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それぞれの闇 (士郎side)
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身繕いを整え隣室の自動ドアをくぐり、ユーリに声をかけようとしたが、すでにその姿はなく、アレクただ一人が頭上の多数のモニターを気にしながら、何かを目の前のパソコンに打ち込んでいた。
「……すみません、ユーリさんと話がしたいのですが」
こちらを見たアレクがわずかに呆れを滲ませた顔で、ため息をつく。
「傷は開いていないんだろうな? あれほど盛るなと言ったのに、呆れたやつらだ」
「……っ」
可能な限り事後を匂わせるような跡は消し去ったはずだったが、やはりほんのかすかな匂いや空気感でバレるのだろうか?
居心地の悪い沈黙が落ちた後、もっともこうなる気はしていたと、アレクが低くつぶやいた。
命の危機にやたら欲情するのは、生物としての本能だから仕方がない、そういう意味ではいたく正常なんだろう、と医者としての目線で冷静に分析された。
もはや言葉にならず、無言で反省の意を示す他、なす術がなかった。
「ユーリなら事後の対応に追われて、あの後すぐに出て行った。話したいことがあるのなら、そこの内線を使え」
「……外線は?」
「部外者であるおまえが外部と通話するには、リーダーかサブリーダー、あるいは防衛担当のハルトの許可がいる。ちなみにすべての通話は録音の上、自動解析にかけられるから注意しろ」
その言葉でブワッと総毛立つ。
かつて龍之介と交わした通話の中には通話とは名ばかりの、人様にはけしてさらせない類のやり取りも多々あったはずで、そのすべてが解析の上、録音されている……?
「死にたい……」
消え去りたいほどの羞恥心の果てに、思わずつぶやいた瞬間、場の空気が凍った。
「……冗談でも軽々しく死を口にするな」
「……っ」
単なる怒りを遥かに凌駕した、あらゆる悲しみややり切れなさ、絶望、孤独を宿した口調に息を呑み、何と浅はかな……と己の馬鹿さ加減を呪った。
見ればアレクの目の前のモニターには、龍之介同様に力なく眠る兵士たちの姿が数多く映し出されていた。
中には幾多のチューブやモニターにつながれ、ようやく生かされているように見える者までいる。
力ある相手から傷ついた子供を救うには、どうしたって犠牲がつきまとい、時には命を落としたり再起不能になることさえあるのだと、その過酷な現実をまざまざと見せつけられた気がした。
恥ずかしさと居たたまれなさがない混ぜになり、情けなさの中で謝罪し、拳を握り締めれば、アレクが深く吐息した。
「……リーダーであるリューが誰と恋仲になろうが自由だし、
今回の怪我の責任をおまえに問うつもりもないが」
なぜおまえなんだとの疑問は残るとばかりに、訝しむような鋭い視線を向けられた。
「おまえからはオレ達とは相容れない日向の匂いがする」
凍ったブルーグレーの瞳で見つめられ、けしてよくは思われていないのだと改めて思い知らされた気がした。
「今回は内部の人間が手引きしたようだが、本来ならここは、おまえのようなやつが安易に出入りできる場所じゃない」
暗に出て行け、二度と来るなと釘を刺された気がして、グッと拳を握りしめた。
確かに龍之介を危険にさらした自分には、ここにいる資格すらないのかもしれない。
いくら日本屈指の広域指定暴力団の本家に仕える家系に生まれたとはいえ、両親そろった厳しくも温かい家庭で育てられた自分と、日々闇で戦いに明け暮れる彼らとの間には、広くて深い溝が厳然と存在するに違いない。
だが龍之介が生きると思い定めた場所なら、そこは自分にとっても全力で守るべき家となる。
どのような非難にさらされようが踏み止まり、信頼を勝ち取るしかないのだと覚悟を決めた果てに選んだ進路だった。
「今は訳あって地上で暮らしていますが、遅くとも2年後にはここに生活の拠点を移して、正式に組織の一員として活動するつもりです」
「……バカな。おまえは天涯孤独の孤児なのか? 地上に居場所がないから逃げてくるとでも?」
「幸い、そのどちらでもありません。両親は健在で尊敬できる人たちですし、外の世界には親しい仲間や友人もいる」
「だったら」
「それでも。自分はあの男と生きると決めたんです」
ピシャリと言い切った。
「何より、なす術もなく売られていく子供達を地獄から救い出し未来を与える活動には、己のすべてをかけても惜しくはないと思えるだけの充分な大義があると感じました」
「何をきれいごとを……。未来を与える? 大義だと?」
そんなものは幸せな人間の戯言だと、アレクが強烈に皮肉った。
「……あなたはここが嫌いなんですか?」
「……ああ、大嫌いだ」
ブルーグレーの瞳の奥に、消し去り難い深い後悔と痛みがのぞいた。
聞いていいのか迷った果てに、なぜ? と問うたが、
「おまえには関係ないことだ」
予想通りの拒絶が返ってきた。
それきり話は終わりだとばかりに、打ち込み作業に没頭してしまう。
地上では後ろ指刺されることが多かった己の稼業でさえ、ここでは逆になぜ堕ちてくるのかと敵意とともに明確な一線を引かれてしまう。
それほどまでに深い闇なのか。
生きようが死のうが世間に知られることなく、闇から闇へと消えていく。
戸籍がない人間など、端からこの世に存在しないも同然だとばかりに。
臭いものには蓋をする。
見たくないものは見ない。
行政の網からこぼれ落ちた弱者に対し、一個人ができることなど限られていた。
自分さえよければその他大勢が苦しんでいようがどうだってかまわない……そうやってあらゆることに目をつむり生きるのもまた、いらぬリスクを回避する知恵なのかもしれないが。
少なくとも自分には無理だった。
知ってしまったからには見過ごせない。
たとえお節介だと手酷くののしられてもかまわないと思いながら、告げた。
「……いつか聞かせてください」
あなたが組織を疎む、その理由を。
何ができるとも思わない。
それでも独り抱えるには重過ぎる鬱屈とした想いを、吐き出す相手くらいにはなれるから。
待ってます、と凍えた横顔に告げると、備えつけの電話でユーリの内線番号をコールした。
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