そうだな、主に四国を巡る船を出しているな。」
白楊の答えに棗が、へえーと頷く。そのよく分かっていなさそうな返事に、黒鉄が説明を加えた。
「白運グループを知っているか?四国中の輸送の殆どを一手に占めている会社だが、」
「うん、知ってる。お隣さんだった薬屋は良く利用してたよ。珍しい漢方とか練り薬を輸入してたんだ。」
「それが、白楊の運営している会社だ。」
「えっ!」
簡素な釣り船が海を漂う様を想像していた棗は、薄茶色の目を大きく見張った。四国中に名の知られた、とんでもない大企業だった。
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