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東の、果ての果ての果て
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棗と竜胆は、無事に首席と次席で大学を卒業して白楊の屋敷で仕事を学んだ。それから五年経ち、黒鉄や常の勧めに従い棗は竜胆を伴い果ての屋敷の離れに居を構える事になった。
棗は二十四歳、すっかり青年となり、これからその時が逆行するか、はたまた進むのかは自身の内面を反映する事なので誰にも分からない。
「棗、竜胆、おやつだって。一緒に食べようって、茶の間にみんな揃ってるよ。」
ひょっこりと顔を出したのは青藍で、八歳になり利発な成長振りを見せていた。緑太の作るおやつは常の好物が多いが、みんな甘い物が嫌いではないので文句も出ない。
「ねえ、学校って楽しい?僕も学校へ行ってみたいんだ…、常や紅丸に言ったら悲しむかな。それとも怒られるかな。」
「ああ…そうか、此処からでは通えないから、」
棗が相槌を打つが、青藍は、棗や竜胆と一緒に茶の間へ向かいながら悩む顔付きでとぼとぼ歩く。
「うん。」
「常様って、そんなに了見が狭いとは思えないけど。青藍様が行きたいと思うなら、きっと力を貸してくれるんじゃないか。それに、紅丸様は常様の押しに弱い。」
竜胆は少年のまま、棗と初めて出会った時の姿を留めている。格好良いスーツは似合わないと、相変わらずの半ズボンと半袖シャツに本日はリボンタイを合わせていた。
離れでの二人の暮らしは、棗の願い通りに家族の様に親しげなものだ。仕事上では秘書として、陰に日向にと支えるのも忘れない。
「ははっ!そうだね、確かに紅丸さんはトキワに弱い。僕も助けるから、今から話してみたら如何だろう。西国なら、白楊さんにも協力を得られるよ。そろそろ仕事の件で赤月さんと一緒にこっちへ来ると言っていたから、トキワと紅丸さんの了解を得たら掛け合ってあげる。」
「俺も協力する。飛び級出来る様に、勉強を教えてやる。」
「本当?」
「良かったな、リンドウは秀才だよ。じゃあ、先ずはトキワを落とそう。」
いたずらっぽく笑い、ウインクする。ぱあっと青藍の顔が明るくなり、一気に元気になった。タタタッと駆け出し、早く早くと二人を急かせる。棗と竜胆は苦笑して、急ぎ足で後を追った。
白楊は赤月を伴い、白獅子に乗って果ての屋敷へやって来た。あらかじめ紅丸から青藍の事を頼まれていたので、白楊は改めて棗が頼むのにもすんなりと頷く。既に赤月の合意も貰っている話だった。
「本当に済みません。青藍が学校へ通う様になったら、なるべくそちらの屋敷へ顔を出します。」
良い、お前も忙しかろう。
「いいえ、仕事の事で学びたい事はまだ有りますから。僕にとっても良い機会です。」
五年の間に読唇術も身に付け、白楊の口の動きで棗は会話が出来る。白楊も読み易い様にと、努めてはっきりと動かしてくれるので助けられていた。
腰にさした扇子の微かな鈴の音を伴い、夕刻の庭を歩く。まだ暑い熱気をはらんだ空気が、日暮れと共に少し涼しくなる。こうして外に居るのは、棗の実を食べた事が無いと言う白楊へ常が勧め、案内を頼まれたからだった。赤月は竜胆と、秘書同士で仕事の打ち合わせをしている。
「これが棗の実ですよ。まだ青いですが、爽やかな林檎の風味が楽しめます。食べてみますか?」
白楊は上を見て、長丸の実を眺めたままでいる。もう棗の身長の方が高く、丸々とした実を選んでもぐには適している。
あれが良い。
左手で指差せば、きらりと中指の付け根近くで銀の指輪が光る。それは大学を卒業した時に棗が贈った、西国の美しい細工の物だ。
「はい。これですか?」
指差す辺りで一番美味しそうに見える物を選んで確認すると、白楊は頷いた。枝からもいで、シャツで拭いてどうぞと渡す。受け取った実を暫し眺めている間に、もう一つ採った棗は同じくシャツで拭うと無造作に口へ入れた。
「うん、美味しい。」
その言葉につられ、白楊が真似る様に口へ運ぶ。シャリとした歯応えで実が割れ、中の種を出して咀嚼する。甘味の少ない、林檎の様に爽やかな味が口へ広がった。
「熟れた赤い実を乾燥して食べても美味しいんですよ。その方が甘さが増すので、トキワの好物なんです。」
そうか、中々美味い。
白楊がまた樹を眺め、手を伸ばして自ら実を採る。
赤月は好きだろうか。
手のひらの青い実に触れ、秘書の事を気遣うのを少し羨ましく思う。
目の覚める様な青い袍は透ける程に薄く涼し気で、暑さを感じさせない。赤月の仕事だろう、長い髪が細いうなじを晒して青い紐で結い上げられ、紅色の蝶が白銀の髪の間で見え隠れする。白楊は、自分の弱さを隠す事を止めた。それを明らかにする事で、気に病む事をも止めたのだ。
弱さを内包してなお、美しく、強い。棗はその姿を眩しく思う。出会って八年、この胸にある想いは、やがて薄れ消えて行くのだろうか。あとどのくらいの時を重ねれば、波風立たず穏やかになるのだろうか。今は、考えても仕方の無い事だった。
気を取り直し、棗は再び手を伸ばして大きな実を採って渡す。やがて、赤月が竜胆と庭へ出て来た。
「白楊様、棗様、私も食べた事が無いので竜胆に案内して貰いました。」
白楊がハンカチに包んだ幾つかの実を赤月へ見せて、食べてみろと促す。それに頷き、赤月が一粒手に取り噛んだ。
如何だ?
首を傾げて問う白楊へ、赤月が微笑み頷く。
「ああ、美味しいですね。これは白楊様もお好きでしょう。実を乾燥させても、また美味しいと聞きました。」
「ええ。乾燥したら、リンドウの使い魔に届けさせましょう。」
竜胆が頷き、引き受ける。やがて青藍を連れた常が庭へ出て来て、夕食にしようと誘った。芙蓉柄の紺色の浴衣姿に、紅色の帯を文庫結びで締めている。伸びた髪は、紅丸から賜ったかんざしですっきりとまとめられていた。その姿は、棗と並べばもう妹にしか見えない。
今夜は、果ての屋敷でみんな揃っての食事会だ。既に紅丸と黒鉄は、東国の美味い酒を飲み始めている。白楊と赤月も泊まる予定なので、賑やかな会になるだろう。トンボ柄の浴衣に兵児帯を結んだ青藍が、ご馳走を待ち切れない様子で、棗と竜胆の手を引き縁側へ向かう。先を行く三人の姿を見ながら、常は隣を歩く二人に話し掛けた。
「二人には、ナツメと青藍と、家族の事で迷惑掛けてばかりだな。」
「いいえ、棗様が去ってからは二人きりでしたので、また賑やかになると白楊様も楽しみにしておられます。」
「そっか、…ありがとう。」
礼を述べると白楊が頷く。その動作で結われた髪が揺れ、うなじにある紅色の印が目の端に入った。常は、微かに痛む心を振り切る様に微笑む。
何故、声を失くす程の重い罰を受けたのか、何が魔物の秩序を乱したのか、それは棗の事故と関係するのか…本当の事を誰も言わない。だから常も聞かない。それでいいのだと、いつか真実を知る日が巡り合わせた時は受け止める覚悟を決める。
芙蓉の大輪が花をたたみ、待宵草が密やかに咲き始めたのを晩夏の風が揺らす。東の果ての果ての果て、その地を駆ける風は人と魔物にも変わらず吹いた。
終
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